第百三話:行動原理が読めない奴は稀にいる そう言った者達は言動で行動を予測できないから困る<不要の戦闘>
また、ぎりぎりか……すいません。
side:薫
気づけば、煌めく白刃を構えた少女が俺の眼前に迫っていた。
その手に握られた太刀が稲光の速度で振り下ろされ、俺を一刀の下に両断せんと斬線を走らせてくる。
応戦のために翳したたナイフが、がきぃぃん! と強烈な衝突音と共に後方に弾かれた。
取り落さぬよう強く握りしめた柄から、今の攻撃に載せられた重圧の程がびりびりと掌に伝わってきた。
強烈な一撃だった。
彼女の一撃には、全身の筋肉から絞り出された力に加え、遠心力や、巧みな重心移動で剣に載せられた体の重みまでもがしっかりと威力に上乗せされていた。
彼女が仮に金棒を握るようなことがあれば、鉄筋コンクリートですら数秒で穴だらけにされ、倒壊の運命をたどるであろう。
絶対の切断力を持つ俺のナイフと言えど、正面衝突では分が悪いか。
「下がっていろ、ユムナ! ノエルもだ! 今は俺一人で当たらせてくれ!」
「おお! 一対一での死合を望むでござるか! その意気やよし! お前の全力を拙者に見せるでござる!」
何が嬉しいのか、瞳を輝かせながら先を上回る速度の斬撃を追撃の太刀として見舞ってくる少女。
俺の首元を目がけ、夜の粘つく空気を峻烈に斬り裂く刃が斜め下から跳ね上がってきた。
俺はその軌道と斜めに交差するよう右手の刃を構えた。
膝を曲げて体を低くし、構えたナイフで断頭の一閃を横から弾き、ちょうど俺の上を通過するよう刃の軌跡をずらす。
「むうっ!?」
攻撃を受け流された少女が目を見開く。
宙に取り残された俺の黒髪の一部が少女の刃に斬り裂かれるが、その頃には既に、俺の反撃たる蹴撃が彼女の脇腹に突き刺さっていた。
神聖魔法で強化された俺の脚力は、恐竜並みだ。
常人ならインパクトと同時に表面の皮膚ごと臓腑を抉り出されているほどの衝撃受けた少女が、空気を切り裂き、繁った枝々を折り飛ばしながら後方に飛んでいった。
蹴り飛ばされた少女の顔に、しかし苦痛の色は無かった。
衝撃を受け止めてダメージは負ったたはずだが、それを感じさせぬほど見事な身のこなしでくるりと宙で身を捻り、大木の幹を蹴って二足での華麗な着地を決めた。
「くははははっ! やるでござるな! 拙者の二の太刀を躱したのみならず、かうんたあまで飛ばしてきおるとは!」
――まったく堪えていない、か。
俺の足が届く寸前、反撃に気づいた少女は踏み込み足を中心に体を回転させ、衝撃を受け流していた。
無論それだけで軽減しきれるレベルの攻撃ではなかったはずだが、高密度で練りこまれた剣士の魔力によって強化された彼女の肉体は、どんな硬質な金属鎧も叶わぬほどの剛性を彼女の肉体に与えている。
蹴られた勢いを利用して俺から大きく距離を取った少女が、今自分が蹴倒して倒壊させた大木の切り株上で陽気な高笑いを上げている。
森の中にぽっかりと存在する狭い円形の空間中に、静寂を斬り裂く少女の声が響き渡った。
聞いていて不快な声ではない……が、その笑い声を上げる当人に対して覚える感情までもそうであるとはいえない。
「クズハとかいったな。お前、先ほどの"俺達と事を構える気はない"という言葉はどこへ行った?」
「何を言うているでござる! "敵"どうしが相見えれば、そこには命を掛けた闘争の場があるのみであろう!」
実に堂々と、自身が言った言葉を否定して見せた。
「ちょっと、待ちなさい! 貴女さっき自分が"因縁の神"の使徒だとかなんとか――」
「ええい! 五月蠅いでござる! その話は後でしてやるでござるから、今は拙者と仕合わんか!」
声を挟んだユムナの言を遮るようにクズハが腕を振るい、
「そーっと、そーっと、……――――――――――えいっ!」
「ぬおおっ!?」
その隙に気配を消して背後から近寄ったノエルが、クズハを羽交い絞めにして捕えた。
クズハは慌てて振りほどこうとするも、幼いとはいえ獣人の筋力に剣士の力が上乗せされた頑丈な拘束だ。
そう簡単には脱せられまい。
困惑するクズハの足にユムナが抜け目なく放った氷魔法の枷が嵌められ、さらに強固な拘束が出来上がる。
「隊長っ……じゃなかった、カオルお兄さんっ! これでいいんですよねっ!?」
「ああ! 良くやった、ノエル!」
どうも先ほどの言を聞いている限りでは、このクズハという黒髪エルフの少女を、単純な敵認定をするのは早計である気がする。
要は、このまま倒してしまって良い相手とも思えなかったのだ。
そうした言動自体、俺達にそう思わせるための罠という可能性もあるのだが……正直、嬉々として刀を振り回して襲い掛かってきたこのクズハという少女が、そんな大層な腹芸の出来る人物とは思えなかった。
出来れば平和裏に拘束、確保したいと考えていたところだったが、ノエルが見事にそれを成してくれた。
ノエルの的確な判断と行動には、頭が下がる思いだ。
必死にもがくクズハの下に駆け寄りながら、胸中で感謝の言葉を述べる。
「ええい! 離さんか、この狐娘! 拙者はまだこの戦いに満足しておらん! もっとあの男と戦わせんか!」
「うぅ、凄い馬鹿力……でも私、離さないよぉ――あ痛っ!?」
「ノエル!?」「ノエルちゃん!?」
図らずも、俺とユムナの声が唱和した。
クズハは、暴れてもノエルの拘束は振りほどけぬとみるや、ノエルの腕に歯を立て、がぶりと噛みついたのだ。
「はなふへほはふぅぅう!」
「あ、うぅ、だ、駄目ぇ!」
痛みに怯んだノエルの体勢が崩れた一瞬の隙をつき、クズハが両足で勢いよく地面を蹴った。
真下から突き出された頭突き攻撃を受けてノエルの顔が後方に仰け反り、その腕の力が弱まる。
自由を手にしたクズハがノエルの体を後方に突き飛ばし、すぐさま俺に向けて跳びかかってきた。
怒り狂った獣の目つきで、手にした刀を腰だめに構え、氷で戒められた足のまま突進してくる。
「拙者を縛るものなど! 拙者自身が許さ――ぐああああ!?」
激走していたクズハが、突然頭から地面に倒れこんだ。
彼女の足元に突然伸びあがってきた何かに躓いたのだと気づいたときには、既に彼女は打つ手なしの状態にあった。
「うふふふふふふ。うちの可愛いノエルちゃんに傷をつけてくれちゃって~。女の顔に傷をつけることの意味くらい、分かっているわよねえ? 覚悟、できてるかしら~?」
身をもがかせ、起き上がろうとしかけていたクズハの全身に、突如地面から生えてきた幾本もの氷の蔦が絡み始めていたのだ。
クズハに向けてゆっくりと歩み寄っていくのは、青筋の立った笑顔を浮かべる運命神アリアンロッドの最高司教――、要するに、ブチ切れ寸前のユムナだった。
「あとで、貴女のお話は聞いてあげる。だから今は――そこで、頭冷やしてなさい?」
「ちょ、ちょ、ちょっと待つでござるうううううううううううううううううううううううううううううううううううう!?」
ユムナが指をパチンと鳴らすと、氷の棘は意気揚々と術者の指示に応じ始めた。
腕を、首を、腿を、あらゆる場所に棘は絡まり、巻き付き、締め上げ始めた。
そして絡まり合った氷の棘は無限に沸き上がり続ける他の棘と溶け合い、まじり合い出す。
ピキピキと音を立てて、周囲の草葉ごとクズハの全身が凍り付いていった。
いかな怪力と言えど、全身を覆う氷の呪縛からはそうやすやすとは逃れられない。
クズハがつま先から肩先まで白い氷づけのオブジェに変じさせられるまで、さほど時間はかからなかった。
かくして、戦いは終わった。
「寒いいいいいい。体が、凍えちゃうでござるよぉぉぉ」
「貴女くらいの剣士なら、大丈夫でしょ~。あ、ちなみにそれ、精霊魔法で作った普通の氷じゃなくて"固定魔法"で作った"溶けない氷"だから、悪しからず、ね。――あ、カオル。あたしの呪文詠唱時間を稼いでくれてありがと~、おかげで珍しく戦闘で活躍できたわ~。うふふふふふ」
ユムナは腰に手を当て、嬉しそうな、けれどどこか背筋が寒くなるような昏いものを内に秘めた表情でそう告げてきた。
俺はそんなユムナに渇いた笑いを返すことになってしまった。
痛む額に手を当て、涙目でこちらを見上げて来るノエルの頭を撫でることでユムナから少し意識を逃れさせる。
ユムナの逆鱗に触れると、あんな目に遭わされてしまうのか……。
全身を包む寒さに体を震わせる哀れな侍少女の姿を見て、自分の表情が引き攣ってしまっていることを実感する。
――今後、こういった状態のユムナを、敵に回すのはやめておこう。
心に誓った。




