第八十八話:私が失ったものと、失わなかったもの<司祭さんと竜の仔>
遅れてすいません。
side:リーティス
……ここ、どこですか?
目を覚ますと、知らない天井が見えました。
パチパチと目を瞬きますが、見える景色は変わりません。
綺麗な木目の入った、木製の四角い天井です。その中心からは、小さな傘のような、シャンデリアのようなものがぶら下がっていました。
一体、何なんでしょうか、あれは?
枕に載った首をふるふると横に振って、寝起きの意識をはっきりとさせます。
肌触りの良い、薄手で寒色系の色彩の掛布団と、私の体全体を心地よく包み込む、白いシーツに覆われた柔らかいクッションの感触。
私は今まで、一人サイズの小さなベッドの上で寝ていたみたいですね。
「んしょっ」
ベッド脇の窓から差し込んでくる日の光に目を細めつつ、ゆっくり上体を起こそうとして――、失敗しました。
「……わわっ!」
ボスン。
バランスを崩し、柔らかなベッドの上倒れこんでしまいます。
――あ、そうか……。私、腕が無くなっちゃったんでした。
布団の上にバラバラと乱れる髪を他所に、いましがた倒れこんだ方向に伸びていた私の左腕に両の視線を向けます。
肘から上が、綺麗に欠けて、無くなっているその腕。
ユーノに……私の友達に、斬られてしまった、左腕です。
――ユーノ……。
寝心地の良いベッドの上に身を休めたまま右手をそっと伸ばし、丸くなった切断面を恐る恐る撫でてみました。
柔らかな肌の感触が指に伝わってきます。
まるで左手の指が今も存在して、動かせるかのような感触はあるのに、実際にはその姿が無い。何とも、不思議な感覚でした。
――ユーノ、……ユーノ……。
これを成した一人の友人の名前を呟いていると、ぽたぽたと、涙が落ち始めてしまいました。
頬を伝って流れた滴が白いシーツに落ちて染みを作ります。
失血していた時の思考低下も、腕喪失時のショックも、今の私にはありません。
冷静になった頭で友人の所業を受け止め、改めてその感想が胸に浮かんできます。
――ああ、良かった。ユーノは、やっぱり私の友達でした。
涙を流しながら、微笑みを浮かべます。
喜びの気持ちが、心の底から沸き上がるのを感じながら。
ユーノが私の腕を切り落としたのは、私の指輪使用を防ぐためでした。
確実にそれを防ぐためならば、私を殺すのが最善であったところを、
腕を切り落とすだけに留めてくれた。
それは、ユーノがまだ私に対して親愛の情を持ってくれていたという証です。
必死になって「自分はもう私とは友達じゃない」と自分に言い聞かせて、それでもやっぱり最後まで私を友達として守ってくれた。
――私にとっては、それだけで十分です。
だからユーノは、今でも私の大切なお友達です。
そう、思うことができます。
でも、
でもやっぱり――、私は今回、失敗したんだと思います。
……私は、ユーノがあの時何を考え、どんな決意をして、どれだけの覚悟をきめていたのか、理解しきれていませんでした。
だからこれは……、この左手は、私への戒めなんです。
友人の覚悟のほどを読み切れなかった、私への罰なんです。
欠損した左手を掴み、胸元に引き寄せました。
もう、この手が何かを掴むことはできないでしょうけど……、次にユーノと会う時は、その気持ちと決意を、きっと捕まえたいと思います。
甘い考え方、なんでしょうね。
こんなことをユーノに言ったら、また「ふざけるな!」とか言われちゃうんでしょうね。
でもやっぱり、私は私で、
どうしてもこれ以外の生き方ができない、不器用な人間ですから、
こんな私を、皆に、ユーノに、受け入れてもらうしか、ないんです。
それがどれだけ、世間一般の感覚から外れているものだったとしても。
ふと、そんな考えをまとめていた私の耳に、
チャプン、チャプン。
大きな魚が水を跳ねるような音が聞こえてきました。
ジャポン、ジャポンジャポン!
と、思いきやその音は、もっと大きな――牛さんの水浴びのような音に変化しました。
窓の外――その、すぐ近くからみたいです。
――この音はひょっとして……”彼女”でしょうか?
精神状態、体の状態、共に著しく不安定になっていたあの時の私を運んでくれた存在。
運ばれている時は何が何やらわからないまま気を失ってしまった私ですけれど、今はその彼女の正体が何なのか、ちゃんと分かっています。
――会いに、行かなくちゃ。
会ってどうするのか? 文句を言うのか、相談するのか、敵対するのか、お礼を言うのか。
その考えは今の私にはありませんでしたけれど、それでもまず会って、声を交わさないことには始まりません。
右腕だけで身体を起こし、ベッドの下に靴が置かれていないことに一瞬躊躇いの気持ちを覚えたものの、決意を決めて裸足のまま床に飛び降りました。
やたらと精巧な作りの魔道具や変な置物に満ち溢れた部屋を歩いて通り過ぎて、”この家”の出入り口へと向かいます。
取っ手の無い円筒状のドアノブに面食らいつつも、何とか開け方を突き止め、ガチャリと音を立ててドアを開けました。
――いったい、この家はどなたの家だったんでしょうか?
芝の平地に立つ、見たことも無い不思議な外観の木造建築の建物を振り返ってから、今度は水音の聞こえる大きな”池”に足を向けます。
若干の緊張感に、身を包みながら。
私が家を出てきたことに気づいたんでしょう。
それまでばしゃばしゃと水音を立てつつ水面を仰向けで漂っていた”彼女”が、立ち泳ぎの体勢になって、こちらに声をかけてきました。
「あらぁ? お目覚めかしら、眠り姫さん。ふふっ、どう? 一緒に入っていかない?」
「え? いえ、その、遠慮します……泳ぎ、得意じゃありませんので」
思いもかけず親しげな、遠慮のない声色を聞いて、毒気を抜かれてしまいます。
水に濡れた髪の下にベニさんと同じ顔を持つその人物は、私の返答を聞いてニィと笑顔を向けてきました。




