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6話

「ただいまー」

 

 玄関の扉を開けると、ほんのりと夕飯の匂いが漂ってきた。


「おかえり、美鈴。あら?」


 キッチンから顔を出したお母さんが、私の後ろにいる陸斗に気づいて、優しく微笑む。


「こんにちは、お邪魔します」


 陸斗が律儀に頭を下げると。母はにっこり笑って、「どうぞ、上がって」と促した。


「お母さん、私たち、ちょっと部屋に行くからー」


「はーい。飲み物くらい出すから、後で取りに来なさいよー」


 私は階段を上がって、自分の部屋の前で一瞬だけ立ち止まった。


「……あんまり他の人を入れたことないんだけど」


 そう言ってドアを開けると、夕陽が斜めに差し込む中、薄いベージュのカーテンがふわりと揺れた。


「あ、なんか……美鈴っぽいね」


 部屋に入った陸斗が、静かに言った。


「え、そうかな?」


「うん、ちゃんとしていて、落ち着くっていうか。居心地いい」


「……そっか。なら、よかった」


 私はそう言いながら、腕時計を外した。


「ちょっと、目をつぶってくれる?」


「……え? なにそれ、いきなり怪しいんだけど」


「大丈夫、痛くないから」


 私は笑いながら、陸斗の手をそっと握る。彼は少しだけ戸惑ったけれど、素直に目を閉じた。


 ——カチリ。


 そして、私は腕時計のリューズを回した、その瞬間、空気が、一変した。


 風も音も、すべてが止まったような感覚。身体がふわりと浮き上がるような、重力から解放されたような、奇妙な感覚。視界はゆっくりと滲み、色を変えていく。


 気づけば、私たちは病院の廊下に立っていた。


「……っ、ここ……どこ?」


 陸斗が戸惑った声を出す。無理もない。目の前の景色は明らかに現実のものじゃない。


「過去だよ。ここはお父さんが入院していた病院だね」


 私の声は、自分でも驚くほど静かだった。陸斗は私の顔を見て、何か言いたそうだったけど、何も言わず、黙ってついて来てくれた。


 病室のドアをそっと開けると、病衣を着てベッドに横たわるお父さんの姿があった。痩せた頬。閉じられたまぶた。呼吸をするたびに小さく上下する胸。


 私たちは、まるで空気の一部になったように、そこに“いる”。けれど、誰にも気づかれない。


 ベッドの横にはお母さんが座っていた。お父さんの手を、そっと両手で包み込むように握っている。


「……ごめんな、いろいろ……一人で背負わせて」


 弱々しい声。それでも、お父さんの言葉には、どこか穏やかさがあった。


「何言ってるの。貴方の頑張りに比べたら私なんて……ごめんなさい」


 お母さんは涙を滲ませながら謝る。お父さんは目を閉じたまま、ゆっくりと息を吐いた。


「……美鈴に、何もしてやれなかったな」


「そんなことないわ。あなたは美鈴に、たくさんのものを残してくれた」


「でも……本当は、もっと一緒にいてやりたかった。美鈴の晴れ姿は見られなかったな……」


 その言葉に、私の胸がぎゅっと締めつけられた。


「だからさ……俺の腕時計を美鈴に託してほしい……」


 お父さんが、小さく笑いながら続ける。


「俺の代わりなんて、なれっこないけどさ。時間を見るたびに、思い出してくれたらいいなって。美鈴が困ったとき、少しでも支えになれたらって……」


「……分かったわ。美鈴は、ちゃんと強く育ってる。あなたが想像してるより、ずっと。だから安心して」


 お母さんがそう言ったとき、お父さんの目元がすこしだけ緩んだ。


「……そっか。じゃあ、よかった」


 そう呟くと、お父さんは目を閉じたまま、そっと天井を見上げるように顔を上げた。


「美鈴が生まれて来てくれて、本当に……よかった……ありがとう……」


 その声は、遠く、そして深く、胸の奥に落ちていった。隣にいた陸斗がそっと私の手を握る。見上げると、彼の目にも静かに光るものがあった。


 窓の外の夕陽が、すっと傾く。そして世界が反転して、気がつくと自分の部屋に戻って来ていた。


 カーテンがふわりと揺れて、夕陽がじんわりと差し込んでくる。まるで、さっきまでの出来事が幻だったかのように、世界は静かだった。 


「……なあ、今のって……夢じゃないよな?」


 陸斗がそっと言う。戸惑いと現実に追いつけていないような顔をして。


 私は黙ってうなずいた。


「……あの時計で、たまに……過去に行けるの」


「……そんなの、初めて聞いた。どうして過去に行けるの?」


「よく分からないけど……きっと、お父さんの想いがそうさせたんだと思う。過去に行くたびに気持ちが整理されて……」


 私はぽつりぽつりと言葉をつなぐ。言いながら、目元が熱くなっていくのがわかった。


「でも……ダメだね。何度見ても……悲しくて、切なくて」


 気づけば、目に涙がたまっていた。陸斗は何も言わず、ただ私のそばにいた。


「……もっと一緒にいたかったの。お父さんと。もっと話がしたかった。腕時計のことだって、直接聞きたかった……本当は、もっと……」


 声が震えて、そこから先が言えなくなった。胸がつまって、涙がぽろぽろと零れる。


 私はその場にしゃがみこんで、両手で顔を覆った。嗚咽が漏れる。もう止まらなかった。


「……なんで、なんで、いなくなっちゃったの!」


 その叫びは、自分でもびっくりするほど子どもみたいだった。入り乱れた感情が爆発して、自分でもどうしたらいいのか分からなくなる。


 気づけば、陸斗が私の肩をそっと抱いてくれていた。


「……ごめん……本当にごめん。こんな姿、見せたくなかったのに……」


 震えた声で私がそう言うと、陸斗はゆっくり首を振った。


「……悔しいよな。もっと話したいこと、伝えたいこと、いっぱいあったのにな……」


 彼の声は静かで、あたたかかった。慰めようとするんじゃなくて、ただ私の気持ちを、まっすぐ受け止めてくれるような声だった。


「俺だったら……同じ気持ちになると思う。そんな風に、大切な人が急にいなくなるなんて……耐えられないよ」


 彼の言葉が、私の涙をさらに引き出す。


「……でも、悲しいってことは、それだけその人を大切に思ってたってことだろ? それって、すごく大事なことだと思う」


 陸斗は、私の目をまっすぐ見て、静かに言った。


「きっと、おじさんも……そんなふうに想ってもらえて、嬉しいと思うよ」


 私は涙をぬぐいながら小さく頷くと、陸斗の胸にそっと額をあずけた。彼の体温が、春の日差しのように優しくてあたたかかった。


「……ありがとう……陸斗……」


 そう言うと、彼は何も言わず、ほんの少しだけ腕に力を込めて私を抱きしめてくれた。言葉じゃなくても伝わる優しさが、じんわりと心に沁みる。


「今までずっと、どうして私にこれを渡したのか、分からなかった。でも……少しだけ、わかった気がする。たぶん、お父さんも……私に、ちゃんと前を向いてほしかったんだと思う。悲しみを忘れろって意味じゃなくて、それを乗り越えるために」


 私は深呼吸をひとつして、少しだけ顔を上げた。涙の跡が残るまま、ちょっと照れくさく笑う。そんな私を見て、陸斗がふっと微笑んだ。


「……それにしてもさ……おじさん、いいセンスしてるよな。自分の想いを時計に込めて、美鈴に託すなんて」


 陸斗は目を輝かせて、自信に満ちたように胸を張った。


「やっぱり腕時計は()()()だよな〜」


「ふふっ、確かにそうだね……」


 そう言って私は、腕時計にそっと手を当てた。


「ちゃんと、届いているよ。お父さんの想い」

 

 楽しい事、辛い事、きっとこれからも色々な事が待っている。でも、私はちゃんと前に進んで行くから……

 



 見守っていてね、お父さん……


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