エピローグ
その腕時計には、少し不思議なところがある。僕がそれに気づいたのは、ある晩、ママがその白い腕時計を見つめて、静かに微笑んでいたときだった。
「……昔ね、この時計で、過去に行ったことがあるの」
不意にこぼれた言葉に、僕は思わずママの顔を見上げた。
「え? 過去に?」
「ふふっ、信じられないでしょ? でも、本当の話よ」
その声はどこか懐かしそうで、ママはそっと時計に触れながら、目を細める。
「パパと、ふたりで。……もうずいぶん前のことだけどね」
「じゃあ、僕も行けるの? 過去に」
僕がそう聞くと、お母さんは小さく首を横に振った。
「ううん。もう行けないの」
それは残念だけど、なぜかその話に心が惹かれて、僕はさらに聞いてみた。
「ねぇ、腕時計のこと、もっと教えて」
「それなら、パパの方がずっと詳しいわ」
ちょうどそのとき、玄関のドアが開く音がして、「ただいまー」と声が聞こえてきた。
「あっ、パパだ!」
「ちょうどいいタイミングね」
僕は急いでリビングを飛び出し、廊下でパパに飛びついた。ママはカバンを受け取り「お疲れ様」と声をかける。
「おかえり、ねぇ、腕時計のこと教えて!」
「おっ、陽翔も興味を持ってくれたか!」
パパは僕の頭をくしゃっと撫でると、ママの白い腕時計を見つめた。その目は、今じゃないどこか遠くを見ているようで——とても優しかった。
「腕時計は……ただ時間を刻むだけじゃない。大事な人の想いを、ちゃんと未来に残してくれる。そんな不思議な力があるんだよ」
「どういうこと?」
僕がキョトンと首を傾げると、パパは優しく微笑んだ。
「腕時計は……ロマンなんだよ」