第十六話「素晴らしい世界」
爆発音で目を覚ました。
狭い通路にいた。広場からセリオが運んでくれたのだろうか。
「大丈夫?」
「くたくたね、リョウジ」
隣に双子がいた。
「セリオは?」
「無事よ。サエジマ様のところにいるわ」
クライネが抑揚のない声で言った。
「よかった……あいつがいなければぼくは」
「無茶するよね、リョウジも。もう」
アイネがぼくの頭を撫でる。大きく頭が揺れて少し吐きそうになる。
「やめて、やめて」
本当に吐きそうだ。
「恥ずかしいの? 照れているのかしら」
残念そうな顔をしてアイネは手を下ろした。
「形勢逆転よ。リョウジ」
立ち上がったクライネが手を貸してくれた。起き上がると脳震盪がした。ふらつくとアイネが優しく支えてくれた。
「それって……」
双子が奥の扉を指差す。二人に支えてもらいながらその扉を目指す。
そこは草木が生い茂る、シェルターの中とは思えない場所だった。天井には青空があったが、それはプロジェクターで映し出された偽物だった。しかし、足に生える草や、太い幹の樹は本物であった。どこかから運び込んだのだろう。
「リョウジ」
サエジマとセリオが並んで立っている。セリオの体は傷だらけだった。あの状態でぼくをここまで運んでくれた。命を助けられた。
「セリオ、ありがとう」
「ママの命令だ。お前に感謝されても嬉しくない」
「あなたは自慢の息子よ」
セリオは蕩けそうな顔をしていた。ぼくは苦笑いした。
「さてと……」
サエジマが一歩前に出る。セリオの表情も真剣になっている。
「リョウジ。こちらへ」
手招きされ、アイネとクライネに礼を言ってから一人で歩く。
「イヌカイ……」
四肢をもがれ、切断面からは火花が散っている。イヌカイは既に人間ではない。けれども、痛々しい光景だった。
「よう……救世主。お前が寝ている間に物語はどうやら終局だ」
「物語?」
「後に神として君臨する……偉大なる男の物語が、な」
「あんたは神にはなれない。人間は人間のままで、機械は機械のままだ」
誰だってそうだ。それは未来永劫変わらない。不文律。
「人類の大半は今も眠り続けている。どんな夢を見ていると思う? 各々が各々の記憶を整理しつつ……脳はどんな幻想を見せている? 私は……いつも灰色の夢を見ていた。灰色の空の下で、灰色の自然が広がっている。灰色の人間どもが灰色の街で暮らしている。私は路地裏で、木箱の上で眺めている。指をしゃぶり、まるで誰かを待つように。最近になって、誰を待っているのか気付いたよ」
右腕を動かそうとしているのだろうが、そこから先が存在しない。
きっと彼は天に向かって手を伸ばしているのだろう。
「母親だ」
「母親?」
「私には母の記憶も、父の記憶もない。写真も残されていない。親の顔が分からない気持ちがお前に分かるか? この感傷……もはや心などないのに痛む。理解しがたい。今でも痛いんだ」
「その空白を埋めるため、人から奪った」
「私は」
絞り出すような声でイヌカイは言う。
「自分だけの世界が見たかった」
皆が持たざる者ならば不可解な現実さえも理解される。
独りよがりの男の物語。その結末。
イヌカイがぼくの顔を下から眺めている。ぼくは腰を下ろし、できるだけ視線を合わせる。
「あんたは……どうしたい?」
機械の肉体で永遠の命を手にし、世界を独り占めする野望を阻止された。
そこから何を選ぶ。
「何も」
彼は何も望まない。
「もう疲れた」
目を瞑る。それ以上彼が言葉を紡ぐことはなかった。
風が吹いたような気がした。
工房で目を覚ました。時計を確認し、丸一日眠っていたことに驚く。
「おはよう」
温もりのある声がした。
「おはよう。ルーナ」
「ぐっすり寝てたね。私の方が早起きだ」
くすりと笑われた。
「いつからいたの?」
「少し前」
体を起こし、軽く体操する。問題ない。まだ疲労感は残っているが、なんてことはない。まだ問題は山積みだ。
ルーナは段ボールの中で眠りにつく犬の頭を撫でていた。傷跡が塞がっている。彼女が縫ったのだろうか。サンは起きない。まだ重大な損傷を負っているから起動しない。修理には時間がかかるだろう。
「朝食は? リサさんが用意してるよ」
「貰うよ。取り合えず、着替えたい。シャワーも浴びたい」
ルーナは「分かった」と部屋を出た。
支度を終え、サンを見る。
「もう少し、待っていてくれ」
必ずもう一度吠えさせてやるから。その時はぼくを怒ってくれ。
そっと頭を撫でてやる。気持ちのいい毛並みだ。
「行ってきます」
目を覚まさない犬に向かって呟いた。
『ひかり』の修復作業はロボットたちによってほとんど以前と変わらぬ姿になっていた。眠りにつくことなく作業を続けていたのだろう。それでいて腕もいい。
リサと朝食を終え、そのまま二人で会議室に行くことに。
「よく眠れた?」
「とてもね。こんなに眠ったのは冬眠以外で初めてだ」
リサも色々と動いていてくれた。彼女のサポートがなければ形勢逆転することも難しかっただろうとサエジマが褒めていた。休んでいたぼくの代わりにリサは頑張っていた。そのことの礼を言うと、
「リョウジ君がいなかったら駄目だったよ」
そう言ってぼくの肩を叩いた。傷口に染みた。
「アイネとクライネは元気?」
「いつも通り。あの子たちもリョウジ君のことを心配していたわ」
「そっか。後で顔を見せに行くよ」
「そうしてあげて」
エレベーターが到着し、乗り込む。人が乗っていて『開延長』のボタンを押し、ぼくらを招き入れてくれた。
「いやぁ、私が研究に没頭している間に何やら騒ぎがあったみたいで」
一連の騒動については聞いているのだろうが、タチバナは飄々としていた。
「リョウジ君。だいぶお疲れのようだね。後で、特製の元気が出るドリンクを差し入れしてあげようか?」
「はは……お気持ちだけ」
「残念」
今日の会議には彼にも参加してもらうことになった。
広々とした会議室にはサエジマのシェルターの住民が後方に座っていた。その中にはサエジマも、傷だらけのセリオもいる。イヌカイを支持していた者もいる。だが、緊迫した様子はなかった。イヌカイの真の目的まで知っていた者はいなかったのだろう。
「これで、全員か」
サエジマが前に出て、周囲を見渡す。
「リョウジ、お前が話すか?」
「そうします」
最前列にサエジマ、セリオ、リサ、タチバナの四人が座る。このメンツに真正面から見られると思うと緊張してきた。
壇上に立ち、マイクをチェックする。一度してみたかった。指でこつんと触れるとハウリングが起こった。
「どうも、おはようございます。ぼくはリョウジです。『なゆた』からリバース・アースを運んできました」
まずは簡単な自己紹介から始める。
「イヌカイさんのことは……耳に入れているとは思います」
イヌカイは今も、あの場所で眠っているという。サエジマは破壊すべきだと言っていたが、ぼくが拒んだ。我儘かもしれない。そっとしてあげたかった。
本題を切り出すことにした。
「プロジェクトを再開します」
ざわざわと騒がしくなった。意外だったのだろうか。
「シェルターの復旧作業と並列して行うことになりますが、先送りするつもりはありません。寧ろ、今だからこそです。機械と人間が手を取り合えば不可能ではありません。お願いです。力を貸して下さい」
反応はない。
ぼくの声では届かないのだろうか。
誰かが手を叩いた。そして、つられるように拍手の音が大きくなっていく。いつの間にか割れんばかりの音が会場を包み込んだ。
「ありがとう」
再び時代は動こうとしている。
「後は任せろ」
ぼくの肩に手を置き、サエジマが言う。
「お願いします」
マイクに向かって彼女の紹介をする。そこから握り締めていたマイクを強引に奪い、高らかに宣言した。
「イヌカイに代わって今日から私がこのシェルターを治める。サエジマだ」
ぼくは安心したようにほっと胸をなでおろした。壇上を降りる。
「共に世界を繋げよう。共に緑豊かな大地を駆けよう。このプロジェクトの根幹だ。常に忘れないで欲しい。今はまだ眠る友や民を驚かしてやろう」
彼女の力強い声に聴衆も歓声をあげる。
「お疲れ様」
ルーナが冷たい水を渡してくれた。一気に飲み干す。
「緊張したよ。でも、サエジマさんがいて良かった」
小声で話す。
「これから、だね」
「ああ」
まだ始まりに過ぎない。これは最初の一ページでしかない。筆を執って続きを書かないといけない。そうでなければ終わることはない。物語はそうやって生まれていく。
主人公は誰でもいい。いや、誰もが主人公でもいい。
目を瞑り、未来を想像する。
「きっと、素晴らしい世界が待っている」
ぼくはルーナの手を握る。彼女もその手をしっかりと握り締めてくれた。