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短編No.21-40

No.30 言葉百選・03【そこにある】

作者: 藤夜 要

 それはたまたま寝坊をしたことから始まった。

「どぅゎー!! その電車、待ったーっ!!」

 見栄とか思春期とか羞恥心とか。んなことぁ言ってられなかった。何と言ってもその日は俺の高校受験当日で、その電車に乗り遅れたら、「浪人はさせねえ!」と明言した親父の丁稚に確定しちまうから。今どきあり得ねえ。中卒で稼業を継げ、なんて。

 あの人とは、その時初めて逢ったんだ。今では毎日使う、地下鉄のホームで俺達は初めて目が合った。彼女は俺の奇声に驚いた顔を一瞬した後、「くすり」と上品に手の甲で口を隠して笑っていた。

 無事念願の高校に合格し、晴れて俺も高校生。そこで彼女とステージ越しに逢ったのが、二度目だ。二歳年上の、女だてらに生徒会長を努める、俺の高校のマドンナだった。名前は乙藤貴子さん。生年月日は三月三日。うぉ、イメージどおり、お雛様の日かよ、と十二単をまとう彼女をおかずに萌々したのはこの際ナイショだ。

 三度目から先は、もう出席日数を数えれば判る。出逢ったその日から一目惚れ。毎日俺は、同じ時間、同じホームで、彼女と同じ車両に乗り込んだ。

 一緒に入学した連れ達の間では、賛否両論の意見と称した話のネタにされている俺の淡くて甘酸っぱい純粋な、恋。新たに貴子先輩のことを知るたびに、流星群に遭遇した様なわくわくドキドキしたむず痒さを覚えるのだ。

 初夏の風が、貴子先輩の濡れ羽色の髪をサラサラとなびかせる。覗いた月長石(ムーンストーン)のピアスも風に揺れる。それに負けない位の白いうなじも、俺の何かを突き上げる。はぁ、何てキレイなんだろ。一度でいいから話してみたい。

「っていうかぁ~、紫外線対策バッチリ、って感じで、もっそい男の目、意識してるよね」

 幼馴染の薫子が、うざったそうにそう茶々を入れた。このヤロ、いちいち人の妄想を邪魔しやがって。

「お前なら、そういう下心でそーすっからじゃねーの。貴子先輩とお前じゃ、趣味嗜好からしてちげーんだよ。お前と一緒にすんな」

 大体、何でこいつまで同じ学校の上に同じクラスなんだっつーの。

 ……まあ、わからんでもないけどな。

「風見鶏」って綽名をつけられて陰口を叩かれるほど、実は中学で苛められていた薫子は、俺にだけ、言いたいことが言えるらしい。生まれた時から隣同士で、ガキの頃は一緒に風呂とか入ってたりもしたからな。双子の兄貴、みたいなもんなんだろう。

 高校になってから、ちったあ友達が出来たみたいだけど、それでも相変わらず登下校だけは一緒だったりする。結構それがうっとうしい。貴子先輩に誤解されやしないか、と心配だ。

「なんて、言っちまったのが、マズかったのかな」

 七夕の夜、一緒に花火を庭でした時、あいつがあんまり貴子先輩のことをあばずれみたいに言うもんだから、つい、言っちまったんだよな。

「お前って、もしかして俺のこと好きな訳? お袋よりうっせーよな」

「ばっ! 自信過剰も大概にしなよ! ばっかじゃないの?! 貴子先輩にも相手にされてない癖に!」

 そう言って、じゅ、とまだ燃えている花火をバケツにつけた。

「もう、いい! あんたの顔なんか見たくもないわ! 明日から、あたし別の時間に出るから、もう呼びになんか来なくていいよ!」

 そう言って、ちゃちなフェンスを乗り越えて、あいつは自分ちへ駆け込んだ。

「ちょ、おま、何か相談があるとか言ってたじゃんよ!」

 暗くてよく見えなかったけど、あいつが立ち去る直前、ぽちょん、とバケツから水音がひとつ、した。

「……また、タゲられて苛めでも受けてんのかよ」

 当然ながら、返事はなかった。まあいいや。話さないんなら、そんな大したことぁないんだろう。

「それよか、てめえの心配だよな、俺」

 俺はその日、新しい貴子情報を小耳に挟んだ。結構俺は俺で、落ち込んでいた。

 この間の日曜日、貴子先輩が、男と腕を組んで楽しそうに笑って歩いてたのを、悪友A、田嶋が見たと教えて来た。

『なんか、大学生っぽい奴だったぜえ。お前、ヤヴァイって。ダメージ食らう前に、さっさと諦めた方が、まだ傷が浅いぜ?』

 どこまでがネタ扱いで、どこまで本気で心配してるのか分からんが、悪友B、上善までもがあれこれウザいことを言い出した。

『ほら、夏休みまでまだ二週間あるし。夏休みまでに彼女ゲットのチャンスはまだ、ある!』

 てめえらも、人のことよか自分の心配しろっつーの。

「ぬぁ~、やなこと思い出した」

 俺も、花火をじゅ、と消して、寝ることにした。


 ぴろーん。いつもの様に、薫子んちのドアホンを鳴らす。

「あら、もう学校へ行ったわよ? よう子ちゃんと一緒に、朝マックをすることにしたから、って」

「あ、そうっすか……」

 あの女、本当に先に行ったのか。可愛くねー女。折角夕べ聞いてやれなかった分、話を道すがら聞いてやろうと思ったのに。

 学校に着いてから、薫子に一応声を掛けてみたけど、いつもみたいな喧嘩腰じゃなく、他の奴らに対するのと同じ様に、こちらの顔色を窺う顔をして言った。

「あのさ、悪いけど、もうあんま馴れ馴れしく声掛けないでくれる?」

 工藤君に、誤解されるの嫌だから。

「あ? 工藤? って、F組の? バンド馬鹿の工藤?」

「馬鹿かどうかは知らないけれど、UNIXのヴォーカルやってる工藤君のことなら、正解」

 言ってる傍から、遥か遠く離れたこのA組まで、チャラけたパンク野郎が入り口から顔を覗かせた。

「かーおるこー」

 途端に色めいた歓声が教室から響く。薫子が、いちご大福の皮から透けて見えるいちごみたいな肌の色になる。そんな顔、初めて見た。

「ちょ、そんな大きな声で」

 その後は、聞こえなかった。回りの冷やかす声の所為だと思うけど。

「……工藤って、女の趣味、悪」

 それから、薫子と歯車がかみ合わなくなった。




 何か、面白くない。何で薫子にまで彼氏が出来るのに、俺には彼女が出来ないんだ!

「そりゃ相手を絞ってるからだろ」

「それも、あの貴子サマだし」

 悪友どもは、口々に俺のガラスのハートに止めを刺す。

「どぁー!! 面白くねえ! 夏休みまで、あと一週間もねーじゃんよ!」

 そう腐りながら、今日もむさ苦しい男ばかりでゲーセンでストレスを発散する俺だった。


 たった一週間ちょい足りない程度の期間で、悪友どもが、一人、二人とむさ苦しい輪から消えていく放課後。

 何でも家の高校には、女子の間でまことしやかに囁かれている噂(?)とやらがあるらしく。

『南門から、好きな人が右足から出て来た時にコクハクすると、恋が実る』

 とか言うくだらねえ話。この一週間ほど、南門から敢えて出て行く馬鹿野郎と、わんさかと南門周辺で待ち構える「いかにもまだあぶれてます」って感じの垢抜けない女達がひしめき合う放課後だった。

「ちょっと、お前もつき合えよ」

 最後の連れにそう言われ、本当は北門の方が近道の俺だが、しょうがないんでつき合った。連れは、馬鹿みたいに時折ツーステップを踏みながら、必死こいて右足から南門を出ようと躍起になっている。

「ばっかじゃねーの。くだらねえ」

 そう言って連れの方を見ていた俺の鼻を、甘い蜜蜂の香りが掠めていった。匂いの元を振り返る。思わず目で追ってしまう俺。――貴子先輩だ。

 そういえば、今日は家庭科室から、この匂いが漂っていた。調理実習で作った何かを鞄に詰めているんだろうか。

「あ、てめ、ずりぃ!」

 相方のその声で初めて気づいたんだが、俺は右足を前に出して南門をくぐり抜けたらしい。涙目になっているこいつに気を取られて貴子先輩から視線を外したのと、彼女が俺に声を掛けるのとが同時だった。

「いつも、同じ電車に乗るわよね。最近、彼女と一緒じゃないの?」

 思わず、連れに肘鉄を食らわす。お前、今日は邪魔だ。先に帰れ。

「え、あ、お? あ、いや、はい。あの」

「ちょっと、君に相談があるの。少しだけ時間をもらえるかしら?」

 俺の脳みその中で、りんごんがん、とウェディングベルが鳴る。これまで幾度となく彼女の心の留守番電話に送ったメッセージを、ようやく彼女が気づいてくれたのか。外套をまとうほどに凍えていた俺のハートが、一気に真夏を迎えた瞬間。あぁ、俺って、なんて詩人。

「全然、ヘーキっす!」

 目も眩む様な笑みが、貴子先輩の顔から零れた。俺、悶死。

 ――あれ? 何でだ?

 不意に、薫子のいちご大福な薄紅の頬をした顔を思い出して、ちくんとした。




 遊歩道を、高嶺の花と謳われる貴子先輩と並んで歩く。レースのカーディガンを羽織った、七分袖から透ける肌が色っぽく。

 何だか信じられなかった。彼女が俺の存在に気づいていたなんて。「皆には内緒にしているお気に入りの場所なの」と、あたかも俺を特別な存在みたいに、裏路地にひっそり佇む、洒落た喫茶店を教えてくれたことも。しかも、まさかそこで告られるなんて、もっとずっと予想外で、最初は喜びよりも、疑心暗鬼の警戒が先に浮かんだほどだ。

 何処かで引っ掛かっていたんだろう。前に薫子が貴子先輩を揶揄したむかつくあの一言。

 ――もっそい男の目、意識してるよね。

 あんまりにも自然でさりげない告り方とか、清楚に見せるのにどこかエロい雰囲気とか。さりげなく髪を掻き上げる仕草とかなんか、思いっ切り……いぁ、全然、意識してないぞ。うん、それは彼女の自然に出てしまう癖であって、別に他意はない。うん。

「この間までつき合っていた彼がね、何か、恋愛観にズレがある、っていうのかしら。物凄く束縛が強くって。幾ら好きでも、自分の時間や、他の人と親しくする権利を奪うことはタブーだと思うの。そう言ったら、茫然自失になった挙句、いきなり『お前、他に好きな男が出来たんだろ』ですって」

 そう言った彼に対して、腹が立たなかったと彼女は言うと、一度言葉を止めて、フルーツパフェの林檎をしゃり、と噛んだ。

「腹を立てる権利がなかったのね。その瞬間、私、彼じゃない別の人の顔が浮かんでしまったの」

 誰だと思う? と、林檎の果汁で少し濡れた彼女の唇が、綺麗な三日月を描いて俺に言葉を促した。上目遣いで覗き込む瞳。求めて止まなかった自分だけを見つめる瞳。なのに、何故だ。何で黒猫に目の前を横切られた様な気分になっているんだ、俺。

「わ、解りません」

 いや、これは遠回しに俺にアプローチを掛けてるんだろ。何を言ってるんだ、俺。

「そっか。わかんないか。じゃあ、次のデートまでの宿題ね」

 貴子先輩の表情から、エロエロビームが突然、消えた。のぁ?! なんちゅう切り替えの早さなんだ?!

 いや、ちょっと待て、今なんて言った? 次の――。

「でぇと?!」

 ガタンと思わず立ち上がる。しまった、声が店内に反響してる。ここは、いつも野郎オンリーでたむろするファミレスとは訳が違う。クラシックの流れる、上品な喫茶店。貴子先輩に似合う、結構高そうな食器がずらりと並ぶキッチンから、マスターが痛い視線を送って来やがる。

「よかったわね。お客様が私達だけで」

 そんな時にも冷静な彼女は、俺の愚行を迷惑がることもなく、上品に手の甲を口に押し当て、慎ましやかに笑い声をあげた。




 夏休みが来て。貴子先輩からメールが届く。

『今度の日曜、一緒に海に行きましょう。大丈夫。襲わないから(笑)。友達カップルも一緒なの。大勢の方が楽しいから、必ず八時に藤沢駅へ来てね』

 ――海――水着――。

「うぉぉぉぉぉ!! 貴子先輩のビキ」

 鼻血、噴いた。


 新し過ぎると、却ってクソ恰好悪い。しかし彼女いない歴十六年の俺は、スクール水着しか持ってない。なけなしの金は、レジャー費に、お袋に珍しく頭を下げて、水着を一着買って来させる。ついでに、ほどほどに使い古した感じに洗っておいてくれ、と頼んだら、ばばあめ、

「ふーん……女と、だな。海に行くってのは」

 とか抜かしやがった。悪友達とだっつってんだろ、と文句を言いながら、出掛ける用意をする俺に、

「あんた、気合入り過ぎじゃない。カオちゃんを泣かして来ちゃダメよ」

 と、四角いブツを差し出した。

「って、お前こんなのいっつも持ち歩いてんのかよ! つか、親なら逆の対応しろ!」

 四角いブツが何なのか、それは口にも出せないくらい俺には縁遠かったもの。ついうっかりそんなくだらないツッコミを入れてしまったが為に、結局お袋には、女も仲間内にいることがばれてしまった。

「っていうか、何で薫子の名前が出て来んだ。ちげーよ」

「あら、そうなの? おんなじ日に、カオちゃんも海に行くんだって、カオちゃんのお母さんから聞いたから。藤沢駅に八時でしょ? てっきりそうだとばかり思って、家の子と一緒じゃないか、って言ったら、カオちゃんのお母さん、やっとほっとした顔して許してあげたみたいよ?」

「……マジ?」

「マジ。大マジ」

 くれぐれも、自重する様に。

 くそばばあなお袋は、そう言って俺の方へ四角いブツを放り投げたまま、部屋をケタケタ笑って出て行った。




 だいぶ話を端折る訳だが、まあ結局つまりは以下の通り。


 貴子先輩は、やっぱり憧れの、聡明な高嶺の花だった。

「ちょっと、君にかまを掛けてみたの。理由はね」

 あのパンク工藤の兄貴って奴が、貴子先輩の元彼氏。でもって、弟みたいな感じで懐いていたんで、奴の愚痴を聞いてやっていたらしい。

『薫子がなかなか返事をくれない』

 という泣き言を聞いている内に、薫子というのが、毎朝同じ時刻の電車に乗っていた、俺の連れのことだと気がついた。そして、ついでに俺のことも、何となく思い出したという。

「つ、ついでっすか……」

「あは、それは失礼な言い方だったわね。ごめんなさい。結構面白い叫び声をする子だな、ってインパクトが強かったのは本当よ?」

 皆が海辺でキャッキャウフフしている中、しんみりと話す先輩と俺。ついでに俺を消沈させていたのは、先輩がビキニじゃなくて、ワンピースだったこと。意外とそんな姿を見ても、薫子のそれに敵わなかったこと。

 俺は、返事だけはしながらも、視線は波打ち際で工藤と戯れてビーチボールなんぞをしてる、薫子のピンクのワンピ姿を眺めていた。

「工藤弟も、お兄さんと同じで独占欲が強いからね。何か、薫子ちゃんが辛そうだな、って、何だか自分のちょっと前を見るみたいで放っておけなくて。工藤弟には、協力してあげるっていう振りをして、今回こういうお膳立てをしたの」

 なーんだよ、けっ。そんな言葉を、手にしたコーラと一緒に飲み干す。危うく騙されて浮かれ回るとこだった。貴子先輩の目当ては、っつーか目的は、薫子を自由にしてやりたかったってだけのことなんじゃん。

「ん? ちょと待て? 先輩、じゃあこの間喫茶店で言ってた宿題って奴、あれはどういう意味だったんっすか?」

 てっきり、告られたのかと思ったのに。

「君にも、テストしてみたの。私に告白された、と勘違いしたんじゃない?」

 物凄い困った顔を見せられて、結構傷ついたんだから。そう言って文句を言う割には、ころころと顔を上げて笑っていた。でもやっぱり手の甲で笑う口許を覆う、その仕草は上品で。

「君達はね、声が大き過ぎるの。電車の中で、話の内容が丸聞こえ」

 大切なものは、意外と近くにあるものよ。彼女はそう言って、海岸の方を指差した。

「ちゃんと、掴まえていらっしゃい。工藤弟も結構プライドが高いから、人の女に手をつけた、なんて言われるのは癪に障るタイプなの。だから、大丈夫よ」

 ぬける様な白い腕が、華奢な指をくねらせた手が、ひらひらと太陽の光を浴びて揺れている。俺はそれの動きに操られる様に立ち上がり、波打ち際へと歩いていった。


 灼けた砂の熱より、胸ん中の方が、妙に熱い。寄せては返す波のリズムなんか比べ物にならないほど早い、俺の心拍数。

 ビーチボールを受け損ね、転んで波に飲まれる薫子。それを助け、抱き起こすパンク野郎。ピンクのワンピはストラップがあまりにも細くて、彼女の左肩からずり落ちている。モロむき出しの薫子の肌を、厚かましく掴んでる工藤にむかついた。

 そいつの手から救い出すとアピールするみたいに、薫子の左腕をぐいと引き上げ立ち上がらせる。

「こいつ、風見鶏だからさ。てめえの気持ちより、相手の気持ちってのを先に考えて、自分の言いたいことを言えない奴なんだよ。俺以外には」

 嘘は、言ってない。それでわかんなかったら、工藤、お前薫子の彼氏失格だ。

「ちょっと、あんた何いきなり工藤君に訳わかんないこと言ってんのよ」

「うっさい、黙れ。てめえも最近、ウダウダ言った挙句にブッチしまくりやがって」

「え。おい、嘘マジかよ。だって薫子、そんなこと一言も」

「だーから! 言えない奴だっつってんだろ。てめえいい加減、理解しやがれ」

 可哀想だなんて思ってやらねえ。くそパンクの奴、貴子先輩に、もっそい非難の目を向けやがったから。「話が違う」と言いたげに、パラソルの下でおいでおいでをしている彼女の元へ逃げて行ったし。

「ガードしなくていいの? 貴子先輩、工藤君に取られちゃうかもよ?」

 まだ憎まれ口を叩くか、この風見鶏のちんちくりんめ。

「貴子先輩は、憧れだ。って、ついさっき、気がついた」

「何それ、貴子先輩に失礼。あんだけ大騒ぎしてたくせに」

「つか、今はその話じゃねーんだよ」

「じゃ、何の話よ」

 鈍い薫子が、死ぬほど憎い。今頃、灼けた砂で脚の裏を火傷していたことに気づいた俺。波打ち際に立ったまま、海水が痛いほどそれに染みて、泣けて来る。

 こんなとこで、言わされるのか? つか、こいつ言わなきゃわかんねーのか?

 何で人の顔色ばっか見て、他の奴らのことは解るのに、俺の気持ちはわかんねーんだ? その苛立ちが、長年俺に自分の本音を認めさせなかったと、ついさっきそれも気がついた。

「つまりだな……」

 恰好つけに、何度も女と海に行ってキャッキャウフフしてますアピした水着のポケットをまさぐる。

「おふくろの公認じゃ! お前今日から俺の女!」

 と、まるで何か昔のバラエティ番組の告白タイムよろしく、例のブツを取り出し高らかに掲げ、頭を下げてる俺がいた。

「……」

 沈黙が、長過ぎる。こいつ、それでも意味が解ってないんだろうか?

 おずおずと顔を上げたその刹那、悩ましいピンクのちょい細い縦ラインと、薫子の太腿の内側が視界一杯に広がった。

「いきなり何そんなこっ恥ずかしいもん晒してんのよこのバカエロ男子ー!!」

 空高く弾ける赤い飛沫は、薫子の蹴りを食らった為の鼻血なのか、煩悩悩殺ノックアウトの証なのか。どっちなのか解らないまま、俺は打ち寄せる波間の藻屑となっていた。




 そんなハチャメチャな夏が過ぎ、人肌恋しくなる秋の暮れ、ようやく薫子が返事をくれた。拒まない、という形で。

「ま、まだキスだけだからね! ま、まだほら、何かすっごい今更だから、照れ臭いし!」

 放課後、互いに友達とのつき合いがある為、いつも少しだけ待ち合わせている北門で。その入り口に立っている大銀杏の陰に隠れて、こっそりとそんな言葉を交わした。

 勿論、隠れたつもりでいたのは俺達二人だけだったりして、後日デバガメっていた悪友どもから、滅茶苦茶にボコられたのは言うまでもない。


 ひと夏のアバンチュールに憧れるより、結構、すぐそこにあるもんだ。

 居心地のいい場所とか、くすぐったいもんとか、守ってやりたくなるもんとか。

 そう言ったら、全員に

「偉そうに講釈垂れてんじゃねーぞ!」

 と、翌日から、放課後も悪友どもから解放された俺だった。

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