桜の下で〈前編〉
父上のお話では、私の婚姻で強国と姻戚関係となり、この乱世で和倉の民を守らねばならぬ、と……。
武家に生まれた娘として、しかたのないこと。他国に嫁ぐ覚悟は出来ていた。
しかし、それを良く思わない誰かが、私の命を狙っている。
ーー怖い。
どうして?私はあの人のことを忘れて、和倉を守るために知らない人のところへ行こうとしているのに……。
どうして、こんな目にあわなければならないの?
そう自分を嘆いて、無性に会いたくなる……
桜の下で出会った、幼き日のあなたにーー
「巴雅殿、太助を見ませんでしたか?」
花見会場の周辺を見回りしていた成明は、戻って来るなり、八重の背後で警護に付いている巴雅に尋ねる。
「いや?姫の傍に付いているのは私と常光殿、侍女の方々だけだが?」
成明と共に見回りのはずの太助は、どうやら持ち場を無断で離れているらしい。
何かあったのだろうか?もしや、八重の命を狙う輩に……?
「きっとこの満開の桜に見惚れているんでしょう。直に戻ってきますよ」
知らずに震えていた八重の手を握って、巴雅は微笑んだ。
その笑みが、やはり八重の思う人に似ていて、震えは収まったのに、涙が溢れそうになる。
せめて一目、再び会うことが叶うなら……。
きっと、欲が出てこの場から逃げ出してしまうのだろう。
八重は冷静に考えを改め、巴雅に笑みを返す。
「夫となる方が、あなたのように素敵な方だといいのだけど……」
「それは大丈夫。保証しますよ」
「え……?」
初恋の人に似ている巴雅を見ながらつい出た言葉に、彼は顔を寄せ、八重にだけ聞こえるように返した。
どういうことだと問いかけようと思ったところで、宴の料理が運ばれてくる。運んできた侍女は見慣れない少女なので、先日の事件を思い出すが、拓馬が付き添っているから大丈夫だろう。
それでもやはり不安で、八重が箸をつけるのを躊躇っていると、横から巴雅が手を伸ばしてくる。
「失礼いたしますね」
そう言って、巴雅はだし巻きを一つ口にした。
「……やはりこの城の味付けは私好みですね」
巴雅の笑みに八重は安心を覚え、口元を綻ばせた。ようやく箸をとった八重を見て、拓馬もほっと息を吐く。
「それでは、俺は利春様のところに戻ります」
「忙しくさせてごめんなさい」
「とんでもない!……あ、彼女を置いていくので、何かあったら伝令に使ってください。まあ、何事もないのが一番なので、お側で桜を観賞させておいてください」
拓馬は侍女の頭をさっと撫で、その場を立ち去った。侍女は一瞬眉をひそめたが、すぐに笑みを浮かべ、八重の隣に腰かけた。
「姫様、そろそろ出し物が始まりますよ」
常光に声をかけられ、会場の中央に設置されている舞台に目をやると、面を被った二人の舞い手が準備に上がっていた。
音にあわせた艶やかな二人の舞は見事なものだった。誰しもが魅入って、皆の注意は舞台に集中していた。
「やはりこの時に動きましたね」
ガシャンと大きな音がしたかと思うと、八重のすぐ傍で、拓馬が連れてきた侍女が誰かに馬乗りになっていたのだった。




