最終話「夏」
バイクのエンジンを確認する。問題ない。
解放されたゲートからはまだ違和感のある世界が広がっている。
「しっかり掴んでいてね」
後部シートに座るルーナに声をかける。ルーナはデフォルメされた犬のステッカーが貼られた半ヘルメットを被っている。ぼくも同じものを被っている。ゴーグルを装着し、準備は整った。無理矢理くっつけたサイドカーにゴーグルを着用した犬がいた。
「乗り心地はどうだ?」
サンに尋ねる。
「良い。だが、お前の運転が心配だ」
「安全運転で行きますよ」
クラッチを握り、ニュートラルから一速にギアを入れる。
「じゃあ、行きますか」
アクセルを捻る。徐々にギアを上げ、バイクは道路から荒野を走り出す。
「風が気持ちいいね」
ルーナが辺りを見渡しながらはしゃいでいる。サンも安心したように前を見ている。
「ちゃんと動いたな」
「お前のおかげだ。ありがとう。サン」
「よそ見するな」
風車の並び地帯を抜け、広々とした場所に出る。そこにぽつんと寂れた建物が目に入った。目を細め、そこに書かれてある文字を読む。
「おい、見ろよ」
「どうした」
「ガソリンスタンドだ」
いつかの会話を思い出す。
バイクを停め、眺める。腹を抱えて笑ってしまった。
「ガソリンスタンド、あったな」
サンの方をニヤニヤしながら見る。
「給油はできんぞ」
「そうですね、そうですねぇ」
「グルル……」
唸り声が聞こえたのでからかうのを止めた。
再びバイクを走らせる。浄化確認区域の地図を事前に見て、行けるところまで行くことにした。丁度、目的地に相応しい場所もあった。
「ねぇ、ねぇ」
後ろのルーナが興奮したように身を乗り出す。危ないよと制止するべきだが、彼女の気持ちが痛いほど分かるからやめた。だが、強く抱き締められているのは息苦しい。
ルーナが手を伸ばし、遠くを指さす。
「あれって……」
空の青と混じるような景色が目に入る。
「海だよ」
「初めて見た」
「ぼくもさ」
砂浜の手前でバイクを停める。ルーナはヘルメットを投げ捨て、海に駆け出す。
「あはは、すごい!」
靴を脱いで、砂浜を裸足で走る。小さな足跡が刻まれていく。
ひんやりとした海水に「ひゃっ」とルーナが驚く。時期的に泳ぐにはまだ早いかもしれない。けれども、海を目の前にして泳がないという選択肢はない。
「この辺りの海水は大丈夫なのか?」
少し心配そうにサンがぼくに聞いてくる。
「問題ないらしい。博士が海に夢中で優先して浄化しているんだ」
「気持ちは分からんでもないが」
「いいじゃないか。こんなの実際に見たら抑えられないって」
「だな」
「にしてもルーナ、嬉しそうだな」
波打ち際で海水を蹴り上げ、その飛沫を一心に浴びている。水着なんて持ってきていないのに彼女はお構いなしだ。
「リョウジ、なにしてるの」
大きく手招きするルーナに微笑む。
「今行くよ」
足元の慣れない感触に感動しながら一歩一歩進む。
潮風は吹き、少し目を閉じる。
「サン。行くぞ」
「いや、いい。ここで見ている」
「どうしてさ、行こうぜ」
「機械の体には……な」
「お前が寝ている間にその辺りは改造しておいたぜ。行くぞ」
「勝手なことをしてくれたな……だが、腕を上げたと褒めるべきか」
サンはそれでも動かない。
「もしかして……水が怖いのか?」
「そんなわけ……ある」
恥ずかしそうに顔を背けられる。犬みたいに可愛らしい。
「一緒にいるからさ。な?」
「分かったよ」
渋々、頷くサン。だが、先程から尻尾を激しく動かしているのには自覚がないみたいだ。
「おーい」
ルーナの声が青空の下で響いた。
ぼくは上着を脱ぎ捨て、海に飛び込む。
ぼくの両肩にしがみつくようにサンがいた。隣にはルーナがいる。
太陽が眩しい。本物の太陽だ。
長い冬が終り、春にぼくらは目覚めた。
もうすぐ夏が来る。
〈了〉