第二話「名付け親」
中央噴水広場という名称だが、ここには本物の水が流れているわけではない。ホログラフィックだ。水は貴重だから当然ではあるのだが、これは逆にむなしいだけではないだろうか。幼い頃から疑問に思っている。
その噴水に腰かけて足をぶらぶらさせている女と目が合う。
「遅い」
「お前が早いんだよ」
ルーナは頬を膨らませていた。
ショートカットで、茶髪。服装はシンプルなものを好む。趣味は裁縫。もう一つの趣味は娯楽室にある少女漫画を読む漁ること。周囲には隠している、つもりらしい。
「何考えてんの?」
上目づかいで見てくる。というか睨まれている。
「お前のこと……考えてたんだ」
「気持ちの悪いこと言うわね。悪いオイルでも飲んだの?」
「飲まねぇよ」
失礼な奴だ。だけど、笑っているから許してくれたのだろう。
「サトルから聞いた?」
「ああ。点検ならさっさと終わらそう」
「う、うん。そうだね」
妙に手をもじもじとさせている。もしかしたら寒いのかもしれない。
「温かいの飲むか? 奢るぜ」
「奢るって……親の金でしょ?」
「違う違う。この間、スクラップ置き場にあった使えそうな部品をシジマさんに買い取ってもらったんだ」
シジマさんはこのシェルター唯一の人形師。御年七十歳のベテランだ。この人には子どもの時からお世話になった。ぼくが機械を弄るのが得意なのはこの人の影響だ。
「そ。あんまり、おばさまやおじさまに迷惑をかけちゃだめよ」
「分かってるよ。ほら、行くぞ。寒いんだろ?」
「別に寒くないわ。さっきまで動いてたから暑いくらいよ」
「あれ、そうなの」
勘違いだったようだ。
「じゃあ、点検行こうぜ。大ホールだろ?」
「ええ」
何か言いたげな様子だが、こっちとしては早く片付けてバイクを組み立てたい。
会話もないままエレベーターは降下していく。
密室に二人きり。息が詰まる。
「あの、さ」
ルーナが口を開く。
「私たち、もう何年の付き合いになるの?」
「二十年だろ。生まれた時から一緒みたいなもんだし」
「長いね」
「でもさ、冬眠期間も入れたら……何歳だ? すぐに計算できないけど。それなりに長い付き合いだよな」
それだけ付き合いがあっても知らないことはある。
「リョウジはさ、これからどうしていくの?」
「仕事か? 誘われてるのならサトルもしてる清掃業かな」
「シジマさんの弟子になったら?」
「あの人は弟子を取らないんだ。『ワシの技術は真似できん』って怒られた」
「あはは、モノマネ上手だね」
「そう? でも、腕前は真似できないんだよな。あの人は凄いよ」
「最近、スクラップ置き場で何かしてるの?」
「バイクを復元しているんだ。いつかさ、それで青空の下を走りたい」
「青空か……」
ルーナは宙を見つめ、
「いいね。私も連れて行ってよ」
「いつかな」
「約束」
「ん、約束」
急に照れ臭くなり、意味もなく着けてもいない腕時計を気にする素振りをした。
彼女も彼女でそこから何も言わなかった。
到着を告げるチャイムが沈黙を破った。
大ホールには棺桶に酷似したカプセル・ベッドが等間隔に並べられている。ここで人類は眠りにつく。朝も夜も構わず眠って、三年後の朝に目を覚ます。そこには今までと何ら変わりのない光景しかない。ただただ、よく寝たなという感想しか出てこない。
ルーナの後について歩く。
「このベッドが気になるの」
指さされたベッドを触ってみる。寝心地の良さそうな弾力がある。
「中、見てもいいか?」
「壊さないでよ」
ポケットからドライバーやらを取り出し、作業に入る。
「特に異常は……」
奥に何かが見えた。だが、見えない振りをした。
「ないかな。次は配線とかも見るから、少し離れていてくれ」
「分かったわ。私、他の見てくるね」
ルーナがいなくなったのを確認し、再びベッドに視線を戻す。
「これは……」
明らかな故障があった。専門外のぼくでも分かる。
このベッドは正しく稼働しない。つまり、ただのベッド。
番号は2037……メモに控えておく。
「早起きしてよかったな、ぼく」
ベッドを元に戻し、ルーナに異常なしと報告し、部屋に帰ることにした。
スクラップ置き場で煙草を吹かしていると犬が眠そうな目をして膝に乗ってきた。
「危ないだろ」
「なら、どうするかな?」
舌打ちをし、煙草を揉み消す。吸殻を携帯灰皿に捨てる。
犬の頭を少し過剰に撫でてやる。触り心地抜群の良い毛並みだ。
「熱い熱い熱い!」
「可愛いでちゅねぇ、ワンちゃん、いい子いい子」
「やめんか」
強力な蹴りを下顎にくらう。脳震盪を起こしそうになった。
床で悶絶しているとまた別の来客が姿を現した。
「掃除中?」
ぼくを心配そうに見下ろすルーナがいた。
「どうしたルーナ。珍しいな」
「別に……これがバイク?」
起き上がり、胡坐をかく。
「そ。まだ全然走れないけどさ」
「これ、本当に直るの?」
「時間はかかるけど」
「ふぅん。あ、そうだ。おばさまからプレゼント」
母さんから? 一体何だろうとその紙袋を受け取る。サンドイッチとカフェオレの缶が二本入っていた。そのカフェオレの缶を一つ手に取り、ルーナに差し出す。
「ありがとう」
ルーナは僕の隣に座った。そのすぐ傍に犬がやって来て、喉を鳴らしている。
「可愛いわね、このワンちゃん。名前は?」
「マドレーヌちゃん」
「ぞわぞわする!」
犬が吠えた。犬のくせに猫を被るからいけないのだ。
「本当の名前は?」
改めてルーナに聞かれるが、
「名前は……ない」
名もなき犬も今度は寂しそうだ。
「そうだ。お嬢さん。あなたが名付け親になってくれませんか」
「えっ、いいの?」
「おいおい。それはぼくの権利だろ犬」
「黙れ馬鹿。それで……どうでしょう?」
つぶらな瞳でルーナの顔を見上げる。その様子だけ見ていれば何かの映画のワンシーンみたいだ。
「じゃあ、引き受けます。あなたの名前は」
ルーナが一呼吸置いて、言う。
「サン」
サン。確か太陽という意味。月と太陽か。
「悪くない。いい名前じゃないか。良かったな犬」
返事はない。
「犬……?」
はっと犬は顔を上げる。
「すまない。ロボットは涙を流せないらしい」
それほど嬉しかったのだろうか。その言葉を聞いたルーナも嬉しそうだ。
「ありがとうお嬢さん」
「ルーナでいいわ。よろしくねサン」
「ああ。こちらこそ」
しばらく二人と一匹で話をして、ルーナは上へ戻っていった。
「いい子じゃないか」
ぼくも頷く。犬の頭をまた撫でてやる。「くすぐったい」と拒まれた。
「さてと、作業開始だな」
立ち上がり、背伸びをする。今日中に進めるところまで進めたい。
「犬使いの荒い奴だな」
「よろしく頼むぜ、サン」
モンキーレンチを放ると、口でキャッチした。犬っぽいな。
「お前に呼ばれると何故か腹が立つな」
ハイバネーション開始まで、あと一か月。