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発話代行サービス・イストリア  作者: 眠理葉ねむり
囁く少女と模造骸骨
12/51

6:再現

「……わたし、何をすればいいですか?」

「まずは契約だね」


 エルトゥス経由で書類を受け取ったノアが言う。


「リリィの場合は自分自身の声の再現だから、『イストリア社(うち)との契約書』の他に『声の再現承諾書』にも記入してもらうことになる」

「再現承諾書?」

「依頼を引き受けてる間だけ条件付きでエルに声を再現させることを許可する、ってことを明記した法的な書類のことだよ」


 ノアは書類をリリィに見せながら説明した。


「声っていうのは人を構成する要素の一部だからね。たとえ依頼人が再現を望んだとしても、再現される側が嫌がってるなら依頼は受けられないんだ。だから声の再現作業に入る前に連絡して、どういう用途で再現するか説明した上で許可を貰ってるんだよ。再現先の人が既に亡くなってる場合でも、家族か近しい人には必ず再現の確認を取ってる」

「そっか……」


 いままで思い至らなかったが、エルトゥスの能力は「誰かを救う」ことだけではなく「誰かを傷付ける」ことも簡単にできてしまうのだ。


(エルさんは絶対そんなことしないだろうけど、もし承諾書がなかったらみんな心配になっちゃうよね)


 あの模造骸骨(レプリカ・スケレトス)は人の声を使って勝手なことを言っているらしい――。そう疑われることを避けるためにも承諾書は必要不可欠だ。

 納得したリリィに、ノアは別の書類を見せる。


「で、こっちがうちとの契約書なんだけど……。リリィは未成年だから、契約する前に親御さんから許可を貰わなきゃならない。ボクたちに依頼すること、親御さんには伝えてる?」

「はい」


 リリィは頷いた。


「ここに問い合わせの電話をかけたの、わたしの母なんです。今日も『話を聞いてもらえることになったからフラッタに行く』って伝えて、家を出ました」

「そっか。それなら大丈夫だね」


 ノアも頷き、契約書二枚をテーブルに置く。


「じゃあ、まず電話番号を書いてくれる? リリィが契約書を読んでる間に親御さんに確認取るから。……そうだ、今日泊まるところは決まってるの?」

「まだ、決めてないんです。もし引き受けてもらえなかったら、フラッタかンノーで一泊して帰ろうって、思ってたので……」


 差し出された契約書に記入しながら状況を説明する。

 リリィが住んでいるネムの町はンノーから普通列車で三時間半の場所に位置しており、今から帰るには遠すぎる。イストリア社との話し合いがどのような結果に終わったとしても、フラッタかンノーで一泊してからネムに戻るつもりだった。


「だったらさ、イストリア社(うち)の提携ホテルに泊まったら?」


 ノアが提案する。


「ここから近いし、小さいけど朝食付きで相場の七割だよ。もちろん、安全は保障する」

「そうなんですか。じゃあ、もし空いてたら……」

「了解。いつも暇してるから絶対空いてると思うけど、確認するからちょっと待ってね」

「ノア、決め付けちゃだめだよ」


 エルトゥスは咎めるような声を出して言った。


「サンクさんにだって色々用事があるだろうから」

「いーや、絶対暇してるね。賭けてもいいよ」

「賭け事はもっとだめ」


 ふぅ、と声だけでため息を吐き、エルトゥスは首を横に振る。表情が読めない骨の顔は困っているようにも苦笑しているようにも思えたが、リリィには判断がつかなかった。


「とにかく、ボクはリリィの親御さんとサンクに連絡するからさ。エルは声を再現するために少し喋ってもらって」

「……分かったよ」


 エルトゥスの返事を聞いたノアは「じゃあまたあとで」と応接室をあとにする。

 この部屋にある電話を使わず別室に移動したのは、自らの話し声でリリィの掠れ声を掻き消さないようにするためだろう。


(ノアさんはすごいなあ)


 歳がそれほど変わらないだろうノアの配慮にリリィは感心した。

 そして、何気なくエルトゥスに視線を向けた直後――不意に「どうしよう」と思った。


(なんか、緊張する……!)


 応接室に二人だけ。そのことに気付いた途端、治まっていた緊張がぶり返した。嫌な感じではないが、一体どうしてしまったのだろう。

 さり気なく心臓を押さえたリリィをよそに、エルトゥスは早速声の再現作業に入ろうとした。しかし、何かに気付いたように「ちょっとだけ待っててね」と言って部屋を出ていってしまう。


(何か必要なものがあるのかな)


 分からないが、今のリリィにとって二人きりの状態から解放されたのは好都合だ。

 契約書を確認しながら待つこと数分。戻ってきたエルトゥスは右手にトレイを持っていた。


「お待たせしました」


 トレイの上に載っているのは白と金を基調としたティーセット。そして、小皿に入った数種類のクッキー。

 事務所の壁掛け時計は、午後三時過ぎを示している。


「勝手に用意しちゃったけど、紅茶は苦手じゃないかな?」

「はい、大好きです。……すみません。ありがとう、ございます」

「どういたしまして」


 机の上にトレイを置き、慣れた手付きで紅茶をカップに注いだエルトゥスは僅かに小首を傾けた。

 元々表情がない彼にとって、その仕草が微笑みの代わりなのかもしれない。


「おいしい……」


 ほんのり漂う茶葉の香りを楽しんでからミルクと砂糖を入れ、口に含むと、甘く柔らかな味が広がった。口の中に残っていた喉飴の味も、ぶり返した緊張も、優しい味わいのミルクティーに上書きされていく。


 きっと、これは特別なもてなしではないのだろう。リリィ以外の客にも同じように提供しているに違いない。

 それでも。

 そうと分かっていてもエルトゥスの心遣いが嬉しくて、心も体もほぐれていくようだ。

 対面席に移動したエルトゥスは、リリィが一息吐いた頃合いを見計らって声をかけた。


「再三の確認になっちゃうけど、本当に喋って大丈夫かな? 声帯にポリープができているんだよね」

「はい。……黙っているのが一番の薬なのは、確かです。でも、過度な負担をかけない限り、喋っても大丈夫だって、先生に言われてますから」

「そっか。じゃあ、リリィさんが大丈夫な範囲の声量で喋ってもらっても構わないかな? 元々の声に合わせる前に、今のリリィさんの声に僕の声を合わせたいから」

「もちろんです。……あの、一体どうやって、声を再現するんですか? やっぱり魔力、ですか?」


 持っていたカップをソーサーに置き、遠慮がちに尋ねる。


 発話代行サービスの話を聞いたときから気になっていたのだ。いくら魔力で創られたとはいえ、生まれ持った声を他人の声に変えるなど容易ではないはずで。

 それなら、魔人(まびと)のように魔力を操って――どうやって操るのかは知らないが――儀式的に声を変える、という方法がリリィの想像する再現方法だった。


 だが、返ってきたのは、リリィが想像していたのとはまったく違う方法だった。


「実際には存在していない声帯と肺を魔力で疑似的に作り出して、声帯そのものや音の響き方を変えるんだよ」

「えっ?」


 説明の内容は分かるのに、具体的にどうやっているのかまったく理解できない。

 リリィは眉を顰めた。せっかく教えてもらったのに「ごめんなさい、分からないです」とは言いづらかったのだ。


「ごめん、ややこしい言い方したよね」


 リリィの困惑に気付いたのだろうか。エルトゥスは苦笑するような声で言った。


「僕自身は感覚で声を変えてるから、詳しいことはよく分かってないんだけど……音っていうのは波みたいなもので、大きさと幅があるんだって。で、その大きさと幅を魔力で変えれば声も変わるみたい。波の名称は……周波数、振動数だったかな」

「あ、それなら、授業で聞いたことがあります」


 少し前に授業で習った内容を思い出したリリィは元気良く答え、その後、力なく答えた。


「何となくしか、分からなかったんですけど……」

「あは、リリィさんもよく分からないんだ。――僕と一緒だね?」

「っ……」


 僅かに首を傾けながら紡がれた言葉にリリィは息を呑む。

 悪戯めいた響きの、二人だけの秘密を共有するような声色に――囁くような言葉に、何故か全身が熱くなる。


「……あ、ごめんね。僕と一緒なんて嫌だよね」

「そんっ――なこと、ないです。嫌だなんて……」


 申し訳なさそうなエルトゥスの様子に思わず大きな声を出しそうになる。

 だが、実際は掠れた声が普段と同じ声量で出ただけ。エルトゥスもリリィが大声を出しかけたことには気付かなかったようだ。


(わたし、どうしちゃったんだろ……)


 喉を痛めないようにすると言ったばかりなのに大声で叫びかけて、頬どころか全身を熱くして。こんな調子では優しいエルトゥスに余計な心配をかけてしまう。

 リリィが目を伏せたことに気付かなかったのだろう。「だったらよかった」と安堵交じりに答えたエルトゥスは、真っ白い手で喉の辺りを手で撫でた。


「こういうのはノアが詳しいんだ。彼、すごく頭が良いんだよ」

「そう、なんですか。すごいですね」


 リリィは素直に感心した。同年代で社長を務めているだけはある。


(……そういえば、ノアさんって学校どうしてるのかな)


 学生だからといって社長が不在というわけにはいかないだろうし、自宅学習で単位を貰っているのだろうか?


「話が逸れちゃったね」

「あ、いえ……」


 小さく肩を竦めたエルトゥスに声をかけられ、リリィの疑問が吹き飛ぶ。


「それじゃ、お兄さんに呼びかける感じで話しかけてもらっていいかな? 二回くらい」

「はい……」


 声を再現してもらうためとはいえ、今日会ったばかりの人――模造骸骨(レプリカ・スケレトス)に「お兄ちゃん」と呼びかけるのは気恥ずかしい。

 それでもリリィは口を開き、掠れた声で兄の名を呼んだ。


「トード、おにい、ちゃん。……トード、お兄ちゃん」


 脳裏に浮かぶのは、聴力の大半を失ってなお気丈に振る舞う最愛の兄の姿。

 リリィの呼び声を聴いたエルトゥスは、俯いた状態で黙っていた。もし人間の姿なら、目を閉じているのだろうか。白い骨を引き立たせる濃紺のローブを纏って沈黙する彼は、物言わぬ調度品のようにも見える。


 数呼吸分の沈黙ののち、エルトゥスはゆっくりと顔を上げた。それから何かを確認するようにリリィを見つめ、口を開く。


『――トードお兄ちゃん』

「……えっ」


 唇も声帯も持たないがいこつの口からこぼれ落ちた、掠れた少女の声。

 喉の奥から絞り出すように紡がれたそれは、リリィの掠れ声に限りなく近い声だった。


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