4:発話代行サービス
肌寒い風が吹き込む真っ白な病室に、啜り泣くローダンの声だけが響く。
「彼」は悲しみに打ち震えるローダンの姿を見つめたあと、深々と頭を下げた。
「――謀るような真似をして申し訳ございません」
ジュリアンのものとはまったく違う声が、ローダンを慰めるように優しく響く。
「イストリア社所属の発話代行人、エルトゥス・アサラと申します」
彼本来のものであろうその声は、実に穏やかだった。高さはローダンとジュリアンの中間くらいだろうか。模造骸骨に年齢や性別といった概念があるのか定かではないものの、人の好い青年を連想させる声だ。
「……やっぱりジュリアンじゃなかった」
そりゃそうだよな、とローダンは笑う。
数か月ぶりに浮かべた笑顔は悲しげで、それでいて晴れ晴れとしたような感情が交じっていた。
「エルトゥスさん、だっけ」
義眼がずれないよう気を付けながら涙を拭い、エルトゥスに声をかける。
「もし嫌じゃなかったら手を握らせてもらえませんか。そうすれば模造骸骨だって分かると思うから」
「承知しました。それでは……失礼します」
穏やかな声で答えたエルトゥスはローダンに近寄るとその手をそっと持ち上げた。涙で微かに濡れた指先に骨の手を宛がい、そっと握り込む。
吹き込む風に冷やされたのか、それともローダンが熱すぎるのか、硬質なそれは少し冷たい。
「……ああ、本当に……」
いつだったかジュリアンが興奮気味に話していた模造骸骨が、今、俺の目の前に。
そう思った途端「ジュリアンにも会わせてやりたかったな」という言葉が口を衝いた。守りたかった恋人を死なせてしまった自分にそんなことを言う資格はないのに。
「……エルトゥスさん」
「何でしょう? ……ああ、敬語でなくとも構いません。楽に話していただければと思います」
「じゃあ、そうさせてもらいます」
手を離したローダンはふっと口元を緩め、数秒と経たないうちに引き締める。
「今さらだけど、廊下には誰かいる?」
「見届け人として社の者が一名、廊下側のドアの前に立っております。ご夫人方には間違いなく席を外していただいておりますのでご安心ください」
「そっか……」
それなら、何を話しても、優しい母親を泣かせることはない。
安堵したローダンが息を吐く。散々ローズを困らせておいてこんなことを言うのはおこがましいが、エルトゥスとの会話で泣かせるようなことはしたくなかった。
「でも、エルトゥス。どうやってジュリアンになるつもりだったんだ?」
と、ローダンは首を傾げる。
「声や話し方は似せられても、デートの思い出話なんかされたら分からないだろ」
「プリゼ夫人に見せていただいた、ジュリアン様の日記の内容を元にお話しさせていただくつもりでした。ジュリアン様はローダン様と過ごした日々について詳しく綴っておられましたので。……お二人の大事な思い出を覗いてしまい申し訳ありません」
「ジュリアンの奴……恥ずかしいからやめろって言ったのに、まだ書いてたのかよ……」
万が一、誰かに読まれたら恥ずかしいだろ。そう言って日記に書かないよう頼んだローダンに、ジュリアンは「ローダンとの思い出を見える形で残しておきたいから」と譲らなかった。
結局、ジュリアンがどうしたのか確かめる術はなかったが、参考資料になるほど細かく書き綴っていたようだ。
「――ローダン様」
涙をこぼしながら笑うローダンに、エルトゥスは「もしご不快でなければ」と前置きした上で提案する。
「ジュリアン様がローダン様にお伝えしたかったことを、私から伝えさせていただけないでしょうか」
「……俺に伝えたかったこと?」
「はい。……日記の中には、ローダン様にお伝えしていないであろう内容がございました。今回の依頼に即したものではなかったため、お伝えせずに去ろうと考えておりましたが……ローダン様が真実を知った今、発話代行人としてお伝えすべきだと感じました」
「…………」
エルトゥスの提案を受け、ローダンは黙り込む。
発話代行サービスの売りは「特定の声を完璧に再現し想いを届けること」だ。エルトゥスの口ぶりから察するに、彼は日記に書かれていただろう膨大な量の思い出を粗方暗記しているのだろう。ならばジュリアン・プリゼとして話すことなど造作もないはずで、その点において疑う余地は一切ない。
だが、ローダンは迷っていた。
エルトゥス・アサラという模造骸骨は素晴らしい発話代行人かもしれない。
それでも、エルトゥスはエルトゥスだ。いくら声や話し方を似せても本物のジュリアンにはなり得ない。――なり得ないけれど。
「……じゃあ、ジュリアンとして話してよ」
もしも許されるなら、ほんのひとときだけ、ジュリアンに扮するエルトゥスと話がしたかった。
――終わらせてよ、ジュリアン。
視力を失って墓石すら確認できない俺に、エルトゥスを通じて「さよなら」を伝えて。