第七話「おはよう」
早起きは三文の徳である。
いい言葉だ。
一日は平等に二十四時間で、早くに行動するに越したことはない。
全ての人に平等に与えられるものは時間と、やがて訪れる死くらいしかないのだから。
内側に設置されている緊急用ハンドルを握り締め、押す。
ゆっくりとカバーが開き、見慣れた光景がすぐに目に入る。体を起こして、周囲を見渡す。カプセル・ベッドの中には人間が入っている。長い、長い眠りについている。
ぼくは早起きした。いつもより、いいベッドで寝たからかもしれない。
エレベーターが到達した音がする。誰がやって来るのか、おおよその検討はついている。人間は眠っているのだ。ならば、こちらに近づいているそれは人間ではない。視線を動かすとサンがいた。
「おはよう、サン。目を覚まして最初に出会うのが太陽ってのは乙なもんだな」
サンは白い牙をニッと見せた。
「その調子だと、問題なさそうだな」
「気持ちよく眠れて元気だ」
オーバーな動作で体が動くのをアピールする。
「そうか……場所を変えよう。みんなを起こしちゃ悪い」
いらぬ心配ではあるが、確かにここでする話ではない。犬についていく。
スクラップ置き場にはバイクの形をした鉄くずと、山のように積まれた廃材があった。昨日と同じままの姿。
「何から話せばいいか」
サンは落ち着かない様子で、顔を振っている。その動きに合わせて尻尾も動いている。車のワイパーみたいで少し面白い。
「じゃあ、シジマのことについて」
シジマさん。
「この肉体を作り上げたのは……シジマだ」
「ああ」
何となく気が付いていた。本物の犬と何ら変わらないような造形は素人にも、ただの職人であっても難しい。だが、あの人なら不可能ではない。
「シジマは俺に役目を与えた。その役目を果たすために俺を創造した」
「弟子である……ぼくの監視」
光栄なことだった。正直、心が躍った。
「そして観察、保護。お前はシジマに認められた唯一の弟子だ。まぁ、その当人も今は眠っているがな」
「お前の中にはシジマさんの……あの人と同じ情報がインプットされているんだよな。言うならば……記憶を共有している。そうだな?」
「ああ。リアルタイムで共有している。シジマの記憶を司る分野の一部は機械化されている。過去の文明が築いた『オルタネイト』の技術だ」
人間は脳から発せられた電気信号に従って動く。ならばその電気信号を受信することができれば肉体の一部を機械に置き換えても動く。それがオルタネイトの始まり。主流になっていったのはかつての大戦時だった。欠損した肉体を埋め合わせるべく機械を宛がう。その機械はかつての肉体よりも大変便利で、よく動いた。
「シジマの肉体はやがて朽ちる。だが、情報は残る。この頭に」
「あの紙切れに『詳しくは犬に聞け』って書いてあったからそうさせてもらうが、この後、ぼくは何をすればいい?」
「そう固くなるな。お前の師が作り上げた優秀なこの俺がついている」
犬はバイクの傍に置いてあったジュラルミンケースの取っ手を咥える。大変だろうからこちらから動くことにした。
ケースを床に置き、開く。
何か液体が入ったカプセルが三本、また書置きが一枚。
「これは?」
「名前は『リバース・アース』だ」
書置きにもその名前が書いてあった。
「シジマがようやく発見した新元素にして……世界を救う鍵となる」
「このカプセルが?」
「信じていないようだな。これがあれば、お前のバイクも鉄くずではなくなる」
「は?」
「汚染された地上を浄化する力があるんだよ、これには」
そんな素晴らしいものをシジマさんは発明していたのか。とてもじゃないが信じられない。
「シジマさん……ただの人形師じゃなかったんだな」
「よく知っているくせに」
「まぁね」
「要するに、シジマは後継者であるお前に最初の課題を出したってことだ」
ケースを握り締め、立ち上がる。そして、下を見る。
「課題?」
「世界を救え」
最初の課題にしては重大だが、それくらいできないとあの人のような、あの人を超えるような人形師にはなれないのだろう。
あ、とそこで約束を思い出す。
「ちょっと待っていてくれるか」
キョトンとするサンにケースを渡し、走り出す。足取りが妙に軽い。エレベーターの待ち時間がもどかしい。非常階段を駆け上がった方が早い。すぐに階段を蹴り上げる。踊り場でキュッとスニーカーが鳴る。
無人のレストラン、無人のカフェ、無人の農園。せっせっと働くのはロボットだけ。彼らはぼくのことなんて気にもせず与えられた業務を的確にこなしている。そうプログラミングされている。
冬眠室のベッドの群れから、彼女の眠る場所を探す。見つけた。
可愛らしい寝顔を無防備に晒している。よく寝ている。
電源ボタンを押し、冷蔵から解凍へ。しばらくして、カバーが開く。白い煙の中に人影が揺らめく。寝ぼけ眼をこすりながらこちらを見てくる。
「おはよう」
「おはよう……リョウジは早起きだね」
「早起きは三文の徳である。この言葉を教えてくれたのってルーナだったんだな。さっき、思い出したんだ」
「そうなの? 覚えてない……もう三年も経ったんだ。早いなぁ」
「周りを見て御覧」
背伸びをして、ルーナはベッドから降り、もう一度背伸びをしてきょろきょろと辺りを見渡す。まだ気持ち良さそうに眠っている人ばかりだ。
「随分早起きだったんだね。リョウジ」
「ルーナもね」
ようやく、ルーナは異変に気が付いた。
「えっと……おはよう?」
どうして疑問形と思ったが、
「おはよう。目が覚めただろ?」
挨拶には挨拶で返事した。
ハイバネーション開始から、それほど時間は経過していない。
「夢であってほしいけどね」
ぼくは大きく息を吐いて、両頬を叩いて気合を入れる。
「ぼくと一緒に来てくれないか」
手を差し伸べる。彼女は訳も分からないだろうが、それでも手を握り返してくれた。その手は少し冷たかった。
「……どこに?」
「あれ、そういえばどこだろう」
目的地を聞くことを忘れていた。
「『ひかり』に向かう」
背後から低い声が聞こえた。そこには呆れた顔をした犬がいた。
「隣のシェルターに? どうして?」
ぼくも気になった。
「詳しくは道中説明する。ったく、眠っているお姫様を起こすのは王子様の役目だぞ」
「王子様なんて柄じゃねぇよ。ぼくはぼくだ」
ぼくがぼくであるように犬も犬でしかない。
「そうだな。馬鹿は馬鹿だ」
「あの」
ルーナが申し訳なさそうに言った。
「着替えてきてもいいかな?」
ぼくとサンは頷いた。