もしかして茗荷谷
窓から差しこむ夕日があざやかに眩しくて、さっきから延々と聞いてもらっている私の「嫌なこと」が、ひどくちっぽけで、惨めなものに思えてきてしまう。
「それでさ、本当に信じられなくなってさ」
スマホの向こうの友人は、
―はいはい、だねえ
子猫におやつでもあげているみたいな軽い調子で応えてくる。私の深刻な悩みなんて、その程度のものなのだ。なんとなくわかってはいる。でも、続けてしまう。
「なんか、どうにもならなくてね。やんなっちゃうよ」
―そういうときはさ、あれよ、えーと、さ、ほら
「何よ?」
―だから、ほら、クセのある、野菜の
「クセ? 野菜?」
―あんま頻繁に買うもんじゃなくてさ
「わかんないよ」
―ああ、駅名にもなっててさ
「駅名って」
―そうめんのときにさあ
「…もしかして茗荷谷?」
―そうそう、それ、茗荷谷
「茗荷谷がどうしたのよ?」
―茗荷谷というか、みょうがのほう
「それで?」
―食べてみたら?
「え?」
―みょうが食べると忘れっぽくなるとか言うでしょ。食べて嫌なことみいんな忘れちゃいなさいよ
あまりに強引な理屈に、毒気を抜かれ、鼻で笑うしかない。まったくヤレヤレな友人だ。その友人に話を聞いてもらってる私にしても十分アレだけど。
友人との通話を終え、アプリで地図を呼び出す。「茗荷谷」と打ちこんで…
ふうん。思ったより遠くないんだねえ。
さっと支度をして外に出る。気持ちが沈んでいかないうちに、とっととやることやってしまおう。いままで一度も降り立った駅ではないけれど、スーパーくらいはあるだろう。
みょうがを求めてスーパーに。なんなら、せっかくだからとその買いものは茗荷谷で。
我ながらアホっぽい。まったく、ヤレヤレだ。
茗荷谷に向かう電車の車内で、みょうがのみそ汁にあう献立を、ちょっとばかり考える。さっきまでの沈んでいた気持ちがやんわり小さくなって、ほんの少しだけ楽しく思えていた。ほんの少しだけ、だけど。




