5:イストリア社の事情
「――依頼を受けるかどうか決めるのは、ボクだよ」
頭を下げたままのリリィにノアが答える。
「エルに決定権はない。エルは情に流されやすい模造骸骨だからね」
それはつまり「もし恨むなら利益を追求するボクを恨め」ということだろうか。
断られることを覚悟したリリィは顔を上げ、微笑んだ。傍目には生意気に見えるかもしれないノア・アングレカという少年が、実際はエルトゥス同様優しい人だと理解して。
「その上で、エルに訊くよ。――エルはどうしたい?」
「え?」
ノアに尋ねられ、黙っていたエルトゥスは不思議そうな声を上げた。今回の依頼は引き受けないだろうと考えていたのか、肉も皮膚もない顔には驚きの色が滲んでいる。
だが、驚いたのはエルトゥスだけではない。断れることを覚悟していたリリィもまた目を丸くしてノアを見つめていた。
「僕、は……受けてもいいと、思う。今は他の依頼がないし……」
「だけど、あんまり時間がないよ。ボクたちの仕事は声を再現して終わりじゃない。喋り方まできちんと似せて、依頼人の意に沿って初めて仕事したって言えるんだ。エルにできるの?」
「……必ずやり遂げるよ。僕は誰かの役に立つためにこの仕事を選んだんだから」
エルトゥスは静かに、しかし決意を秘めた声で断言する。
彼の言葉を聞いたノアは小さくため息を吐いたあと――唇の両端をそっと持ち上げ、柔和に微笑んだ。
「まあ、そういうわけだから。――受けるよ、リリィの依頼」
「……受けて、もらえるんですか?」
まだ具体的な依頼料も伝えていないのに、まさか引き受けてもらえるだなんて。
リリィは遠慮がちに言葉を紡ぐ。
「あの……さっきも言った通り、お金、あんまり持ってなくて。両親に頼めば、少し出してもらえるかも、しれないんですけど……それでも、そんなにたくさんは……」
「いいよ、別に。もちろん依頼料は貰うけど、リリィが払える分だけでいい。お兄さんの治療費とキミの手術費で色々と入り用だろうし――それに、自分の力だけで何とかしたいんでしょ?」
まるで心を見透かしたような言葉にリリィは目を瞬かせ、おずおずと尋ねた。
「こんなことを訊くのは、失礼かもしれませんけど……どうして、引き受けてくれるんですか? 他の人と同じ依頼料は、払えないのに……」
「どうしてって、ボクたち別に金の亡者じゃないからね。自分たちにできる方法で誰かの役に立てたらと思ってこの仕事を始めたわけだし」
ソファーにもたれかかったノアは肩を竦め、ふう、と息を吐く。
「とはいえ仕事としてやってる以上は黒字になるよう運営していかなくちゃいけないから、全部格安で引き受けるってわけにはいかないけどさ。警備料金もかかるし」
「そうなんです。……あ、敬語やめるんだった」
敬語で説明しようとしたエルトゥスが唇のない口を「あ」の形にして言う。姿こそがいこつだが、口元に手を持っていくその仕草は人間以外の何物でもない。
「えっと……僕には魔人と暮らしていた頃の記憶がないんだけど、現存する模造骸骨は僕しか見つかってないから十分貴重なんだって。そのせいか、僕を狙う人がたまにいるんだ。世界でたった一つの模造骸骨を所有したい人や、実験材料にしたい人たちに売り捌く目的でね」
「えっ」
所有? ――実験材料?
突然切り出された物騒な話に言葉を失う。
エルトゥスに当時の記憶がない、というのはリリィも知っている。模造骸骨が発見された当初、ほぼすべてのテレビ放送局が特集番組を組んでいたからだ。
(戦争した頃の記憶もないんだっけ)
だからこそ滅びてしまった魔人の歴史を紐解くことができず、模造骸骨についても不明な点が残る――。そういう内容だったはずだ。
しかし、だからと言ってエルトゥスの価値がゼロになってしまうわけではない。たとえ過去の記憶を持っていなくても、エルトゥスは唯一現存する模造骸骨だ。一部のコレクターや研究者にとっては喉から手が出るほど欲しい存在なのだろう。
いくら人工物とはいえ、ヒトと何ら変わりない存在を――もしかしたら大多数の人間よりも優しいかもしれない存在を、物のように売り買いして所有しようとするなんて。リリィは憤った。
だが、リリィだって、エルトゥスと話すまでは模造骸骨のことを「魔人が創ったヒトと同等の知能を持つ人工物」だとしか思っていなかったのだ。エルトゥスを狙う不届き者が「単なる物」として扱うのは無理もないのかもしれなかった。
リリィの表情が曇ったことに気付いたのだろうか。エルトゥスは「今は魔力を使った護身術的なものを習得したから安全に暮らせるんだけど」と前置きして説明を続けた。
「昔、ちょっと危ない目に遭いかけたことがあってね。だから僕がお世話になった国立魔法研究所の魔法使いさんに頼んで、僕たちに関わる人に保護魔法をかけてもらうことにしたんだ。もちろん、正式に契約した依頼者さんにも」
「けど、それがめちゃくちゃ高いんだよね。ほら、魔法使いって模造骸骨ほどじゃないけど数が少ないでしょ? そっちの研究に協力してやったんだから料金を割り引いてくれたっていいのに『仕事のための保護は適用外』だって言うし。依頼人の安全には変えられないから仕方なく払ってるけどさ」
ノアがぶつぶつ文句を言う。
一方、リリィは驚きに目を丸くしていた。
(「魔法使い」って、あの?)
魔法使い――。
彼女たちは魔人が滅んだあとに誕生した「魔力を操ることができる人間」だ。魔人の血を引いたにもかかわらず能力が発現しなかった者の子孫だと考えられているが、魔人ほど魔力を操ることに長けておらず、模造骸骨を創り出すこともできないという。
それでも、彼女たちが貴重な存在であることに違いはない。「魔力を操れる」と判明した時点で研究機関への就職を余儀なくされることからも、その事実が窺える。
(それじゃお金がかかって当然だよね……)
唯一無二のサービスを提供しているだけでなく、提供するための維持費まで発生しているのだ。依頼料が高額になるのは当たり前だろう。
「……ごめん、なさい。保護魔法分のお金を、支払えなくて」
リリィの依頼では確実に採算が取れない。申し訳なさに頭を下げると、ノアは「だから別にいいって」と言って眉を顰めた。
「その代わり、お兄さんとの時間を充実したものにしてよね。……たとえお兄さんの耳が聞こえなくなったとしても、お兄さんの心にリリィの声が一生残るような充実した時間に」
「ノアさん……」
投げかけられた優しい言葉に涙が滲みそうになる。――泣くのはまだ早い。泣いていいのはトードにリリィ本人の声が届いたときだ。