1-1ここはどこ?私は誰?
宜しくお願いします。
「お先に失礼しますー」
返って来る「お疲れ様」の声に会釈し、フロアの中央を目指す。
真ん中に設置してあるカードリーダーを読み込ませてから退勤する。
カードには退勤時間ピッタリに印字されていた。
今日も定時通りに仕事を上がり、職場が入っているビルを後にする。
不定期にくる繁忙期は忙しくて好きだけど、現在の停滞期は暇すぎて嫌いだ。
派遣契約の私ではすることがなくて、困る。
一時期、そんな暇している私を見かねて社員さんが仕事を振って下さった時は凄く助かった。
しかしその仕事が済んでしまうと、またしても睡魔と戦う日々に逆戻り。
忙しい時と暇な時のギャップがあり過ぎるのは、数社前の派遣先と同じ。
また暇すぎるのが嫌になって辞めるのかな。
今の職場は結構好きだから、可能なら寿退社とかが希望なんだけど。
今日は帰ったら何しようかな。
読み溜めているネット小説でも読もうかな。
それとも毎日更新の小説にしようか迷うなー。
そんなことを考えながら帰路を歩いていたら、突然、何かから物凄い力で後へと引っ張られた。
誰かの仕業かと思って後ろを振り返っても、誰もいなかった。
でも、私の身体は、まるで私自身から分離したような感じだった。
自分から、別の自分が引っ張り出されたような。
お蔭で私が分裂したかのように二人なっていた。
歩いている方の私は、引っ張り出された私には気づかず、そのまま先に進んでいる。
解ることといえば、引っ張り出された方の私は、勢い良く空に向かって放り出されたようだと
いうことだけ。
日中の街中から暗い闇の中へと、何処かに猛スピードで移動していた。
もしや空を通り越して宇宙空間にでも出たのだろうか。
ふとそんな事を考えていたら、私はいつの間にか水の中へと落ちていた。
ドボンと、きっと水しぶきでも起こしてそうな勢いで入水しただろうに、全く気づかなかった。
空に飛ばされた一方で、今度は結構な速度で落下してるんだと思う。
ブクブクと、上に向かっていく気泡を客観的な目線で見ていた。
ふと空気の存在を忘れていた事に気づき、慌てて口元を押さえるけど意味がなかった。
限界が直ぐそこに見えていたから。
上昇しようと努力して両腕を動かすけど、身体が沈む一方だ。
参ったな。
ネット小説を読む予定が、溺れて冥土行きへの変更とは……こんな展開、聞いてない。
ネット小説の世界でもあるまいし。
そんな事を考えながら、私は寝る以外で初めて意識を途切れさせた。
「今日も……に…………ねん…………しています。…………どこの…………通じるのかも……まったく……せん」
急に頭の中に知らない誰かの声がきこえてきた。
途切れ途切れの物切れ状態で、何を言いたいのかがわからない。
「なん…………これまで………………不思議で……です。実際に…………言うか、もしくは…………やっぱり……ナシで。最後に……を受け取れた…………どこの、誰なんですか?」
「っ」
最後の問いかけに対して答えようと口を動かしたつもりだったのだけど、口から漏れ出たのはほんのため息のような息だけで。
音となって外で響くことはなかった。
ついでに大事なことを思い出した。
私はどこの誰なんだろうということを。
次に目を覚ました時。開いた目の先に見えるのは、当然のように見覚えのない天井。
お約束だなと思いながらチラリと目線を変えて自分の身体を見ると、様々な器具がまとわりついていた。
再度周りを目線だけ動かしてみるけど、誰もおらず無人。
ベッドの上にいる私だけのようだ。
それにしても自分は一体全体どこにいるのだろうか。
この状況からして、病院か何かに搬送されたとしか考えられない。
腕から伸びるチューブは透明で、その先には点滴のような物がぶら下がっている。
これまで点滴のお世話になったことはないけれど、ドラマや映画、アニメのそれとそっくりなので直ぐに解った。
ナースコールというものは無いんでしょうか。
あったとしても、動こうとするたびに身体の節々が悲鳴をあげるので、使えないかもしれないけれど。
何故こんなにも身体の自由が利かないんだろう。
ついさっきまで仕事場から帰る途中で、何の問題もなく歩いていたはずなのに。
あれ?
これが意識を失う前の最後の記憶だっけ?
何か重要な何かが抜けてるような気がするんだけど、なんだったかな。
気を取り直して、再度声を出そうとチャレンジしても、ゼーゼーと息を切らすような音が出るばかり。
気が付いたので帰らせて下さいと訴えようにも、動けない。
咳き込みそうになって、身体が微かに動いた瞬間、思わぬ激痛に襲われた。
「っ……はっ」
本当に、もう何。
ちょっと動いただけで、尋常じゃない痛みが身体を駆け巡る。
どんだけ凄い交通事故に巻き込まれたんだか。
もしかして、生きているだけで奇跡とかいうレベルの重体というやつですか。
麻酔が切れてるのか、痛みがダイレクトに脳にまで響いてくる。
早く誰か気付いてほしい。
碌に身体が動かせない今の状況では、巡回中の看護師さんが早く来ることを祈るしか出来ない。
助けて下さいと叫ぼうにも、声が出ないのだから。
加えるならば、口の上にも酸素マスクっぽいものが付けられているから、どうにもならない。
なんとか生かされていることを、否が応でも実感してしまう。
意識が徐々に薄れてきた。
霞がかってフェードアウトって本当にするんだと思いつつ、次の瞬間。
私はどうも、気絶したらしい。
力に抗うことはできず、瞼が落ちて私は真っ暗闇に吸い込まれた。
お読みいただきありがとうございました。