2話
「よ〜し、よし、美鈴は元気な子だな〜」
お父さんは赤ん坊の私を抱き上げると、優しく微笑んで話しかける。その瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなった。
(……こんな顔、初めて見る)
私が知っているお父さんは、いつも慌ただしかった。朝早くに家を出て、帰宅はいつも遅い。休日も電話が鳴るとすぐに仕事をしていた。
笑っていたことがあっただろうか? 少なくとも私の記憶の中にはない。
「ふふ、泣き止んだ……ねえ見て、あなた」
お母さんが嬉しそうに赤ん坊の私を見つめる。お父さんもそれに応えるように、うん、と頷く。その声にも、表情にも、確かな愛情があった。
「……お父さん」
思わず声が漏れ、気づけば、足が勝手に前へと出ていた。でも、その声は誰にも届かない。
「……お父さん……!」
もう一度、今度ははっきりと声を上げた。けれど、何も変わらなかった。その事実が、じわじわと胸を締めつけていく。
目の前にいるのに、触れられない。声も届かない。大切な人がこんなに近くにいるのに……
「美鈴はいい子だなあ。大きくなったら、どんな子になるんだろうな」
お父さんの笑顔がまぶしかった。赤ん坊の私に向けられたその優しさが、嫉妬しそうなほど羨ましい。それでも……もう一度、声が聞けたことが、嬉しくてたまらなかった。
そして、時計は再び静かに動き出した。
次の瞬間、身体がふわりと浮かぶような浮遊感に包まれ、視界がぐらぐらと揺れ始める。
「うっ……まただ……」
気がつくと私は自分の部屋に立っていた。カーテンから差し込む夕方の光。すべてが、何も変わらないはずなのに、心だけが取り残されたように感じられた。
「………お父さん……」
不意に視界がにじみ、呼吸が詰まる。目元に手をやると、温かい雫が頬を伝い、静かに落ちていった。