1:田舎町にて
喉にいい喉飴って、どうして味はおいしくないんだろう。
随分と小さくなった飴玉を舌で転がしながら、リリィ・ロウは心の中で呟いた。
フラッタ中心部にある駅で下車してから徒歩三十分。小さなそれを噛み砕いたリリィは、ショルダーバッグから新しい喉飴を取り出して口に含む。
(――やっぱりおいしくない)
効果がなければ絶対に食べたくない味だ。もっとも、肝心の効果さえ気休め程度でしかないのだが。
吹き抜けていく冷たい風に、肩まで伸ばしたライトブラウンの髪が揺れる。
まだ着かないのだろうか。フラッタ駅で購入した蛇腹折りの地図と周囲の建物を見比べ、リリィは胸の内に湧く不安を押し込もうとした。だが、髪と似た色の瞳には、押し込み損ねた不安が滲んでいる。
「田舎の中では都会寄り」。そう称されることの多いフラッタの街は、評価通り利便性の高い街だった。人口は三万人強と少ないながらも個人商店から娯楽施設まで一通り揃っており、小さな駅には停まらない有料の特急列車も停まる。
何より、フラッタには映画館があるのだ。しかも、スクリーンが二つもあるのに休日は立見席まで埋まることもあるというから、十四歳のリリィにもフラッタの都会さがよく分かった。
映画館があるくらいで、何故、都会扱いされるのか――。
その答えはただ一つ。「そもそも田舎には映画館がないから」だ。
もちろん、中には映画館がある町もあるだろうし、ドライブインシアターで鑑賞できるところもあるだろう。
しかし、大半の町には映画館などなく、最寄りの映画館まで片道数時間というケースも少なくない。リリィが住むネムの町では「映画館に行った」ことがちょっとした自慢話になるのだから、「映画館がある」イコール「都会扱い」も頷ける。
とはいえ、田舎は所詮田舎だ。中心部は賑わっているフラッタも、そこから離れてしまえば普通の田舎町と変わらない。
何代も続く地域密着型の商店と、一定の間隔で立ち並ぶ家々、この国ではめずらしいイネ用の田んぼや淡色野菜の畑。
建築様式や栽培品目こそ違っても、田舎というのはどこも似たような風景になるものだ。
(道は間違ってないはずなんだけど……)
本当に、こんな辺鄙な場所に有名な会社があるのだろうか。
急激に人通りが少なくなった街はずれの風景に、押し込めていた不安が溢れ出す。
リリィが「発話代行サービス」を知ったのは、厳しい冬の寒さが少しずつ和らぎ始めた一昨日のことだった。
発話代行サービス会社・イストリア――。
フラッタの片隅に居を構えるその会社は、世界にたった一つしかないサービスを提供している。ただし依頼料は基本的に高額で、受ける依頼は常に一件のみ。同時期に二件以上依頼された場合は優先度の高いものから引き受けるらしい。
その点、リリィはかなり運がよかったと言えるだろう。駄目元で電話をかけたところ、たまたま予定が空いており、依頼料は要相談で話を聞いてくれることになったのだから。
(引き受けてもらえるかな……)
イストリア社は「発話代行というサービスを利用しなければ解決できない依頼のみ引き受ける」と言われている。リリィの依頼内容もそれに当てはまるから話を聞いてくれるのだろうし、勝算がないわけではないはずだ。
しかし、リリィは他の依頼人のように十分な依頼料を支払うことができない。リリィの全財産は高等学校を卒業した者が貰える平均初任給の約半分だ。両親に頼めば多少増えるかもしれないが、それでもイストリア社が想定しているだろう依頼料には届かない。
それに、仮に依頼を受けてもらえたとしても、他の依頼人が「依頼料を弾むからこちらを先に受けてくれ」と言い出したら後回しにされる可能性がある。
あれこれ思い悩みながら歩いているうちに、フラッタ市の端のほうまで来ていた。
ここまで来ると店の類はほとんどなく、あるのは住宅と自然だけ。交通量も随分減っている。世界でたった一つの会社が本当にこんなところにあるのだろうかと考えずにはいられないような場所だ。
そもそも、イストリア社は何故、こんな田舎に居を構えたのだろう。大都市で暮らしたくないのだとしても、せめて、フラッタから特急列車で片道一時間半の場所にあるテトラノール第二の都市・ンノー周辺で起業すればよかったのだ。ンノーのはずれなら自然もあるし、利便性もそこまで悪くないのだから。――もちろん、ンノー周辺には映画館だってある。
「……あっ」
勝手なことを考えながら歩道を進んでいたリリィは小さく声を上げた。二軒先の建物にイストリア社の釣り看板が出ていたのだ。
見つかってよかった。安堵していると、建物から誰か出てきた。
多分、社員だろう。断言できないのは、彼が「魔人」を思わせる濃紺のローブを着ていたから。
銀糸で装飾が施されたローブは上品で美しいが、現代でその格好は怪しすぎる。フードを目深に被っているからなおさらだ。
まあ、ある意味ではイストリア社そのものが怪しいのだから、服装くらい大した問題ではないのかもしれない。
「――ご予約の方ですか?」
向けられる視線に気付いたのだろう。彼は歩道の真ん中で立ち止まっているリリィに声をかけた。
優しい声だと、そう思った。相手を思いやる気持ちをそのまま形にしたような印象を受ける。よく通る声にもかかわらず耳障りではないのは、響きが穏やかだからだろう。
「すみません、人違いでしたか?」
「……あ、いえ!」
優しい声に気を取られて反応が遅れてしまった。
リリィは頬を赤くしながら依頼人である旨を伝えて彼に近付き――驚いた。
月光をそのまま糸にして束ねたような明るい銀髪と、浅瀬の海を思わせる青い瞳。優しい印象の顔立ちに、影の中でも色白さが際立つ肌。
何気なく見上げた彼の姿は、その声と同じく、優しさや穏やかさを体現したとしか思えないものだったのだ。まるで誰かがそういうふうに作ったみたいに。
「お待ちしておりました」
驚くリリィをよそに、軽く一礼した彼が尋ねる。
「それでは早速ですが、中でお話を伺う前に確認していただいてもよろしいでしょうか?」
「確認?」
一体何の確認だろう。
首を傾げたリリィに、彼は優しい声のまま言った。
「私が模造骸骨であることの確認です」