桜の姫
「あなたは誰?」
和倉の城の厩にて。
馬の体を洗っていた白猫は、背後からの声に手を止める。
予定通り、良い頃合いだ。
白猫は慌てた風を装って振り返ると、すぐにその場にひれ伏した。
「先日、ご奉公に上がらせていただき、馬の世話を仰せつかりました、太助でございます」
「太助……顔を上げなさい。外出したいのだけど、馬を借りていいかしら?」
「はい」
太助こと白猫は、言われた通り頭を上げる。そこには優しく微笑む美しい娘。和倉家当主・和倉利春の一の姫、八重だ。
太助が馬の支度をしていると、家臣が馬を連れてやって来た。城下の見回りから戻ったのだろう。
「あれ?八重様、お出かけですか?」
「おかえりなさい、拓馬殿。ちょっと景色を見に行きたくて」
……なんで、お前だ。
白猫は拓馬に城に潜入することは伝えた。しかし、誰に化け、何をするつもりかは言っていない。なのになぜ、標的に接触した瞬間来るのだ。偶然か?わざとか?
まだこちらに気づいていないようだが、どう接したらいいだろう。
「……あれ?君……よく顔を見せて!」
早速、白猫の存在に気づいた拓馬が近づいて来た。俯いていた白猫の両頬を手で包み、上を向かせる。
「君は……」
やはり、バレれたか。何も、標的の前で声をかけることないだろう。
などという、白猫の懸念はあっさり覆される。
「よく、かわいいって言われない?」
こいつは真性の馬鹿だった。
思わず干し草を叩きつけなかった自分を褒めたい。
白猫は拓馬に言葉を返すことなく、素通りして、八重の前に馬を導いた。
「拓馬殿、からかうのはおよしなさい。太助、ありがとう」
「別にからかったわけではありませんよ」
拓馬は笑いながら、自身の馬を再び引いて八重に並ぶ。
「姫様お一人で行かせるわけにはいかないので、お供いたします」
あいかわらず、ふざけてるようでいて抜け目のない男だ。
白猫は感心しながら、八重に手綱を渡してその場を去ろうとした。しかし、その腕を横から出てきた手に掴まれ、後退を阻まれる。
「君も、俺の後ろに乗ってお供しなさい?」
語尾は問いかけなのに、有無を言わさぬ笑顔だった。
まだ開花は少ないが、和倉の山々に春の訪れを感じることができる。
八重はお供を連れて、山々を見渡せる小高い丘に来ていた。八重は一人で颯爽と馬に跨がり、男二人で相乗りという状態だ。少し異様に感じるが、男の一人が平民なので、まあ許容範囲だろう。そういうことにしよう。途中通った城下町で視線が痛かったが、馬に乗れない平民もいる。だから、問題ない。白猫は拓馬の背に掴まりながら、現状を受け入れた。
「やはり、桜はまだ早かったわね」
「すぐ満開になりすよ」
「間に合えばいいのだけれど……」
そう言った八重の表情は寂しげで、拓馬は理由を悟っているのか、ばつが悪そうに笑みを浮かべている。
「……どうされたのですか、姫様?」
「なんでもないわ」
なんでもなくないだろう。
八重姫はいつも笑顔で、優しく清楚で、臣からも民からも慕われている。その姫がこうやって影を落とす事情。さて、どの手で聞き出すか。
「太助ちゃん!なに?姫様のこと、気になるの?一足先に春到来?」
何よりも、こいつのうざさをどうしたものか。
「でも残念だったね。姫様は、近々ご結婚されるんだよ」
「拓馬殿!」
「大丈夫ですよ。今日、殿が臣下全てに伝えられたので、いずれ皆の知ることです」
あっさりと入手できた情報。姫の憂いはこれか。
では、その嫁ぎ先は?
八重の様子から推測すれば……。
「他国の武将に嫁がれるのですか?」
白猫の問いに、拓馬と八重は目を見張る。
和倉は戦の少ない国だ。
それは、進んで争うことをせず、美しい自然に恵まれたため他国が荒らすことを惜しみ、観光地として重宝されてきたからだ。
それが、姫が他国に嫁ぐということは……。
ーー和倉が戦を始めるのだ。




