1:この世ならざる者
エルトゥス・アサラが所属する発話代行サービス・イストリア社には、多種多様な依頼が持ち込まれる。
発話代行人として正式に活動し始めてから約一年。依頼の中には風変わりなものや依頼人の人生を左右しかねない内容のものもあった。
しかし。
「――亡霊と話してほしい?」
今回のように〝この世ならざる者〟との会話を依頼されるのは、今回が初めてだった。
(亡霊?)
終業時刻が間近に差し迫った夕暮れ時の事務室・一階。青年の姿で隣の席に座っていたエルトゥスは首を傾げる。
最初の口ぶりでは依頼申し込みの電話のようだったが、電話を受けたノアは確かに「亡霊」と言った。その言葉があまりに異質だったからか、デスクワークをしていた女性従業員二人――サラとマリーもノアに視線を向ける。
赤毛のマリーはノアからエルトゥスに視線を移すと「亡霊って言いましたよね?」と目だけで尋ねた。
(うん、言った)
と、エルトゥスも頷きだけで答える。
マリーが「やっぱりそうですよね」と頷き返す中、サラはデスクワークに戻っていた。普段から喜怒哀楽をほとんど表に出さない彼女は何事に対しても興味が薄いほうだから、一瞬気になっただけなのだろう。
(僕は気になるけど……)
エルトゥスはノアに視線を戻した。マリーもノアを見ている。
一方、ノアは「それってまさか幽霊ってことじゃないよね?」と依頼人に確認を取っていた。そんなわけないだろうと言いたげな口調だ。
しかし、依頼人は肯定したらしい。ノアは分かりやすく眉を顰めた。
「あのね、うちは誰かの想いを代弁する会社だよ。幽霊を除霊する会社じゃない。電話するところ間違えてるんじゃない? ……『模造骸骨ならもしかしたら』? 何それ。ボクのパートナーをどういうふうに思ってるわけ?」
「……どうしたの?」
エルトゥスは声量を落とし、ノアに声をかける。普段なら通話中に話しかけることなどないが、依頼希望者と揉めそうな気配を感じ取ったのだ。
「教会の近くに出る亡霊と話してほしいんだってさ」
送話口を手で覆ったノアは、通話相手の話を聞きながら小声で答える。
「キミを化け物の類だと思ってるみたいだし、不快な奴だよ」
「ふーん……」
まあ、あながち間違いじゃない気がするけど。
一人怒っているノアを横目に、エルトゥスは内心呟く。
〝生きたヒトではない〟という点においては、亡霊も模造骸骨も似たようなものだろう。依頼主が「模造骸骨ならもしかして」と考える気持ちは分からなくもない。
ただ、ノアは模造骸骨が化け物扱いされるのを嫌っているのだ。それを知っているエルトゥスは「話を聞いてあげたら?」と告げるだけに留めた。
「えー……だって亡霊だよ?」
電話相手に「パートナーと話すからちょっと待って」と伝え、一方的に待たせたノアが眉を顰めたまま答える。相手がエルトゥスを〝この世ならざる者〟扱いしたせいか、それとも単純に遂行不可能な依頼だと考えているからかは分からないが、あまり気乗りしないらしい。
「相手は亡霊かもしれないけど、依頼人候補さんは困ってるんでしょ? だったら話だけでも聞いてあげようよ。僕たち、誰かの役に立つためにこの仕事を始めたんだから」
「……エルってお人好しだよね」
それって長所にも短所にもなるから気を付けたほうがいいよ。そう忠告しながらも、ノアは話だけ聞く旨を依頼人に告げた。
(そういうノアだって似たようなものだと思うけど)
『お人好し』という単語には「大人しい」「善良」「騙されやすい」といった意味合いが含まれているようだから、少し捻くれたところのあるノアはお人好しではないのかもしれない。
それでも、ノアは誰かを思いやる心を持った優しい人間だと思う。そうでなければこの仕事は務まらないし、そもそも発話代行の仕事を始めようなどと考えないだろうから。
とにかく、困っている依頼人候補の話を聞けそうでよかった。
エルトゥスは「魔力を操るトレーニング」の一環として、自分の手だけを骨に戻した。
低い位置で一つ結びにした長い銀髪と、微かに緑が混じった海色の瞳、優しい印象を受ける顔立ち、雪のような色の肌――。
エルトゥスの人間形態は「自身を構成している魔力の表層部分を弄って疑似的に作り上げたもの」だ。
つまり「魔力で青年の姿を見せているだけ」でしかない。
そのため、人間形態を取っているときでも体は骨身のまま。人間が持つ柔らかさは持ち合わせておらず、体温も感じられない。
(……よし、上手くできてる)
卓上鏡で手を確認したエルトゥスは頷き、今度は顎から上だけを骨に戻す。
事情を知らない人間が見たら卒倒しそうな光景だが、イストリア社の面々にとっては日常的な光景でしかない。
(うん、こっちも大丈夫そう。……他の姿に変えるのだけが未だに上手くいかないんだよね)
姿も自由自在に変えられたら、仕事の幅が広がりそうなんだけどな。
そう考えたエルトゥスは気持ちの上だけで眉尻を下げる。
模造骸骨であるエルトゥスは、魔人や魔法使い同様、魔力と呼ばれるエネルギーの一種を扱うことができる。
しかし、現状のエルトゥスが魔力を有効活用できる方法は三つ――「声を自由自在に変える」「表層的に人間形態をとる」「魔力を用いた護身術の類」だけである。
そのうち「人間形態」と「護身術」はエルトゥスが後天的に身に着けたものだが、人間形態は「ある優秀な人物」の協力を得てなお習得に半年を要するほど困難を極めた。もし彼女が手助けしてくれていなければ、エルトゥスはがいこつの姿で出歩くことになっていただろう。
だから、彼女には感謝してもし足りない――と、対面席で仕事中の同僚を見ながら思う。
ウエストの辺りまで伸ばした砂色のブロンドに、琥珀色の瞳を有するアーモンド型の目、どこか凛々しさを感じさせる顔立ちと、黒いタートルネックが似合うすらりとした長身。
彼女はサラ・トレイラー。「魔力の流れを読み取って干渉する能力」を持つ、国立魔法研究所所属の魔法使いである。
サラは魔力で構成されたエルトゥスの体に直接干渉し、「表層部分の魔力を弄る」手法を感覚的に伝えた。エルトゥスはその感覚を基に練習を続け、事前に提示されていた青年の外見を自力で再現できるようになったのだ。
ちなみに、今の姿をデザインしたのはノアである。
(どうして他の姿だと上手くいかないんだろう)
首を傾げていると、ノアが受話器を置いた。
「話は纏まった?」
「まあね」
ふうと息を吐きながら、ノアはエルトゥスを見る。
「一応話だけ聞くことになったからよろしく。明日の午後一時スタートね」
「分かった」
エルトゥスは頷き、卓上カレンダーに予定を書き込んだ。
一方、ノアは「言っとくけど話聞いて無理だと思ったら困っていようが何だろうが断るから」「ボクはエルと違ってお人好しじゃないからね」などと話している。
要は「断ることになるかもしれないから心積もりをしておいて」と伝えたいのだろう。素直じゃないというか、ノアらしい言い方だ。
(がいこつの顔に戻しておいてよかった)
もし青年の姿をとっていたら思わず口元が緩んでいただろう。そして、そのことに気付いたノアから「何笑ってるの?」と追及されたに違いない。
もしそうなっていたら大変だった。何せ、今夜のエルトゥスにはノアの機嫌を普通以上に保っておきたい理由がある。
このまま終業時刻になるまで青年の姿にはならないでおこう。そう考えていると、ちょうど終業のチャイムが鳴った。
退勤するサラとマリーを見送り、事務所の戸締まりをして、エルトゥスはノアと共に自宅へ戻る。
エルトゥスが再びフラッタの街へ赴いたのは、帰宅してから約一時間後のことだった。