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発話代行サービス・イストリア  作者: 眠理葉ねむり
囁く少女と模造骸骨
13/51

7:調整

「嘘……ほんと、に……」


 リリィの声を再現したエルトゥスは、変わったことなど何もしなかった。

 声帯のない喉に手を遣ったわけでも、ましてや創作小説に登場する魔人(まびと)のように、光を放つ魔法円を足元に生じさせたわけでもない。

 ただ、リリィ・ロウの声を聴いただけ(、、、、、)。どうすればリリィ・ロウの声を出せるか考えてから口を開いただけだ。


「『トードお兄ちゃん』。……ちょっと違うかな。――『トードお兄ちゃん』」


 「魔力」というミステリアスでファンタジックな言葉からイメージする華やかさを一切持たない、地味だからこそ信じがたい技術。

 何が起こったか理解できず驚いているリリィをよそに、エルトゥスは細かな調整を行っていた。なかなか思い通りの掠れ声が出せないのか、何度も「トードお兄ちゃん」と呼んでいたが、試行錯誤の末満足げに頷き、エルトゥスとしての声でリリィに話しかる。


「どうかな? かなり近付けられたと思うんだけど」

「……わたしの声、でした」


 エルトゥスの口から出たのは、間違いなくリリィ・ロウの声だった。あまりに似すぎていて、得体の知れない不気味さと恐ろしさを抱かずにはいられないほどに。


「ただ……録音した声を聴いてるみたいで、ちょっと変な感じ、でしたけど」


 胸に抱いた感情を誤魔化すようにリリィは笑う。

 エルトゥスが出した声は確かにリリィ・ロウのものだったが、自分が話す際に耳にするものとは少し違っていた。

 けれど、それはそういうものなのだ。小さい頃歌手になりたかったリリィは父親にせがんで自分の歌を録音してもらっていたから、「普段自分が聴いている自分の声」と「自分の体を通さずに聴く自分の声」が違うことは理解している。


「リリィさんは〝録音した自分の声〟をイメージできる?」

「はい。何となく、ですけど……」

「そっか。それなら本来の声もスムーズに調整できるかもしれないね」

「……声を合わせるのって、そんなに、難しいんですか?」


 先程は一分と経たないうちに声を再現したのに、やはりサンプルがないと難しいのだろうか。

 申し訳なさそうな表情のリリィを見て後頭部に手を遣ったエルトゥスは「そういうわけじゃないんだけど」と言葉を濁した。


「リリィさんが言った通り〝普段聴いている自分の声〟と〝録音した自分の声〟って違って聴こえるでしょう。それでトラブルが起こることもあって……」

「トラブル?」

「たとえば……声を失った人から『自分の声を再現してほしい』って依頼があったとして、依頼人が求めている声と実際の声が違ってしまっていることが時々あるんだ」

「そっか……」


 リリィは「普段自分が聴いている自分の声」と「自分の体を通さずに聴く自分の声」が違うことを理解しているし、兄にとっての『妹の声』を再現してもらいたいと考えている。

 だが、他の依頼者が全員そうとは限らない。エルトゥスがどれだけ懸命に再現しても「こんなのは自分の声じゃない」と拒絶する可能性だってあるし、声のサンプルがなければ本来の声を確認することもできない。

 だから、イストリア社はサンプルの用意を推奨しているのだ。


「……大変なお仕事、ですね」

「うーん、どうなんだろうね。僕はこの仕事しかしたことないから分からないけど、時代遅れの模造骸骨(レプリカ・スケレトス)でも誰かの役に立てるのは嬉しいよ」


 だから必ず最良の結果にしたいのだと、エルトゥスは微笑んだ。

 いや、違う。がいこつ姿の彼は微笑みなどしない。ノアのように柔らかな弧を描く唇も、リリィのように丸くなる目も持ち合わせていない。頭蓋骨の角度が僅かに変わっただけ。下顎骨がほんの少し動いただけだ。

 それでも、リリィには、エルトゥスが優しく微笑んだように見えた。

 それはきっと、骨だけの(おもて)にエルトゥスという模造骸骨(レプリカ・スケレトス)の人柄が滲み出ているから。


「エルさ――」

「お待たせー」


 連絡終わったよ、と続けたノアが執務室に入ってくる。

 その声を聞いたリリィは慌てて口を閉じた。――自分は今、エルトゥスに何を言おうとしていたのだろう?


「どうだった?」

「親御さん、オーケーだってさ。サンクのほうもやっぱり空いてるって」

「そっか、よかった。じゃあ、契約書にサインしてもらって本格的な調整だね」

「うん、頼むよ。それじゃリリィ、契約の説明をするから問題なかったらサインして」

「あ、はいっ」


 随分冷めてしまったミルクティーを一口飲んで、リリィは十四年の人生で初めての契約を交わした。控えとして貰った契約書の写しを折りたたんでショルダーバッグにしまい、改めてエルトゥスと声の再現作業をする。


 エルトゥスは、リリィが想像していた以上に優秀な模造骸骨(レプリカ・スケレトス)だった。掠れた音しか出せないリリィの声から本来の声を探り当てるまで一時間もかからず、その後はリリィの「話し方」の再現に励んだ。


 「人の口調を忠実に模倣する」というのは難しい行為だ。話し方の一部を真似たり誇張したりすることは可能でも、正確なトレースはなかなかできない。リリィの場合は声が掠れているから、なおさら。

 それなのに、エルトゥスはリリィ・ロウという少女がどのような口調で兄と話すか粗方理解してしまった。その速さたるや依頼人のリリィはおろかノアでさえ驚くほどで、終業時間には八割方再現を終えていた。


「いやー……ぶっ飛ばすね、エル。どうしたの?」


 一階に下り、事務所内の戸締まり確認を終えたノアが問う。あまりに速かったのか、ノアの顔には彼らしからぬ苦笑が浮かんでいた。


「どうしたって……リリィさんの話し方が掴みやすかったのかな。段々分かるようになってきたっていうか」

「ふーん」

「……それに、再現が早く済めばリリィさんは早く帰れるでしょう。お兄さんと一緒に過ごせる時間が増えるし、手術も落ち着いて受けられる。日数が少なくなれば依頼料も少し安くなるから、いいこと尽くめだなって思って」

「エルさん……」

「……あっ。別に、普段手を抜いてやってるわけじゃないからね。今回はコツが掴みやすかっただけで」

「分かってるよ」


 慌てて釈明したエルトゥスに対し、ノアは呆れたように言う。


「ま、早く終わるのはいいことだよね、お互いさ。それじゃ続きはまた明日ってことで、今日の仕事はおしまい! リリィはホテルで喉を休めること。分かった?」

「はい。今日は、ありがとう、ございました」

「どういたしまして。じゃあ、ボクはここで待ってるから、エルはリリィをホテルまで送っていって」

「うん、任せて」

「……えっ」


 思いがけない言葉に、リリィの喉から掠れた声が漏れる。――ホテルまで送ってくれる? エルさんが?


「だ、大丈夫、です! 道はさっき、聞きました、っから!」

「ダメだよリリィ。契約書にサインした時点で保護魔法はかかってるけど、依頼人の安全確保もボクたちの仕事の一つなんだから。それじゃまたあとでね、エル」


 手をひらひらと振ったノアは四つある机の一つに座り、読書を始めた。

 ここに入ったときデスクワークをしていた女性たちは既に帰っているから、鍵当番をするつもりなのだろう。


「――じゃあ、行こうか」


 ぱさ、と微かな音を立ててフードが下りる。

 ローブを脱いで私服姿になったエルトゥスは青年の顔に優しい笑みを湛え、固まっているリリィを促した。――もちろん、優しい声で。


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