第十二話「選択肢」
エレベーターはいつものように静かだ。呼吸を整える。
最上階にたどり着き、イヌカイの部屋に急ぐ。ネームプレートを確認し、ドアを叩く。
「イヌカイさん、イヌカイさん」
「どうした?」
イヌカイはぼくの顔を見て、慌てて部屋に通してくれた。
広々としたイヌカイの部屋は殺風景で、唯一、壁にかけらえた大きな絵画のみがこの人の個性を主張していた。
「サエジマが工房を襲撃してきました」
「本当か!」
「サンがいてくれたのと、警備ロボがいたからなんとかなりましたが……この状況は不味いと思います。何か、嫌な予感がします」
「すぐみんなに伝えよう」
「あいつら、銃を持っています。人が……怪我じゃすまないかもしれない」
「分かった。リョウジ君、ベッドで休んでいてくれ。後は任せてくれ」
「ぼくも行きます。あいつら、人形を使って何かしでかすかもしれない。人形師として見過ごせない。ぼくだって、人形で人を傷つけたくなかった。彼らは人間を守るために存在しているのに」
「君にはつらい思いをさせた。申し訳ない」
「実際、ああしなければぼくは死んでいたかもしれない」
「奴らが次に襲撃するとすれば……武器庫か、工場か」
「目的はなんでしょうか。あいつらの……」
「教えてあげましょうか」
振り返ると真っ赤な姿の女と傷だらけの男が立っていた。サエジマとその自慢の息子セリオだ。
「人形師、人の話は最後まで聞くべきよ。飼い犬にもそう躾けておきなさい」
「サエジマ……」
イヌカイがぼくの前に立つ。
「久し振りですね。サエジマさん」
「人殺しの癖に偉く礼儀正しいじゃない。イヌカイ」
人殺し?
「なんのことだ」
「私の父親……前『ひかり』シェルター長を暗殺した、汚い男のことよ」
記憶をたどる。昔、そういう騒ぎがあったと噂で聞いたことがある。
『ひかり』であったのか?
「記憶にない。私は民に選ばれた」
「選択肢を閉ざしてね。反吐が出るわ」
「目的を言え。すぐに警備ロボや部下が来る。お前らは逃げられない。袋の鼠だ」
「窮鼠猫を嚙むとも言うわよ?」
「言葉遊びをするつもりはない」
「簡潔に言いましょう。計画を放棄しろ」
サエジマははっきりそう言った。
「断る」
イヌカイは即答した。
「争いは無意味だ。何故分からない」
「意味があるからよ」
無言のまま睨み合う。
「ママ、あいつら殺す?」
沈黙を破ったのはセリオだった。
「人形師は殺さないのよ。あっちのスキンヘッドだけを狙うのよ」
「分かった。うまくできたらアイスちょーだい」
「ええ。とびっきりのをあげるわ」
セリオの姿が消える。銃はもう持っていないはずだ。
近接攻撃。あいつの肉体は機械。殴られたらただでは済まない。
「イヌカイさん」
もう遅かった。イヌカイの背後にはセリオがいた。羽交い絞めにされている。逃げる暇なんて最初からなかった。
「人形師、チェックメイトよ。銃なんて触ったことないでしょ」
銃を出そうとしているのも感づかれていた。
「人形師。地獄への道は善意で舗装されているの。甘やかして、甘やかして、最期には惨めな死を迎える。肥えさせて食べられる家畜のようにね」
「どういう意味だ」
「この男はあんたが思っているような男ではないってこと。人を人とも思わない残酷で冷徹な男なのよ」
「あんたの方が残酷に見えるが?」
サエジマは馬鹿を見る目をする。
「人を見かけで判断するなんてナンセンス」
「勉強不足で申し訳ない」
「無知は恥よ。知は武器よ。知ることから逃げてはいけないわ」
彼女は高級そうな椅子に体を預ける。
「そもそも、このシェルターは彼らのものではなかった。私たち、サエジマが所有していた財産であり、楽園であった。この楽園を侵したのはイヌカイ……あなたとあなたの汚れた仲間たち」
「もう、いい……」
イヌカイの声がする。サエジマは構わず話を続ける。
「大戦が終結し、人類は地下に暮らすようになった。分断されたはずの人類も時が経つにつれて交流することが可能となった。我々人類はどこか安心していた。あんな争いがあったのだからもう争いは起きない。真剣に思っていた。そんなはずもないのに。人は略奪し、殺戮する生き物である現実から目を背けていた。閉ざされた世界を壊すのはいつだって余所者なのよ」
イヌカイはもう何も言わなくなった。
「イヌカイたちは暮らしていたシェルターは崩壊した、食料もない、助けてくれ……そんなことを言って移住を申し出た。そういう設定だったと知ったのは後のこと。彼らはそうやって各地のシェルターに侵入し、遊び、逃げるを繰り返しをしていた。その一行がようやくこの『ひかり』にたどり着いた。それだけのことだった。でも、彼らはここがとても気に入った。何故か。簡単よね」
サエジマがイヌカイに答えを求める。
「まただんまり?」
「ハコブネ……そして天才の存在……とでもいいたいのか?」
吐き捨てるようにイヌカイは言った。
「丸をあげるわ」
満足したようにサエジマはこちらを向く。
「父の道楽である地下動物園。タチバナ博士が学会で机上の空論と馬鹿にされた果てに完成が近づいているマザー。この二つとシジマが発見した新元素リバース・アース……世界を創り直すには充分」
「じゃあ、ぼくらが『ひかり』に来たのは」
シジマさんの言葉を思い出す。世界を救え。
「リバース・アースだけが目当てよ。後は用済み。邪魔さえしなければ何不自由ない生活を送らせる。ここで飼い殺しにする。何か問題を起こしてもすぐに処分できるように手の届く範囲でね」
「嘘だ」
「そうだリョウジ君。私を信じたまえ。騙されてはいけない」
イヌカイさんの声が響いた。サエジマは表情を変えずにぼくに告げる。
「逃げるな人形師。ここは人類の終着地だ。もうどこにも逃げられない」
「ぼくには……選べない」
どちらが正解なんだ?
ぼくはどうすれば間違えない?
「イヌカイは神にでもなるつもりよ。救世主として今後の人類史に名を刻み続ける。見栄と自己顕示欲の塊。空前絶後のエゴイスト」
「じゃあ……あんたが神になるつもりか?」
魔女は笑う。芝居がかったように。
「興味ない。でも……そうね」
少し考えるような素振りを見せる。
「この男が神になるくらいなら、私が神になるのも悪くない」
「ママ、神様になっちゃうの?」
「そうよセリオ。嬉しい?」
「うん。幸せだなぁ」
「よしよし。そのまま離さないでね」
暢気な親子の会話。腹が立つ。
「今回の襲撃は気まぐれではないのよ人形師。リバース・アースが到着し計画が最終段階に入るのを待ってあげた。私なりの優しさよ。そうでなければ、あなたが決断することはできないと思ってね」
「優しいんですね」
「ええ。とっても」
「目的はこのシェルターの奪還?」
「そして、イヌカイの処刑。リバース・アースも頂戴するわ」
「あんたも太陽を浴びて生活したいんだろ? 概ね目的は一致しているじゃないか」
「少し違うのよ。この男は愛する国民に隠していることがある」
廊下が騒がしくなる。ようやく警備ロボや兵が来たのだろう。形勢逆転だ。
「イヌカイさんを離せ」
「断る。私も馬鹿じゃないのよ」
「そうよ。リョウジ君」
煙草のにおいがした。
どうして。
「リサさん、どうしてぼくに銃を向けるんです?」
ぼくは両手を静かに上げる。降参だ。
「おねーさんはあなたを撃ちたくないわ」
後頭部に氷が当てられたような、背筋が凍る温度。
「リサは私の優秀な部下ってわけ。ということは?」
リサは銃を押し付けたまま、ぼくの方向を変える。
その視線の先にはとても仲良しの双子がいた。
双子は果物ナイフをそれぞれ持ち、その切っ先をルーナの白い首に向けていた。
「ごめんね、リョウジ。怒らないでね」
「リョウジ。今はサエジマ様に従うのよ。それが正解だわ」
ルーナは震えて声も出ない。
「さてと……役者は揃ったわね」
サエジマが手を叩く。行儀よく整列した兵士が姿を現す。
「場所を変えましょうか?」