2:模造骸骨
模造骸骨。
それは、世界でたった一体しか見つかっていない稀有な存在であり、イストリア社を唯一無二のサービス会社に仕立て上げた存在でもある。
約三年半前にこの国で発見され、歴史的大発見だと世界中で大騒ぎされたそれを、リリィは二つの媒体で見たことがある。
一つは、国の意向で音声がカットされたテレビ番組。
もう一つは、新聞や雑誌の写真。
情報量は決して多くないから、模造骸骨のことをほとんど知らないのと同じだ。
だが――それでも、目の前の彼が模造骸骨でないことは、はっきりしていた。
彼はどう見てもヒトだった。明るい銀色の髪も、少し緑が混じった海色の瞳も、色素がほとんどないような肌も。いつかリリィが見た「滑らかに動く骨格標本」とはまったく違っている。
そもそも、彼が模造骸骨であることをどうやって確認すればいいのだろう。
困惑していると、彼が言った。
「私の顔を見つめてくだされば結構です」
それで話を聞いてくれるのなら、見つめるくらい別に構わない。
ただ、彼がフードを目深に被っている上に身長差があるせいで必然的に覗き込むような形になり、別の行為を連想させることだけが気恥ずかしい。
リリィは場違いな緊張を悟られないよう精一杯努力して、優しく微笑んでいる彼を見つめた。
彼も、リリィを見つめ返す。
「――っ!」
見つめ合った数秒後、リリィは体を震わせた。微笑んでいるだろう異形の存在を目の当たりにして。
フードの下にあるのは、正真正銘の「がいこつ」だった。先程まで確かに存在していた髪も目も肌もなく、ローブとシャツの隙間から微かに覗く首元では真っ白な骨が露わになっている。何もない眼下の奥には複雑な影が広がっていて、特殊技術によるものでないことが感覚的に分かった。
「あは。やっぱり驚きますよね、突然こんな姿を見せられたら」
驚きのあまり不躾に見つめたリリィをよそに、彼は笑う。こういった対応をされることに慣れているのか、彼は憤るどころか「驚かせて申し訳ありません」と謝罪した。
「依頼人の方には全員確認していただいているんです。模造骸骨の名を騙る偽物が現れないようにと国から定められた規則でして……。今戻しますね」
「あ、いえ……」
一瞬で元の顔――彼にとってはヒトの顔のほうが作り物なのだろうが――に戻した彼に、リリィは頭を下げた。
「あの、こちらこそ、すみません。驚いたりして……」
「気にしないでください。皆さん大体驚かれますから。――それより、声のほうは大丈夫ですか?」
「えっ?」
「かなり痛めているようですが……」
「あ……はい。大丈夫、です」
ありがとうございます、とリリィは掠れ声で答える。
反応が遅れたのは、掠れ声しか出せない現状に慣れてしまっていたから。そして、心配そうに眉尻を下げた彼の顔を見て「本心から心配してくれているんだ」と、考えるより先に感じたから。
約四百年前、「魔力」というエネルギーの一種を操る能力のせいで普通の人間に迫害され、森で暮らすことを強いられた魔人が創った「ヒトと同等の知能を有する人工物」――。
それが模造骸骨の正体だ。
いくら彼が優しい声や心を持っていたとしても、孤立した魔人の支えになるよう人為的に創られたものでしかない。
それでも、リリィは彼を『自分と何ら変わりない存在』だと感じた。
思わず聞き惚れてしまうような声と、謎技術の人間形態を持ち、依頼人とはいえ子どもでしかないリリィにも大人と同等の対応をする優しい人。がいこつ時の見た目が少し怖いとか、創られた存在だとか、そんなことはきっと取るに足らない事柄なのだろう。
「あの……」
「何でしょう? ――あ、筆談でも構いませんので、無理して喋らないでくださいね」
「ありがとう、ございます。えっと……がいこつの姿でも、大丈夫ですよ」
リリィは掠れ声で申し出る。
「え?」
「さっきは、ちょっと、驚きましたけど……嫌なわけじゃない、ですから」
本心を伝えると、彼は驚いたように目を瞬かせた。
それから一拍置いて、その目を優しげに細める。
「ありがとうございます」
彼は嬉しそうな笑顔で答え、リリィを社屋内に招く。
イストリア社は新しくて綺麗な会社だった。社屋は二階建てで、正面奥側にはドアノッカーが取り付けられた扉が見える。手前には事務机が四つ置いてあり、そのうち二つは女性従業員がデスクワークに使っていた。
「いらっしゃいませ」
リリィの来訪に気付いた赤毛の女性が明るい笑顔で出迎える。十代後半くらいだろうか、模造骸骨の彼と同じく感じのいい人だ。
(そう言えば……この人の名前、まだ訊いてなかったっけ)
彼に案内されるまま階段を上るリリィは、彼の名前を知らないことに気付いた。発話代行サービスの存在を知ったのは人伝だったし、「発話代行人」としか呼ばれていなかったから気にしたこともなかったのだ。
「どうぞ、こちらにおかけください」
「あ、はい……ありがとう、ございます」
いくら模造骸骨とはいえ、こうして活動している以上、名前もしくは通称があるはずだ。だが、もしも名前を持っていなければ失礼にあたる――。
訊いていいものか迷っているうちに、応接室に到着してしまった。
礼を言って腰かけたリリィは目の動きだけで室内を見回す。
案内された応接室は、白い壁紙とダークブラウンの絨毯の対比が美しい部屋だった。
リリィの自室より少し広い部屋の真ん中には木製テーブルとソファーが、ドアと反対側の壁際には本棚とチェスト、そして何故か電話が設置されている。
恐らく、応接室としてはごく普通の部屋なのだろう。
それでも子どものリリィにとっては十分めずらしく、これから依頼内容について説明するのだと思うとどうしようもなく緊張した。ちょうど喉飴を舐め終えてしまったこともあり、口の中が急激に乾いていく。
「それでは社長を呼んでまいりますので、少々お待ちくださ――あっ」
これまでリリィが聴いたものよりも僅かに幼く、隙と呼べるものを感じさせる声。
その声にこれまでとは異なる気配を感じ取ったリリィは緊張を忘れて「どうかしましたか?」と尋ねた。
「……確認のためにフルネームと依頼内容を伺ってもよろしいでしょうか?」
彼が遠慮がちに申し出る。
会社の傍でリリィと会ったこともあり、本来最初に行う本人確認をすっかり忘れていたようだ。
(しっかりしてるように見えたけど……意外とそそっかしいのかな)
そう思ったら「デキる模造骸骨」として格好良く映っていた彼が急に可愛く見えて、リリィは慌てて口元を引き締めた。
彼の顔色はまったく変わっていないが――血色がないせいで赤くなりようがないのだろうけれど――内心気恥ずかしく思っているのかもしれない。
もはや「近所の優しいお兄さん(ただし模造骸骨)」にしか見えなくなってしまった。それでも何とか表情を保ち、リリィは掠れた声で名乗る。
「リリィ・ロウ、です。お兄ちゃ――兄のことで、お話を聞いていただきたくて……」
「ありがとうございます」
エルトゥスは礼を述べ、美しい所作でお辞儀する。
「すぐに紙とペンを用意いたしますので」
「あ、いえ。本当に、大丈夫です。掠れてるだけで、痛いわけじゃない、ので。……あの、喉飴を舐めながら話しても、いいでしょうか?」
「もちろん構いませんよ。ロウ様のお声を第一になさってください。それでは、失礼いたします」
ドアの前で礼儀正しく一礼して、彼は部屋をあとにした。
ココアブラウンの扉が静かに閉まり、応接室という小さな空間にリリィだけが残される。
(どうしよう、また緊張してきた……)
ショルダーバッグから喉飴を取り出す手が震えていることに気付いた途端、緊張度合いが一層深くなる。
もうすぐ社長が来てしまう。この小さな部屋で、断られたり後回しにされたりする前提で依頼内容を話すことになってしまう。
依頼人である以上、大人も子どももないはずだ。しかし、リリィは他の依頼者のように高額の依頼料を支払えない。模造骸骨の彼はともかく、社長が「こんな子どもが場違いな」と思う可能性は十分ある。
事実、場違いなのだから、見くびられるのは仕方がない。
一体どのくらい待っていたのだろう。ごく短い時間だったかもしれないし、五分くらい経っていたのかもしれない。今のリリィには時刻を確認する余裕すらなかった。
緊張状態に置かれていたリリィには分かりようがなかったが、応接室のドアが開いたのは、彼が退室してちょうど一分後のことだった。