2:全部、自分のせい
閉じたカーテンの隙間から宵の口特有の肌寒さが忍び込む。
ベッドに横たわったままのローダンは、アップルパイに手を付けることなくドアのほうを眺めていた。
事故で大怪我を負ったローダンが意識を取り戻して四か月。
目や足の怪我がもたらす酷い痛みに眠れなかった夜も、ただ日が昇っただけの朝も、同じ時を繰り返すだけの昼も――この四か月間、ローダンが考えていたのは恋人であるジュリアン・プリゼのことばかりだった。
学校のことも、これからのことも、どうでもいい。ましてや自分の足のことを考える必要があるとは思えなかった。
(――俺が歩けるようになったって、ジュリアンはきっと喜ばない)
ジュリアンが事故に遭ったのはローダンのせいだ。「学期末テストが終わったからデートしよう」と誘ったのも、デートの場所にウィンター・マーケットを選んだのもローダンなのだから。
(全部、俺のせいで……)
デートの当日だって、ジュリアンはあんなに楽しそうに笑っていたのに。
「ローダンと一緒ならどこへ行っても楽しい」と幸せそうに話していたのに。
ジュリアンがローダンに微笑みかけることは、恐らく二度とない。
「ジュリアン……っ」
自責の念に堪え切れず彼の名前を口にする。
ショートヘアにした柔らかなブラウンの髪、ターコイズブルーの瞳。
十六歳の少年にしてはふっくらした頬と、柔らかな唇、優しく響く高い声、ローダンとは正反対の小さく細い体。
ジュリアンと離れ離れになって四か月経った今でも、その細部を鮮明に思い出せる。――鮮明に思い出せるのに。
「もう一度会いたい」と願う資格などローダンにはないのだろう。ジュリアンのすべてを奪ったのはローダンなのだから。
それでも会いたいと、声を聴きたいと願ってしまう自分の欲深さに反吐が出そうで、ローダンは枕に顔を埋めた。
動かないのは怪我の度合いが酷かった膝から下だけ。それでも四か月以上まともに動いていないせいで、脚以外の筋肉もすっかり痩せてしまっている。事故に遭う前は運動全般が好きで、テスト期間ですら「一日中勉強してるとどうにかなりそうだ」と時間を割いて体を動かしていたのに。
――ローダンはすごいなあ。
物音一つしない病室の中、いつか聴いたジュリアンの声が頭の中で響く。
――僕、運動って好きじゃないんだ。全然上手くできないし、上手くできないから皆の邪魔になって目を付けられるし。
だから運動全般が嫌いになってしまったのだと、いつかのジュリアンは苦笑いした。
事実、ローダンから見たジュリアンの運動能力は著しく低かった。ボールを投げることはおろか打つことも蹴ることも下手で、走りは遅く、持久力もない。
なるほど、ここまでできなければ好きになれないのも無理はないだろう。ローダンだって、ジュリアンと出会うまで物理は大の苦手科目だった。
ただ、ジュリアンの運動能力が極端に低いのは「どうすれば良くなるか」を理解しないまま嫌々続けていたせいで、端的に言えば「良き指導者がいなかったせい」だった。
(運動が苦手だって、ジュリアンに合わせた方法で練習すれば、絶対上達するはずだ)
そう考えたローダンが指導すると、たった二か月でジュリアンの運動能力は大幅に向上した。
あのとき見た『ジュリアンを馬鹿にしていた同級生連中の顔』は、一生忘れないだろう。
――ローダン、ありがとう。
柔らかな頬を喜びに染めながら、いつかのジュリアンが笑う。ローダンが教えてくれなければ「運動神経が悪い自分じゃ何もできない」と思い込んだまま一生を終えていただろうと。
そう語るジュリアンは本当に嬉しそうで、ターコイズブルーの瞳もきらきら輝いていて。
そのとき、ローダンは気付いた。これまで友達だと思っていた同級生に、心の底から惹かれているのだと。
適切な練習方法など教えなければよかった。
毎日一緒に過ごさなければよかった。
そうすれば、自分とジュリアンは「ただの友達」で終わっていたのに。
性別を超えて惹かれ合うことも、こんな形で別れることもなかったのに。
だが、後悔しても遅い。時間は決して巻き戻らないと、十六歳のローダンは知っている。
「……う、ぐ……」
脳裏を過ぎる事故の瞬間と込み上げる吐き気に嗚咽が漏れる。
ローダンは事故発生時のことをほとんど覚えていない。覚えているのは、雪にスリップした大型車がコントロールを失い歩道に突っ込んできたこと、事態を認識した直後に跳ね飛ばされたこと、意識を失う直前叫び声を聞いたような気がすること。それだけだ。
跳ね飛ばされ、何か硬いものに叩き付けられたローダンは、ジュリアンの様子を確認するどころか自分の体がどうなっているかさえ分からないまま意識を失った。
そして、一週間ほど生死の境を彷徨って目覚めたとき、すべては終わっていた。
いや、まだ何も終わっていない。ローダンには終わることすら許されていない。
(終わらせてよ……ジュリアン)
それができるのは君だけなのに、君はもう俺の前に現れない。