8:国立魔法研究所
研究所というものは、概ね辺鄙な場所に居を構えているものだ。
そして、それは国立の研究機関でも決して例外ではない。
国立魔法研究所・本部――。
魔力や魔法使い、魔人に関して日夜研究を行う研究機関の建設地として選ばれたのは、テトラノールの首都・トラビカから普通列車で約四十五分かかるジトリの町だった。
しかも、ジトリ駅から研究所までは車で約十五分。道こそ舗装されているものの商業施設の類は駅周辺にしかなく、研究所周辺にあるのは点々と建つ工場と昔からある家々、そして田畑だけ。暮らしやすさで言えばフラッタのはずれのほうがよほど便利だろう場所に、国立魔法研究所は居を構えている。
そんなジトリの町にノア・アングレカが滞在を始めてから、二週間が経過した。
別に、ノアが滞在する必要はないのだ。研究所側は「調査が終わり次第エルトゥスをアングレカ邸に送り届ける」と書面で約束してくれたし、契約面のサポートとして同行したハヅキは既にフラッタに戻っている。大学の授業があるノアがジトリに留まる必要はどこにもない。
それでも留まっているのは、純粋にエルトゥスが心配だったからだ。
たとえ研究所側にエルトゥスを傷付ける意思がなくとも、不慮の事故は起こるかもしれない。そう思ったら遠く離れたフラッタで過ごすことはできなかった。
幸いにも、研究所側は「定期的にエルトゥスと会わせてほしい」というノアの申し出を拒まなかった。流石に研究施設内には入れてもらえなかったが、併設のカフェテリアで毎晩食事がてら面会できることになったのである。
結果として、エルトゥスの心身に悪い変化はなかった。骨の耐久性を調べる強度実験こそ行われたものの、あくまで「日常生活で想定される衝撃程度」に留められており、不必要に強い力は加えられなかったという。
また、研究員の大半はエルトゥスに対し、好意的であるようだった。「現存する唯一の模造骸骨だから」という以前に、エルトゥスの人柄が好まれているらしい。――もっとも、ノアとしては「まあ当然だよね」としか思わなかったが。
一方、意外な出来事もあった。ノアに対して好意的な研究員が現れたのだ。
ノアたちが初めて研究所に顔を出した日、ノアは調査リーダーの魔法使い・オズワルドと二人で話す機会があった。そのとき、ノアは藪から棒に言ったのだ。
「伝えられる範囲でいいから、調査で分かったことすべてを正確に教えてよ」
相手が自分のことを知らない以上、子どもだからという理由で適当にあしらわれることは覚悟していた。
だが、返ってきた返事は「分かった」というもので。
その返事通り、オズワルドは正確な情報を持ってカフェテリアに現れたのである。
ノアにとっては嬉しい誤算だ。しかし、それ以上に「何故」という気持ちが強く、ある日、ノアは彼に理由を尋ねた。
「ボクみたいな子どもの言うことをどうして聞いてくれたの?」
すると、彼はこう即答した。
「子どもかどうかなんて関係ねえだろ」
彼曰く、説明を求める者に正しい情報を伝えるのは専門家として当然のことであり、年齢や性別で対応を変えることがあってはならないのだという。だから、ノアの申し出も二つ返事で引き受けたのだと。
その話を聞いたノアの正直な感想は「意外」だった。オズワルドのように考える大人は少なかったし、たとえ彼と同じ主張をしていても、自分の分が悪くなった途端「今回は例外」だと約束を反故にする輩が複数いたからだ。
――でも、まあ、この環境ならそうなるか。
「魔力を操る」という能力は潜性遺伝、つまり現れにくい因子だと考えられている。
だからこそ魔法使いは希少なのだが、実は希少さに拍車をかける要因がもう一つあった。
遺伝子を受け継いだのが男性である場合、女性よりも圧倒的に発現しにくくなっているのだ。
つまり、オズワルド・アンリ・パルテという存在は、テトラノール中の魔法使いが集う国立魔法研究所においても貴重な存在なのである。
では、数少ない男性魔法使いが職場で特別扱いされるかというと――答えは恐らく「否」だろう。
男性ばかりの職場が男社会になるように、女性ばかりの職場は女社会になる。体力面で差がつきやすい他の分野ならいざ知らず、魔力を操る能力と頭脳が重視される魔法研究所なら、なおさらだ。
まあ、カフェテラスで会った女性魔法使いたちは皆――サブリーダーを務めているサラという人物だけは別だったが――気さくで人柄も良さそうだったから、男であることを理由にオズワルドが肩身の狭い思いをしているわけではないのだろう。
それでも、男社会になりがちな他の研究所とは違う環境に身を置いているからこそ、オズワルドの思考は他の大人より柔軟なのかもしれなかった。
そんなオズワルドの協力もあり、ノアはエルトゥスの情報をそれなりの精度で知ることができた。
二週間の調査で判明したのは、大きく分けて四つ。
「エルトゥスが有する感覚」と「声を模倣する仕組み」「活動システム」――そして「エルトゥスの記憶について」である。
まず、エルトゥスが有する感覚について。
エルトゥスは味覚を除いた四感――視覚・聴覚・嗅覚・触覚を有しているらしい。見た目は骨身でも、感知に必要な部位は魔力で疑似的に作り出されているのだという。
ただし、触覚は人間よりもやや鈍く、痛みや気温を感じる能力も意図的に下げられているようだ。
次に、声を模倣する仕組みについて。
エルトゥスの疑似声帯は、普段「地声」の状態で固定されており、出せる音域もある程度決まっている。だが、エルトゥスが「声を変えたい」と思うと声帯が変化し、望み通りの声を出せるのだそうだ。
しかし、変えた声をストックすることはできず、声の模倣自体もエルトゥスが感覚で行っているため、特定の声を完璧に再現するには訓練が必要とのことだった。
続いて、活動システムについて。
エルトゥスはエネルギー源として「自身を構成する魔力」を使用しており、補充のために睡眠を必要とするらしい。これは根幹的なシステムであるため、干渉能力に長けた魔法使いでも変更することはできないようだ。また、睡眠で魔力が補充できる詳しい仕組みまでは分からないという。
そして最後に、エルトゥスの記憶について。
かつてノアが推測した通り、エルトゥスは過去に関する記憶を意図的に消されている――かもしれないらしい。
歯切れの悪い表現になっているのは、正確なことが分からなかったから。
今回の調査で確認できたのは「記憶領域にあたる層にだけ強力なロックがかかっていること」と「変更はおろか読み取りすら難しい仕様になっていること」「エルトゥスを稼働させたあとに付け加えられた可能性が高いこと」だけ。
ただ、これほど厳重に管理された記憶が簡単に失われるとは考えにくく、だからこそオズワルドたちは「自分たちと暮らしていた頃の情報が流出しないよう記憶を消した上で念のためにロックをかけた」と推測しているようだった。
けれど、ノアの推測は、彼らが出したものとは違っていた。
(――きっと、エルを創った魔人はエルに何かを託したんだ)
魔人がエルトゥスの記憶領域にロックをかけたのは、消した記憶を護るためではない。
当時の記憶がまだ残っていることを隠すため――。
それがノアの推測だった。
魔人は、眠りから目覚めたエルトゥスが、自分たちと類似の能力を持つ者――もしくは敵対した国家そのものに危険視されないよう、あえてエルトゥスの記憶を封じたのだろう。
しかし、消したわけではない以上、記憶はやがて蘇る。
封じられた記憶がいつどのような方法で蘇るかは分からない。ただ、もしも自然に蘇るのだとすれば、「模造骸骨という遺物が新たなコミュニティに馴染んで十分な時間が経過してから」に設定しているだろう。
『L』は「自分を必要とする者」の下で目覚めるのだから、ある程度友好的に迎えられることを想定しているはずだ。
そして、ときが満ちたある日、封じられた記憶は蘇り、『L』は託された使命を果たす――。
(まあ、ボクの妄想かもしれないけどね)
これはあくまで推測で、そもそもノアに事実を確認する術はないのだ。
だから、自分の考えは胸の内に秘めておこうと思う。――もしかしたらノアが生きている間に「ある日」が来るかもしれないが、それはもうどうしようもない。
結局、エルトゥスの調査は二週間で終わりを告げた。当面の研究に必要なデータを概ね取り終えたこと、エルトゥスの記憶を復元する方法が現段階ではないことが終了の決め手になったようだ。
ただ、歴史解明のために今後も定期的に調査させてほしいとの申し出と――諸々落ち着いたらンノー分所にも顔を出してほしいとの申し出があった。今回の歴史的調査に参加できなかった研究員からの恨み節がすごいのだという。
もちろん、エルトゥスはこれを快諾した。
「オズワルドさん、お世話になりました」
「おう。また来いよ」
「あんまり来たい場所じゃないけどね」
「ノア!」
ノアの素直な、それでいて捻くれた返事をエルトゥスが諫める。
だが、チーム代表で見送りに来ていたオズワルドは楽しげに笑うだけで。その対応に安堵したらしいエルトゥスは「次は皆さんにお土産を買ってきますね」と言い、微笑む代わりに首を傾げた。




