戦乙女と呼ばれた女騎士が全てを失った物語
青い空はどこまでも高い。
木々は微かに風に揺られ、小鳥の囀りが心地良く響いた。
その中をしずしずと歩くのは、王女ロゼリアと専属の女性騎士たち。
「まあ、ロゼリア王女よ」
「なんて美しい……まるで女神のようね」
令嬢たちはそう囁きながら、うっとりとその光景に魅入る。
陽光が王女ロゼリアの金糸の髪に反射し、きらきらと輝いた。無垢な青い瞳もまた、神秘的に光る。
その隣や後ろ、そして左右に連なる女性騎士たちは、全員が凛とした佇まいで見る者に恍惚の溜息を落とさせた。
「ああ……あの方団長のアストレア様でしょう? 凛としてなんてお綺麗なの……」
「ええ、それに堂々とした佇まい、まさに『戦乙女』と呼ばれるに相応しいわ」
そんな囁き声も何のその。
騎士たちは己の使命を全うすべく、ただただロゼリアに付き従っている。その証拠に手は何時でも抜刀できるよう、絶妙な位置に置かれていた。
その統率の取れた姿勢も芸術の一部のようで、見る者の目はうっとりと潤む。
『ロゼリア聖衛隊』
王女ロゼリアを守るべく結成された女性だけの騎士団。
可憐な美しさを誇るロゼリア、そして見目麗しい女性騎士たちの姿は、全国民の憧れの存在だった。
……しかし、それは外側だけの話である。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「ああ、ありがとう。……アストレアは?」
尋ねれば幼い頃から仕えてくれている執事は、無言で首を横に振ってみせた。いつもの事だが溜息は堪えきれない。
「そうか」
短く答えながらエミール・ランフォードはコートを預け、「食事は自室へ」とそれだけを言った。かしこまりました、と執事が深々と頭を下げるのを視線の端に捉えながら廊下を歩いていく。
(もう半年か)
『ロゼリア聖衛隊』団長アストレアと結婚してから数えて、とエミールはそう思考を巡らせた。
学生時代からアストレアが騎士を目指していたのを承知で婚約を結んだ。勉学と鍛錬を積んだ彼女の夢が叶った時は自分のことのように嬉しかったし、応援するとも告げたしそう行動した。
しかし、アストレアが王女の護衛に抜擢された時から歯車は狂い出した。
何故男性ではないのか? それは王女が隣国ヴァルテリアで『女性だけ』が演じる劇団の演目に酷く感激した結果である。見目麗しい女性騎士が剣を高々と掲げる凛とした姿、王女に跪き永遠の忠誠を誓う姿、繰り広げられる剣戟の華麗さ。どれもこれもが王女の琴線に触れた結果、帰国してすぐに働きかけ、女性だけの騎士団『ロゼリア聖衛隊』が作られるに至ったという訳だ。
同性同士だから何か『間違い』が起こることはない……が、それにかまけて『白い結婚』を強いられているこちらは堪ったものではない。
『聞いてくれ、エミール! ロゼリア王女の近衛騎士団に選ばれたんだ!』
と、アストレアは喜んでいた。その時は自分も心から祝福したし、励ましの言葉も送った。そこに偽りはない。
だがそれからというもの、彼女は王女を優先するようになり、婚約者であるエミールのことを顧みなくなった。仕事だと言われれば仕方ないし、何よりも相手は王族。逆らえばこちらの首が飛びかねない。
結婚すれば辞める方向に持っていけるかもしれない、と考えたが甘かった。
式を挙げ、迎えた初夜。身支度を終えて緊張しながら寝室のドアを開ければ、なんとアストレアは騎士の格好に着替えていた。
『あ、アストレア、どうしたんだい?』
動揺を隠しきれずにそう尋ねると、アストレアはきりりと顔を引き締めてこう言った。
『すまないが、これから任務だ』
余りのことに啞然としている自分をどう捉えたのか、彼女は安心させるかのように微笑み『行って来る』と言い残して本当に行ってしまったのだ。
それから半年が経った今も、アストレアは滅多に帰って来ることはない。
たまに帰って来て話し合おうとしても、
『この名誉ある職を降りろというのか!!』
と怒鳴られ、もういいとばかりにまた行ってしまう。
確かに王女に仕える騎士というのは立派な名誉職だろう。……が、何事にも限度というものがある。
エミールだけではない、『ロゼリア聖衛隊』に所属している者を妻としている者たちは軒並み被害を被っているのだから。
それに彼女たちは知らない。
華やかに魅せた裏で、どう見られているのかも。
「もう充分に夢は見ただろう」
エミールは『ある人物』を思い浮かべながら、ペンを取った。
その数日後。
王家の紋章を掲げた馬車が、夕暮れの道を走っていた。
順調な道のり……かと思われたが。
がたん!
不穏な音と共に馬車が停まり、馬のいななきが空気を切り裂く。
「何ごとなの?」
不安そうなロゼリアに「ここでお待ちを」と言い聞かせ、アストレアは馬車を降りた。
部下たちが睨みつける、その先にいたのは戦場帰りのような風体の男たちだった。身に纏うのは錆びついた鎧や獣の皮を無造作に纏ったりと統一感はない。しかしその眼光は全員獣のように鋭く、顔に刻まれた傷跡が凄みに拍車をかけた。
だが、それに怯むアストレアではない。何時でも抜刀できるよう、柄に手をかけて叫ぶ。
「何者だ!? 王女ロゼリアの馬車と知っ」
「かかれ!!」
言葉の途中で団長らしき男が声を張り上げた。それを合図に男たちは一斉に抜刀して走り出す。
「なんと卑怯なっ……!」
「卑怯?」
瞬時にアストレアに距離を詰めた男は鼻で笑って剣を振りかぶった。
「そんなもんで務まるか……よっ!」
ガツンッ!
「がっ……」
剣の柄で頭を容赦なく殴られた。兜も何もないところに与えられたそれは、予想以上に大きな衝撃と痛みをもたらす。
ぐらり、と目の前が歪んで足がふらついた。
「おらァッ!!」
今度は腹部への衝撃。
鎧がひしゃげる程のそれに、アストレアの喉から「かはっ」と空気が漏れた。
そのままの勢いで数メートル程吹っ飛ばされ、地面に叩きつけられてごろごろと転がる。立たなければ、と思うが上手く力が入らない。
こんな。
こんな、野盗如きに遅れを取るなど。
「ハッ! 噂通りとんだ『お飾り部隊』だな!」
そう嘲笑った男に合わせ、げらげらと嘲笑が響く。
屈辱と怒りでアストレアの目の前が真っ赤に染まった。
睨んでやるもどこ吹く風、とばかりに団長の男は肩を竦めてみせる。
「綺麗ごとだけで務まるとは、騎士とは随分楽な仕事なのだなぁ?」
「き、さま……!」
何とか声を絞り出すも、何の意味もない。
「ぎゃあっ!」
「が、ああっ……!」
野盗たちの攻撃の手は緩むことはなく、部下たちも次々と地に伏していく。
ガシャンッ!
馬車のドアが叩き壊される音が響いた。
「く、ここは通さな、ぎゃああっ!!」
その声と音で、馬車の中で待機していた部下も容赦なく引きずり出され、地に叩きつけられたのだと分かった。
「や、やめて、こないで、きゃあああーーーーー!!」
ロゼリアの悲鳴が容赦なく鼓膜を裂く。
「ロゼリア、さま……」
その呟きはロゼリアに届くことはない。
アストレアの視界は、急速に闇に飲まれ、消えていった。
意識が上昇するのに合わせ、目を開く。
この天井は見慣れた……王宮に設けられた治癒院だと分かった瞬間、アストレアの意識は一気に覚醒した。
「あっ……!」
がばっ、と勢いよく身を起こす。
すると。
「ようやくお目覚めですか」
冷たい声が降り注いだ。見上げれば、近衛騎士がこちらを見下ろしている。頭を覆う甲冑のため表情は分からないが、冴え冴えとした怜悧な気配に身体が固くなるのを感じた。
そんなアストレアの様子に気を止めることもなく、近衛騎士は言葉を紡ぎ出す。
「早く御支度を。広間で陛下と王妃様がお待ちです」
「ま、待て! 何故ここに、いやそれよりもロゼリア様は」
「早く御支度を」
「何度も言わせないでいただきたい」
有無を言わせぬ強い口調。
近衛騎士、しかも下っ端の分際で『ロゼリア聖衛隊団長』のこの私にそのような口を利くなど!!
怒鳴り付けてやりたかったが、陛下たちをお待たせする訳にはいかない。
「……っ」
アストレアは唇を噛みしめてベッドから降りた。
広間は重苦しい空気に満ちていた。
「此度のことは団長である私の責任であり」
「御託は結構だ。最早何の意味もない」
陛下は容赦なくアストレアの言葉を遮った。その表情は呆れと失望に満ちている。それは隣にいる王妃も同じで、扇で口元を隠しながら冷たい視線を注いでいた。
「そなたら『ロゼリア聖衛隊』とやらが、影で揶揄されていた通りだとよく分かった」
「! そ、それはどのような……?」
陛下はやれやれと軽く首を振り、口を開いた。
「『顔だけのお飾り部隊』、『飾り刃の戦乙女』、とな」
「なっ……!」
アストレアだけでなく、団員もざわりと不穏な空気を纏う。名誉ある職をそのように……! と屈辱と怒りで顔が歪みそうになった。ぐっ、と握り締めた拳に力が入る。
「やめよ。そなたらに憤りを感じる資格など無い」
「しかし」
「反論は許さぬ」
陛下の鋭い視線と声に、自然と口を噤んだ。
「ロゼリアが隣国で『演劇』の影響を強く受けそれを実現した。それを許したのはそなたらの剣の腕であれば、充分に職務を全うしてくれると信じたからに他ならぬ。……が、蓋を開けてみればどうだ? 日々の鍛錬を怠り、ロゼリアの『お供』として傍を歩くだけ、これでは『子守』と変わらぬではないか」
「……」
アストレアは痛い程拳を握り締めた。
何の反論もできない。野盗に遅れを取り、ロゼリアを危険に晒したのは事実なのだから。
そこで、ハッと気が付く。
「王女は……ロゼリア様はご無事なのですか!?」
その問いに陛下は重い息を吐きながら答えた。
「無事に決まっておる」
「これは『訓練』なのだからな」
ひゅ、と息を飲む音が妙に響く。
「……訓練、とは?」
「その通りの意味だ。そなたらも騎士見習い時代は散々行っただろうに何を今更。……近衛騎士達よ、甲冑を取れ」
陛下の命に「はっ」と近衛騎士たちは頷き、一斉に頭の甲冑を取った。
「あ、ああ……!」
露わになったその顔に、アストレア達は驚愕した。先程襲われた野盗たちのそれだったからだ。
その誰もが失望と嘲笑の混じった視線を、容赦なくこちらに注いでいる。
突き刺さるそれに、屈辱で身体がわなわなと震えそうになった。
「彼らは我が騎士団の中でも精鋭と呼ばれる部隊。手加減は加えるようにと通達したのだが、それでも簡単に制圧できたと聞いておる」
「そ、それはっ」
「反論は聞かぬと言った筈だ。『子守』の間、すっかり剣の腕も、そして騎士としての腕も鈍ってしまったようだな」
嘆かわしい、と陛下は額に手をあて、王妃は目を伏せる。訓練とはいえ、我が子が危険に晒されたのだから無理もない。
それと同時にアストレアの身体の芯も瞬時に冷え切った。
訓練ではなく、これがもし実際に起きてしまったら? 傷つけられるだけではなく、女性としての尊厳を奪う行為をさせられたとしてもおかしくない。
「あ……」
今更ながら己がしでかしたことの重大さに、身体の震えが止まらない。それは部下たちも同じで、不安そうに顔を見合わせる者、必死に何かを堪えるような顔をしている者など様々だ。
陛下はそれらを睥睨し、おもむろに口を開いた。
「本日をもって『ロゼリア聖衛隊』は解散。同時にそなたらの騎士としての職を解く」
ざわっ、と一同に衝撃が走った。
だが陛下は容赦なく告げる。
「これは決定事項だ。覆ることはない」
「使えぬ者に居場所を与えておく程、王家は寛容ではない」
「即刻この場を立ち去れ」
それが、最後だった。
アストレア達は今にも倒れそうな身体を必死に叱咤して礼をし、よろよろとその場を後にする他は無かった。
「いらっしゃいませ、アストレア様。どうぞこちらへ」
出迎えた執事は何故かアストレアを客間へと通した。
こちらでお待ちを、と言い含まれて、紅茶をテーブルへと置かれる。手を付ける気力もなく、それがだんだんと冷めていくのを見つめていると、ドアが開いた。
「お待たせしました」
エミールが礼をして、向かい側のソファへと座る。それに合わせて、アストレアは口を開いた。
「その……騎士の職を解かれてしまった」
「それはお気の毒に」
エミールの表情と声に変化はない。どこか他人行儀のようなそれに、アストレアは苛立ちを感じた。
しかし今はそれを露わにすることはできない、と口を開く。
「しばらく身体を休めたいのだが、構わないだろうか?」
「それは出来ません」
きっぱりと断られ、アストレアは愕然と目を見開く。
「な、何故だ!? 私は君の妻で」
すう、とエミールの目が狭められた。
「貴方はもう私の妻ではありませんよ」
一瞬の沈黙。
何を言えばいいのか分からないのか、口をはくはくとさせるアストレアにエミールは告げる。
「婚姻してから半年、その間あなたは任務があると言って家に帰って来るということが殆どありませんでした。これは所謂『白い結婚』にあたり、離婚の正当な理由になり得ます」
紅茶を優雅に口に運びながらエミールは続ける。
「たまに家に帰って来て話し合おうとしても貴方は聞く耳を持ってくれませんでした。これらの証明は簡単にできましたから、あとは書類を準備するだけでしたよ。その書類も正式に受理されましたから」
「待て!」
呆然としていたアストレアがようやく声をあげた。
「私の意思はどうなる!? そのような自分勝手なことが許されると思っているのか!?」
「私の意思を無視して勝手なことをしてきた貴方がそれを言いますか」
「……っ」
言葉に詰まったアストレアを嘲笑い、エミールは言葉を続ける。
「この国の法では裁判所が婚姻の破綻を認めれば、一方的に離縁を申し立てることが可能です。先程も申し上げましたが、正式に受理をされましたので、もう貴方と私は夫婦ではありません。なので、お好きなことを存分になさってください」
好きな、こと?
幼少からこの時まで、騎士となるべく生きて来た。
だからそれ以外の生き方など知らない。
どうすれば……。
「おや、随分と綺麗な手になりましたね。半年間の『任務』というのは、随分と楽だったようで」
エミールの言葉に、ハッと気が付いて己の手を眼前に広げる。
かつては剣ダコや複数の傷が付いていたその手は、柔らかな女性のそれに成り果てていた。
「アストレア嬢、私は貴方の騎士という職務に対する姿勢には、尊敬と賞賛の念を抱いておりました。ですがその職務を放棄し、ぬるい湯に浸かるようなことを良しとするその態度は、とても看過できません」
その言葉に今までの己の所業、そして何故職を解かれた理由までがエミールの耳に入っているのだとアストレアはようやく理解した。
「わたし、は……」
何とか言葉を紡ごうとした、その時。
コンコン
ノックの音に、エミールが「どうぞ」と応えた。ドアが静かに開けられ、「失礼します」と入って来たのは。
「カリスト!?」
アストレアが叫ぶようにその名を言うと、カリストは今気付きました、という顔をして顔を向けた。
「おや、客人とは姉上……いえ、アストレア様だったのですね。ご機嫌うるわしく」
「何故お前がここに!?」
そんなことはどうでもいいとばかりに遮られ、カリストは少しだけ目を狭めたが、すぐに笑みを浮かべて答えた。
「私はランフォード伯爵家の籍に入ったのですよ。領地経営のサポートをさせていただいております」
「カリスト殿は非常に優秀な方ですね。帳簿や税の管理などの基本的なことはもちろん、領民たちの暮らしにも目を配る広い視野をお持ちで逆に私が学ぶことも多い」
「そんな……お褒めいただき感謝いたします。これからも精進いたします」
「ああ、期待しているよ」
恐縮するカリストに、エミールは穏やかな笑みを浮かべた。
その光景に、アストレアの拳が震える。
何故。
何故、あのような『出来損ない』が評価されて、この私が。
「貴方の家……ラインハルト家は代々騎士の家系と聞かされておりました」
そんなアストレアの心情を見透かしたように、エミールは口を開いた。
「貴方には騎士としての資質はあったようですが、カリスト殿にはそれが無かった。そのせいでラインハルト家では随分と冷遇されていたようですね」
聞いておりますよ、『騎士の資質が無いとはラインハルト家の恥だ』『この出来損ないめ』と常々言われていたとか。それにアストレア様も加わっていたことも、と付け加えられ、彼女の顔から血の気が見る見る内に引いていった。
「全く……騎士の素質がない、たった『それだけの理由』で見限るとは。ラインハルト家の方々は見る目がないのですねぇ? まあそのおかげで、私は優秀なサポーターを迎えることが出来たのですから、そこは感謝いたします」
「だ、だが後継ぎは」
「そのようものはどうとでもなります。私が結婚できずとも、養子を迎えるという手もありますし。……だから」
「貴方の居場所は、もう無いのですよ」
放たれた言葉は、アストレアの心に容赦なく突き刺さった。
「ラインハルト家はアストレア様が継いでください。この国では女性でも爵位を得ることができますから」
さらにカリストがトドメを刺すかのようにそう告げる。
騎士の道一筋で生きて来た自分に、今更そんなことが出来る筈もない。
「あ、待ってくれ。もう一度だけで良い、チャンスを……!」
「赤の他人に過ぎない貴方に与えるチャンスなどありません」
「お引き取りを」
冷たく放たれた言葉に、胸が貫かれた。
瞬間、護衛たちに身体を拘束されてソファから立ち上がされる。
「あ、あ、まって、まってくれ! これから私はどうすれば!!」
そう叫ぶも荷物のようにアストレアはずるずると引き摺られていく。
「助けて、助けてくれ! 私は本当にエミールのことを愛して!」
縋るように伸ばした手を取る手はなく、言葉も届かない。
涙がぼろぼろと頬を伝うのを感じた。
扉がしまる寸前、見たものは。
安堵したように笑い合う、エミールとカリストの姿だった。
その後、『ロゼリア聖衛隊』の面々はアストレアと似たような末路を辿ることとなった。
軒並み離縁された後は、実家に戻された者、修道院に行った者、別の家に本人の意思は関係なく嫁がされた者……道は様々だが、その中で再び騎士として返り咲く者は一人もいなかったという。
アストレアは結局実家に戻った後、完全に心を病んで一室に閉じこもるようになった。焦ったラインハルト伯爵はカリストを返すようエミールに求めたが「彼の才能を見もしなかったクセに何を今更」と突っぱねられたことは言うまでもなく。
さらに『飾り刃を育てた似非騎士の家』『剣に目が眩み、才能を逃した家』などと噂が広がり、立場は悪くなるばかり。取り引きは幾つも打ち切られ、領民たちの覚えも悪くなり……このままゆっくりと衰退していく日々に怯えているという。
そしてエミールは。
「カリスト殿に縁談の話があるんだが」
「いえ、私はまだ学ばせていただきたいことが沢山ありますので!」
「うん、我が家で働いてくれるのは良いんだ。だけど、その、世間の目がね」
「これからもご指導よろしくお願いします」
「うん、それはもちろんだよ。だけどね?」
自分は独身で構わないが、カリストには何とか良い縁談を結びたい。
何故なら世間の目が、ちょっとこう、あれだから!
そんなエミールの心情も知らず、カリストは自分を救ってくれたランフォード家に恩を返すべく働くのだった。
(終)