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チョコレートに想いをのせて

作者: 朝市屋九楽

バレンタインということでUP


酷評、歓迎します。

酷評じゃない感想も歓迎します。

よろしくです。

   一

 二月一四日の朝は、今にも雪が降りそうな、そんなどんよりとした曇り空だった。

 出がけに覗いてきた朝の天気予報によると、今日は一日を通してこんな空模様のままで、ところによっては雪が降るかもしれないらしい。お天気お姉さんの後ろに控える大きな天気図には、大樹の年輪にも似た間隔の狭い気圧線が描かれていて、お姉さんは長い指示棒で画面を差しながら、「セイコウトウテイの冬型の気圧配置ですね」と可愛い声で説明していた。

 正直、セイコウトウテイは何のことかよくわからなかったが、冬型というだけあって、外はとてつもなく寒く感じた。

 高校指定のダッフルコートは暖かくて機能性も充分ではあるが、如何せん首まわりに隙間ができるという構造上の欠点をもっている。マフラーとの間に空白が生じてデリケートな首筋に朝の冷気が入り込まないよう、私はもう一度コートの襟元をキュッと閉めた。

 高校へは徒歩通学で、校門まではせいぜい一五分から二〇分くらいの距離である。遅刻しそうな時は走って登校したりもするが、今日は余裕を持って家を出たので、のんびり歩いていてもまだ充分に間に合う時間帯だった。

 今日は運命のバレンタイン。

 乙女にとっては一年に一度の重要なイベントデーだ。

 だから心に余裕が生まれるよう、ガラにもなく早めに家を出たのである。

 いつもの通学路を歩きながら、私は灰色の空を見上げて、はぁ~っと息を吐いた。私の息は一瞬で冷やされて水蒸気となり、空中でタバコの煙のように白く染まった。灰色の空は見渡す限り広がっていて、よほど分厚いのか、太陽がどこにあるのかすら解らなかった。

 この聖なる日において、この陰気くさい空模様はどうなのか、と思わないでもなかったが、でも今日の私にとっては、むしろ都合の良い天気かもしれなかった。チョコレートが溶け始める温度は意外に低く、天候によっては二月といえど注意が必要である。特に強すぎる日差しは要注意なので、もし天気が良かったら日傘が必要だったかもしれない。

 今日の放課後、私は以前から憧れていた同級生の男の子に、勇気をもって告白する予定だった。もちろん、チョコレートを添えて。

 いや、正確に言うと、チョコレートを添えるわけではない。

 私自身がチョコレートなのだ。

 今日この日、好きな人にアタックするため、私は思い切って自分の体を改造した。

 そしてチョコレートで出来た、チョコレート人間になったのである。


「おーい。おっはよ~」

 二〇メートルほど先に見覚えのある後ろ姿を見つけて、私は元気に手を振り上げた。あの、頭のてっぺんで前髪を縛る特徴的な髪型は、私の仲の良い友人の一人であるフサ子に違いない。頭のてっぺんから笹の葉のようにぴょこっと飛び出した一房の前髪が、歩くたびに右に左にと揺れている。聞くところによると、漫画の世界ではああいう髪のことを総じて「アホ毛」というらしい。

 フサ子はコートのポケットに両手を突っ込み、背中を丸めて、まるでくたびれたサラリーマンのような風体でこの曇り空の下を歩いていた。

 彼女は見かけによらず酷い低血圧で、朝は信じられないほどテンションが低い。今日のフサ子もバッチリその症状が出ているらしく、彼女は返事をするのも面倒くさいのか、私の声にも無反応なままだった。

 朝の挨拶を無視するとは不届き千万なり。私は少しだけ歩く足を速めると、前を歩くフサ子に追いつこうとした。本当なら小走りで駆け寄りたいところだが、走ることで体温が上がり、その熱で体が溶けてしまう危険性があったのでできなかった。今日の私はチョコレートなので、熱は大敵である。顔の造形が崩れでもしたら、それこそ洒落にならない事態だ。

 幸いにも、猫背でかったるそうに歩く彼女の歩みは、牛のように遅くて重い。別に走らずとも、少し歩みを速くしただけですぐに追いつくことができた。

「おはよっ」

 後ろから声をかけ、ぷらぷら揺れるアホ毛を手で軽く弾いてやった。フサ子の毛先が、オモチャのようにくるりと一回転する。面白かったのでもう一度やってやろうと手を伸ばすと、フサ子は面倒くさそうにそれを払いのけ、これまた面倒くさそうな態度でこっちを振り向いた。

「わかったわかった。おは……」

 おはようと言いかけたらしいが、その挨拶を完成させることもなく、フサ子は言葉を失っていた。

「ちょっと! あんた、なに! その顔の色!」

 フサ子は私の顔を指差し、今朝のお母さんと同じ台詞を私に吐いた。私はチョコレートになったので、肌の色は当然のことながらチョコレート色になっていた。艶やかな焦げ茶色というか、滑らかな黒茶色というか、まあ、そう、つまりチョコレート色だ。色白で、キメの細かい玉の艶を自称していた私の肌は、いまはヤマンバギャルもビックリの、濃い茶系色に変貌していたのである。

「どう? 変かな。ちょっとチョコレートになってみたんだけど」

 後頭部をかりかりと掻きながら照れくさそうにそう言うと、フサ子はあんぐりと口を開けたまま、目を丸くして私を見つめた。何だかもう、驚いたり呆れたりで声も出ないといった感じだった。

 でも実際のところ、告白するならこれくらいインパクトがないと駄目だと私にアドバイスしてくれたのは、フサ子だった。私が想いを寄せている草壁くんは、書道部の部長をしていて、文化系クラブの人間にしては格好良く、そこそこ女子にも人気があった。一方、私の容姿は特に目立つところもなく、実のところ、草壁くんとロクに話した経験もなかった。よく言うところの一方的な片想いであり、この想いを成就させるにあたって尋常成らざる努力と工夫が必要であることは、恋愛経験の乏しい私にも容易に想像がつくことだった。

 バレンタインをきっかけに、私の想いを伝えたい。そのためにはどうすれば効果的だろうか。それを友人のフサ子に相談すると、フサ子は面白そうに目をキラキラさせながら、

「うん、そうだね。ただチョコレートを渡すだけではインパクトが無くてつまらないね。ここはひとつ、色仕掛けはどうだろう。全身をくまなくチョコレートに染めて、『私を食べて……』としなやかに迫れば、男などイチコロでなびくのではないだろうか」

 と、両腕を組みつつ厳かにアドバイスしてくれたのである。

 そのアドバイスに従ってチョコレートになったのに、フサ子の反応はあまりにも冷たすぎるように思われた。私がそのことについて抗議すると、フサ子は渋面を作りつつ、「まさか本当にやるとは思わなくてさあ……」と呟いた。

「チョコレートを塗ったとかじゃなくて、チョコレートに『なった』の?」

「うん」

 私はこくりと頷いた。

「ちょっと口を開けてみて?」

 言われた通りに口を開ける。中を覗き込んだフサ子が、「本当だ……口の中も歯もみんなチョコだ……」と感心したように呟いた。

「ちょっと失礼」

 そう言うと、フサ子はいきなり抱きついて、私の右頬に舌を這わせた。くすぐったくて、私は「ひぃぃぃ!」と体を強張らせた。

「ちょっと! 何すんの!」

 そう私が抗議すると、フサ子は神妙な顔で、「甘い……」と呟いた。当たり前だ。チョコなのだから。しかもミルク成分一七%配合の、立派なミルクチョコだ。甘さと滑らかさという点において、不足などあり得るはずがない。

「ごめんごめん。どうしてもこの舌で確かめたくてさ」

 私が憤慨しているのをみて、フサ子は屈託なく笑ってみせた。確かめるならもっと他の箇所で確かめればいいのに! と思ったが、よくよく考えると、制服の上にダッフルコート、黒ストッキング、さらに手袋までしっかりと身につけた私が、肌を露出している箇所は顔と耳くらいしか残っていなかった。耳にしなかったのは、むしろ彼女の良心だったのかもしれない。

「それにしても……」

 自分の舌で確認して、ようやく私を一人前のチョコレートだと認めたのか、フサ子が私の全身をくまなく眺めながら口を開いた。

「あんた、本当にそのまま学校に行くの? 先生に何か言われたらどうするつもりよ。教室のヒーターで溶けたりしないの? 三限の体育は? 服とか机とか汚れたりしない?」

 フサ子は心配そうな顔で矢継ぎ早に質問してきたが、質問が速すぎて私には何を言っているのかよくわからなかった。頭の中もチョコレートになっているからだろうか。まあ、たぶん、大丈夫だよ。何とかなるよ。と、私が笑って答えると、フサ子は「やれやれ」という顔をしながら、

「まあ、その努力は買うよ。なんか困ったことがあったら私にいいな。協力するから」

 と、申し出てくれた。

 私は嬉しくなって、「さすが親友! 心の友!」と思った。両手の平を摺り合わせ、フサ子を大明神の如く仰ぎ拝むと、それを見ていたフサ子はため息混じりに、「ほんと、しょうがない子だね。君は」 と、笑った。

 とりあえず、急いで動くと自分の体温でチョコレートが溶ける危険性があるので、学校まではゆっくり歩いていこうと私は提案した。フサ子が「まあ時間もたっぷりあるしね」と頷く。二人並んで、学校までの道のりをのんびりと歩いて登校した。

 並んで歩いている最中、フサ子は何度も私の横顔を凝視していた。冷たい冬の風が吹いて、私の肩まで伸びる黒髪をふわりと揺らしていく。

 それを見ていたフサ子が、不思議そうに尋ねた。

「ひょっとして、その黒髪もチョコレート?」

 もちろん。と、私は胸を張った。ただしカカオ成分98%の高濃度カカオチョコなので、食べるのはあまりお勧めしない。


 私たちは冬空の下を歩きながら、放課後の計画を二人で話し合った。如何せん私自身がチョコレートであるため、例えば登校時に下駄箱にこっそりプレゼントを忍ばせるとか、体育の時間にこっそり机の中に入れておくとか、そういった作戦はとることができなかった。下駄箱の容積は私にとって少し小さすぎたし、机の中も潜り込むにはちょっと狭すぎるからだ。それに直接相手に手渡さないと、チョコレートになった意味がない。色々考えた挙げ句、渡すタイミングはやっぱり放課後しかないという結論に達した。

 作戦はこうだ。フサ子を始めとする仲のよい友達に頼んで、草壁くんをひと気のない所に呼び出してもらう。そして、少しだけ焦らす感じに待たせたあとで、満を持して登場。私を食べて下さい、と、しなやかにその胸に飛び込むのだ。

「ポイントは、しなやかに、ってところだね?」

 私が拳をグッと握りしめてそう確認すると、フサ子は

「そうだ。そこで男心を、こうやって鷲掴みにするのだ!」

 と、空中を鷲掴みながら力強く応じた。フサ子とこんな話をしていると、なんだかもうすべてが成功しそうな気になるから不思議である。

 実際のところ、私は草壁くんに早く食べて貰いたくてしかたがなかった。チョコレートとしての本能がそうさせるのだろうか。好きな人に食べて貰える、そう考えただけで、なんだか下っ腹の奥がじんわりと温かくなり、オマケに体のあちこちがムズムズしてくるのである。

 呼び出す場所は、草壁くんが部長を務める書道部の部室に決定した。いまは一週間後に控えた学年末試験の準備期間で、部活動を始めとする放課後の課外活動は全面休止が義務づけられている。もちろん書道部の活動も休止しているに違いなく、ひと気のない部室は、告白の舞台として格好のシチュエーションに成り得ると予想された。

 草壁くんが部長である以上、部室のカギは何とかなるであろう。ちなみに書道部の部室は、旧校舎と呼ばれる木造の校舎の中にある。旧校舎はもう授業などでは使われなくなった古い校舎で、いまは主に書道部を始めとする文化系のクラブが部室棟として利用している所だ。放課後になるとそれなりに賑わいをみせる場所だったが、部活動が全面休止になっている今、ひと気は限りなく少なくなっているだろう。

 帰宅部の私にとってはあまり馴染みのない場所ではあるが、木造校舎が漂わせるあの独特な雰囲気が、私は嫌いではない。

 ひと気のない旧校舎。書道部の部室で見つめ合う二人。包み込む静寂――

 その少女漫画のようなシチュエーションを想像してうっとりしていると、フサ子が冷めた声で

「おい、帰ってこい」と私を現実の世界に引き戻した。

 フサ子の提案で、うまくいかなかった時のことはとりあえず考えないことに決めた。恋には元々障害が付きものだが、とりあえずチョコレートを没収される心配はないのでそこは安心である。なんせ私自身がチョコなのだから、これはもう没収しようがない。教師たちは目の前に学業に関係ない異物がチラついているにもかかわらず、それを没収することができないというジレンマにストレスを溜めることになるかもしれないが、そこは知ったことではなかった。あとは、肝心の草壁くんが受け取ってくれないという可能性も大いに考えられたが、それを考えてもしかたがないことなので、とりあえずは考えないことにした。フラれたときはフラれたとき。いまは突撃あるのみである。

 私がその意気込みを口にすると、フサ子は「あんたの口からそんな言葉が聞けるとはね……」と感心したように呟いた。

「人間、変わろうと思えば変わるものだね」

 悟ったような言葉が、北風に乗って私の鼓膜を振るわせた。 


   二


 草壁くんという存在を初めて意識したのは、まだ学年が上がって間もない、五月初めの頃だったと思う。

 草壁くんが部長を務めている書道部とは、数人の部員が集まってお茶と無駄話に時間を費やしているような他の文化部とは違い、書道の全国大会で金賞を狙ってしまうような、そんな知る人ぞ知る書道家の卵たちが集まるような部活だった。だからかどうかは知らないが、草壁くんは放課後になると、柔術家か合気道家のようなゆったりとした袴姿で、よく一階の渡り廊下を旧校舎の方へと歩いていた。新校舎と旧校舎を繋ぐ渡り廊下はプラスチックの人工芝にトタン屋根をつけただけの簡単なもので、私がいる2年A組の教室からはその全容をくまなく見下ろすことができる。放課後などに教室に残ってフサ子達とたわいもない会話で盛り上がっていると、時たま、そんな袴姿で旧校舎へ向かう、草壁くんの姿を見ることがあった。

 両脇をタスキで締めて、しっぽの長い鉢巻きをしたその姿は、なんとなく純和風で、男の子! っていう感じがした。彼は大きな紙に体全体を使って字を書くようなスタイルを得意としているらしく、片手で持とうとするとちょっと難儀なことになりそうな、そんな太くて巨大な筆を手にしていることが多かった。

 思えば私が最初に興味を持ったのは、彼ではなくてその筆だった。小学校で使った毛筆とは全く別物と言っても過言ではないその巨大物体に、私は単純な驚きと興味を惹かれたのだ。

 例えるなら、修学旅行先のお土産屋さんで、特大サイズの「おっとっと」に出会った時の、あの衝撃に似ているだろうか。なにかもう、純粋にデカさに驚く。そしてその意味のわからないデカさに笑いが込み上げる。そして何だか面白そう、と興味が湧き、手にとって触ってみたくなる。お菓子メーカーの商品開発部長が「してやったり」と裏でほくそ笑んでそうな、そんな黄金パターンに私ははまりやすい性格なのだ。

 草壁くんをもっとよく知りたいと思うようになったのは、そんなきっかけからだった。見たこともないようなデッカイ筆を操ってるあの人は、一体どんな人なんだろう。それは、特大サイズのお菓子を手に取ってみたくなる、あの感覚に似ていたのだと思う。

 あれから九ヶ月。「面白そう」「ちょっと手に取ってみたい」 そんな感じで抱き続けた彼への興味は、いつの間にやら仄かな恋心へと進化を遂げていた。

 そして今日、私はバレンタインというイベントを餌に、告白という暴挙に出ようとしているのである。

 授業が終わり、運命の放課後がやってきた。私は意を決して決戦の舞台へと足を向けた。


 コンコン。

 書道部の看板を掲げている古いドアを叩くと、中から「どうぞ」という草壁くんの声がした。

 スチール製のドアを開けて中に入る。書道部の部室は案外広く、その隅には畳を敷いた和室スペースまで用意されていた。草壁くんは手前の細長い会議用テーブルに浅く腰をかけ、照れくさそうに鼻の頭を掻いていた。

 バレンタインの日に、ひと気のない所に呼び出しているのだから、どんなニブちんでも目的は解るというものだ。本来ならプレゼントとなるチョコレートやクッキーを背中に隠し、

「こんな所に呼び出してどうした?」

「うん、ちょっと渡したい物があってさ」

 というやりとりを行ってから、告白と共に用意したプレゼントを差し出す、というのが告白時における女の子の正しいマナーのように思えたが、私自身がチョコレートである以上、プレゼントを背中に隠すのは不可能だった。隠すまでもなく、すでに見せびらかしている状態だ。騙しようも誤魔化しようもなく、そして逃げ場もない状況で、私は恥ずかしさと緊張で、体がカチカチに硬くなっていくのを感じていた。

「えっと……その……」

 勇気をもって、力強く、しなやかに、相手の胸に飛び込んで――段取りに従って何度もイメージトレーニングをくり返してきたのに、いざというと口も体も全く動いてくれなかった。なんだか気まずい沈黙が、私と草壁くんの間に、ぬりかべのようでデンと居座っている気がした。

 私が呼び出したのだから、私のほうから話しかけないといけないのに。そう思いつつ、いつまでもまごまごしていると、なんと草壁くんのほうから、助け船を出すかのように話しかけてきてくれた。

「そのチョコレート……」

「え?」

 私が驚いて顔を上げると、草壁くんは相変わらず照れくさそうな顔で、ぶっきらぼうにそっぽを向いてこう言った。

「貰っていいの……かな? そのチョコレート」

「は……はい! そう。プレゼントです。私を食べてください!」

 緊張を隠すように、勇気が出るように、私は妙にハキハキとした口調で告白した。草壁くんが会議用テーブルから足を下ろし、私の方へゆっくりと近づいてくる。私と草壁くんの間は目測でおおよそ四メートル程度の距離があったのだが、彼はその距離を一歩一歩縮めると、最後は私を抱き寄せ、二人の間をゼロ距離にまで縮めてしまった。

 こちらからしなやかに飛び込むつもりだったのに、まさかの展開である。

 私があたふたしながら顔を上げると、草壁くんはタイミングを合わせて顔を寄せ、私の唇の上に、そっとその唇を重ねていた。


 草壁くんの唇が私の下唇をきゅっと挟み、舌がぎこちなくその上をなぞっていく。私が緊張のあまり硬直していると、草壁くんは唇を解いて、「甘いね」と呟いた。

「あま、あま、甘いのは当たり前……チョコレートだから」

 しどろもどろにそう言いながら、私は挙動不審者のように視線をあちこちに散らしていた。

 チョコレートとしてのファーストタッチが唇とは予想外である。いや、よくよく考えるとむしろ自然な流れなのかもしれないが、実のところ告白したあとの展開までは全く考えていなかったので、結構驚いた。

 恥ずかしさで頭がカーッとなって、しばらく草壁くんのされるがままになっていると、いつの間にやら私の着るブレザーの前ボタンが、上からひとつひとつ外されていってることに気がついた。

「……え、ちょっと。なに? どうしたの草壁くん」

 ハッと我に返り、弱々しくも動揺した声を出すと、草壁くんは「あれ?」という顔をして

「だって、チョコレートの包装を解かなきゃ、中身は食べられないだろ?」

 と真顔で答えていた。

「そ、そっか。そう……だよね。うん、その通り……」

 動揺しつつも、その答えは至極真っ当なものに聞こえたので、私は頷かざるを得なかった。チョコレートを食べる前に、その包装を解かなくてはならない。そう、確かに当たり前のことである。

 あれ? ということはどういうことだ?

 私は緊張と動揺でぐるぐる回る頭の中、「私の包装が解かれる」という意味について何か引っかかるものを感じたが、例によって頭の中がチョコレートなので、難しいことはよく解らなかった。包装が解かれるということは、つまり私の服はすべて脱がされてしまうということであって……はて、そのあとはどうなるんだろう。

 しかし考えがまとまらないうちに、私の制服はどんどん脱がされていた。

 ボタンの外されたブレザーが、肩から抜けてスルリと床に落ちる。

 続けてベスト、ネクタイ、スカートと次々と脱がされて、私は薄いピンクの下着と、白いワイシャツだけの格好にされてしまっていた。

 白いワイシャツの裾から、私の無防備な素足が伸びている。

 露わになった私の太腿を前に、草壁くんがゴクリと生唾を呑み込んだ。おいしそうだと思ってくれているのかな――。そう思うと、少し嬉しくなった。チョコなだけに。

 やがてワイシャツをも脱がされてしまうと、私のきめ細やかなチョコレート肌は、だいぶ剥き出しにされてしまっていた。もう身につけているのは下着だけである。腕を体の前で交差させ、肩をすぼめてモジモジと体を動かしていると、草壁くんは更に「これも外すよ?」と私に許可を求めつつ、私の後背に手を回して、胸を包んでいたピンク色の包装ブラもプチっと解いた。私を包むのは、腰に履いている僅かばかりの包装ショーツと、学校指定の紺のハイソックスだけになった。朝方履いていた黒ストッキングは、教室内が暖かかったのでトイレで靴下に履き替えてしまっていた。

 草壁くんがおもむろに顔を近づけ、私の体に舌を這わせる。私はくすぐったくて、びくっと小さく体を震わせた。私の味は気に入ってくれただろうかと気になったが、草壁くんは舐めるのをやめなかったので気に入ってくれたんだなと安心した。ちなみに彼が私のどこに舌を這わせているのかというと――それは恥ずかしいから秘密だ。

 ショーツと靴下以外の包装はすべて解かれてしまったので、私はいわばすっぽんぽんに近い状態である。下半身に僅かに残っているこの包装は解かなくていいのかな、などとぼんやり考えたが、ひょっとしたら草壁くんはおいしいところを最後に残すタイプなのかもしれないので、その辺は言及しないでおいた。ひょっとしたらここは食べないという意思表示だろうかとも思ったが、その辺の男心? は難しくてよくわからなかった。でももしそうだとしたら、少し寂しい気もする。食べるなら、やっぱり私のすべてを隅々まで余さず味わって欲しいと思った。チョコなだけに。

 繊細な舌先の刺激に小さく体をよじらせつつ、羞恥心に耐えて身を任せると、やがて草壁くんはグッと力強く私を抱き寄せ、肩と両膝の裏を抱えてお姫様抱っこの形に持ち上げた。ビックリして、思わず草壁くんの首に両手を回す。草壁くんは私を持ち上げたまま、隅にある畳のスペースまで移動して、その上にそっと私を下ろしてくれた。

 畳はなんだかひんやりと冷たくて、背中がざらざらした。畳部屋の奥には床の間に似せたスペースが確保されていて、畳一畳分のスペースに、小さい香炉などが置かれている。壁には大きい掛け軸も掛けられていて、誰が書いたのか、そこには信じられないような達筆で、「成せば成る」と力強く記されていた。

 あれは誰が書いたんだろう、とか、なんだか背中がチクチクするな、とか、そんな取り留めも無いことを考えていると、やがて草壁くんが私の上に覆い被さってきて、まわりの風景は目に入らなくなった。

 草壁くんの顔がアップになり、もう一度、私の唇と重なった。


   三


「……で、どうなったの? うまくいったの?」

 フサ子が白い息を吐きながら、話の先を促した。

 もう恋人達の祭典であるバレンタインデーは終わり、翌日一五日の朝である。この日も昨日と同じようなどんよりとした曇り空で、セイコウトウテイの冬らしい寒さが日本全国を覆っていた。フサ子は今日も背中を丸めて冬空の下を登校しており、後ろから追いかけてきた私に、追い越しざまにアホ毛を弄られるという、いつもの挨拶を受けたばかりだった。

 崩れたアホ毛の毛先を整えながら、フサ子は昨日の成果を聞いてきた。彼女は草壁くんを部室まで呼び出し、私がそこに入っていくのを見守ったあと帰路についたそうだが、やっぱり続きがどうなったのか気になってしかたがなかったらしい。

 電話やメールで結果報告しなかったことを謝りつつ、私は昨日のことを思い出して

「う~ん……それがさぁ……」

 と言葉を濁していた。

 あのあと、畳の上に移動した私たちは、まあ、つまり、その――なんというか、しばらく仲良くしていた。チョコレートも、思う存分食べてもらった。その状況は、恥ずかしいので語ることはできない。

 しかしその直後、草壁くんは盛大に鼻血を吹き出して、その場に昏倒してしまったのだ。

 原因は、チョコレートの食べ過ぎによるものだと思われた。

 考えてみれば、市販されている板チョコ一枚でも、一度に食べればそれなりの満足感というか、満腹感が得られるものである。甘いものが苦手な男子だったら、一口、一欠片でも充分な量だと思うかもしれない。体重40㎏+うん㎏の人間大のチョコレートが現れて、

「私を余さず食べて下さい」

 などと、始めから無理な注文だったのである。この結果は言わば当然の成り行きであるとも言えた。

「やっぱり無謀な計画だったか……」

 フサ子はこの結果をある程度予想していたのか、特に驚いた様子もなく頷いている。

「まぁ、鼻血噴いたのはチョコレートのせいだけじゃないと思うけどね」

 などと、冷静なツッコミも忘れない。

「それで……さ、ちょっと聞きづらいことを聞くんだけど……さ」

「なにかねフサ子くん。あらたまっちゃって」

 フサ子はうつむいたまま遠慮がちに聞いてきた。

「……それで、あんた……体のほうは大丈夫なの?」

「……あは」

 心配そうな顔のフサ子の問いを、私はわざとらしく笑って誤魔化していた。

 私は黙って左手の平をかざしてみせた。去年の誕生日にお母さんからもらった、赤い手編みの手袋である。だが本来親指があるべき箇所は、中身を失ってふにゃふにゃになっていた。人差し指の先も同様に、風に流されてプラプラと揺れている。親指と人差し指の先は、昨日囓られてしまって、今はもうない。

日が改まって人間に戻った私の体だったが、草壁君に舐められたり囓られたりした箇所は、残念ながら元に戻ってはくれなかったのだ。

「……あんた、本当にそれでよかったの?」

「……え? なんで? 想いは告げられたし、私は言うことないよ」

 深刻そうな顔をしているフサ子に向かって、私は努めて明るい声で言った。本当は、指だけじゃなくて体のあちこちに欠損ができていた。肩口、鎖骨、胸、背中……草壁君の舌が這って溶けたところは、土の上を蛇が通ったようなあとができていたし、囓られたところには歯形がくっきりと残っていた。今は制服で隠れてはいるが、体育の授業で着替える時は、周囲の注目を浴びないように注意しなければならないかもしれない。

「……まあ、あんたが気にしてないんならそれでいいんだけどさ。でもチョコレートになれ、なんて無責任なアドバイスしたのはアタシだし……なんだか責任感じちゃって……」

「なに言ってんの。フサ子らしくもない。責任なんか感じる必要ないって! ほら、元気出していこうぜ!」

 そう言って、私はフサ子の背中をパーンと叩いてやった。

 ブホッ、と咳き込みながら、フサ子は苦い笑いを浮かべる。

 フサ子の苦笑いに笑みを返すと、私は顔を正面に向けて、少し視線を落とした。空元気がバレバレだったのか、フサ子は何も言わない。重たい沈黙が、ふたりの間にまとわりついているような気がした。

 本当は、気にしていないはずがなかった。

 乙女の肌が、体の一部が、このような形で失われるとは思ってもいなかった。

 やっぱり、浅はかで無謀な行動だったのだろうか。朝、全身鏡で体の隅々をチェックしたときに、私は自分の体にできた数々の欠損を目の当たりにしてそう思った。

 でも後悔はしていなかった。

 私は勇気を出して一歩踏み出した。

 そして想いの人に、自分の言葉で、自分の恋心を伝えた。

 草壁君は私を受け入れて、私を食べてくれた。

 畳の上で私の顔半分を食べて、そのあとで、芸術的で美しいよと言ってくれた。

 今はこれで充分だった。

 このあと私と草壁君の仲がどうなるかについては、二人の運と努力次第である。

「大丈夫、なんとかなるよ」

 そう声に出すと、私は半分になった顔を上げて、空を仰いだ。

 見上げると、どんよりとした曇り空が、見渡す限りどこまでも続いていた。

 ホワイトデーには、草壁君をキャンデーにして、思う存分舐め尽くしてやろう。

 私はどこまでも続く冬空に向かって、ぐっと拳を突き上げた。


       〈了〉


楽しんでいただければ幸いです。


え? エロですか?

気のせいです。チョコレートを食べただけですから。



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[良い点]  突飛で甘々な物語に、ニヤニヤ笑いながら読ませて頂きました。  空元気に心配な気持ちになりつつ「でも後悔はしていなかった」以降のハッピーな締めにひと安心。 [一言]  ちょっとエロかった気…
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