その書
二人の男が、中へと入って来て手に持つ結構な重量がありそうな本を、棚に返すのではなく、傍の大きな木箱の中へと収めた。
そして、大きな南京錠をそれにかけると、カチッと音がするまでしっかり押し込み、ポンとその蓋をたたいた。
男の一人が、言った。
「…そんなに厳重にしなくても、どうせオレ達以外はここへ入って来られないのに。」
もう一人の男は、軽くその男を睨んだ。
「何を言ってる。身内ほど面倒なものはないんだぞ。来斗が何度これを持ち出そうとした。ほかの奴らもだ。ほかの本とは違うんだぞ。これだけに真実を書いてある。それを見つけたのはオレだ。だから、これはオレの物なんだ。」
男は、肩を竦めた。
「へえへえ、オレ達はせいぜいその恩恵にあずかれることを感謝しますよ。」と、また光の方へ向かって足を進めた。「それで、亜津真さん、もう終わりそうですか?」
亜津真と呼ばれた男は、頷いた。
「もう、魔法陣の準備は終わった。」と、ニヤリと笑った。「うまい具合に近くで神が見張ってるみたいだし、材料はすぐに揃いそうだ。もうすぐだぞ、名津。」
名津は、ハッハと声を立てて笑った。
「酒を仕入れて来ないといけねぇ!」と、足取りも軽く外へと出て行った。「ま、買う必要もなくなるんだろうけどな。」
そうして、二人はそこを出て行った。
そして、その扉は閉じた。
「…急に申し訳ありませんでした。」
聖矢が、小声で言う。
瀧は、まだ掴んでいた本を手にしたまま、首を振った。
「助かった。」と、瀧の両脇を掴んで高い崩れかけの天井まで上がっていた、聖矢は下りて来てそっと瀧を降ろした。瀧は続けた。「お前が居ないとヤバかった。」
瀧は、手にしていた本を本棚へと戻すと、そっとあの男が触れていた、箱へと向かった。
そして、その南京錠を壊そうと思ったが、鉄製なので結構な力が要り、あちらに人が居る時には、気づかれてしまうだろう。
なので、今は諦めて、引き返した。
「…向こうへ。」
瀧が聖矢に合図する。聖矢は、頷いてそれに従って、スーッと上を通って皆が待つ場所へと戻った。
待っていた、神主達の中の、巽が言った。
「…遅かったの。待っておる間、こちらの書籍を読んでおったのだが、驚くような地図が出て参ってな。まるで、上空から見たような詳細なものぞ。」
聖矢は、なになにと巽が示す、地図を見た。
それは、まるで自分たちが上空から地上を見た時のように、確かに詳細に描かれた山々、そして海岸線の曲線まで、事細かに描かれてあった。
「…すごいの。これが、遥か昔にあったと言うのか。」
巽は、頷いた。
「そうなのだ。我らも驚いて。」と、背後にある、見たこともない記号のような文字の本も差し出した。「これなど、神倭以外の外の様子などを書いてあるのだ。そんなもの、あるのは知っているが人は居らぬ。しかし私はこの文字の読み方も、我が神から学んでおけと言われて学んでおったから読めたのだがな。」
巽の神は、清輪だ。
聖矢は、顔をしかめた。
「…見たこともないわ。同じ言葉を別の文字で書いてあるのか?」
巽は、首を振った。
「いいや。別の言語で、その昔今は居らぬが外の世界で使われていた言語なのだとかで。もし、何かがあって外からもし生き残っていた誰かが来た時、その言語を知っておれば皆を導けると。なので、うちの千早も千尋もこれを学んでおるぞ。ええっと、英語とかいう。ちなみに、若いやつら使う言葉の中に、その言語が混じっておる時がある。ラッキーとか、チャンスとか言う時があろう。あれが、その英語とかいう言語なのよ。」
聖矢は、驚いた顔で巽を見た。
「主ら、思ったよりずっと多くを学んでおるのだな。清輪様は厳しい神だと聞いておるが、学ぶことも多いか。」
巽は、息をついた。
「まあなあ。清輪様は、愚かであったり怠惰であったりするのを、殊の外嫌われるからの。何をお伺いするのも、びくびくして聞きに参るのだ。とはいえ、主らに話している以上のことを、恐らく我らは教えられておる。が、その時が来るまで口外ならぬと言われておるから、この不動結界の中身のことも、言えずにいた。」
脇から、克己が言った。
「え、主は知っておったのか?」
巽は、頷いた。
「知っておった。なのでそれが知れたと伝え聞いて、時が来たと思った。我が神は、このことを仰っておられたのだと。」と、腕に巻いている、石の腕輪に触れた。「皆が思うほど、我が神は非情なかたではない。我らのことを案じ、退役した後の私にまで守りの石を持たせてくださっておる。もちろん、我が子千早にも、その子の千尋にもな。あの方は、ああいう風にしか振る舞えぬお方なのだ。」
神主にしか分からぬことがあるのかもしれない。
瀧が、言った。
「そこまでにしとけ。結麻が言ってた亜津真とかいう男を見た。あいつが使ってる術を書いた、本の場所も分かった。が、今奪おうとすると気取られるから、今は無理だ。奥に術の準備をしているらしい。そっちを見て来よう。今、あいつらは飯食っててこっちに居る。奥は誰も居ねぇ。」
皆は、表情を引き締めて頷いた。
「では、そちらへ。」
瀧や聖矢達は、瓦礫の隙間をあちこち調べながら、奥への道を探していた。
結麻は、結局碌に眠ることも出来ずに、身を起こした。
もう昼になっている。
不動結界の中で、今頃どうなっているのか、気になって仕方がない。
が、自分にできるのは、あの亜津真という男が、いったい何の術を使おうとしているのか思い出すことだ。
そして、それを無効化する、もしくは解呪する術を、思い出さねばならなかった。
早くしないと…もう少しとか言ってた気がする。
結麻は、起き出して行って水を汲み、顔を洗った。
すると、大聖がやって来た。
「結麻、まだ寝てるかと思って、昼飯を持って来てやったぞ?もう起きてるなら、居間で食うか。」
結麻は、大聖を振り返った。
「ありがとう。でも、こっちで食べるよ。」
大聖は頷いて、縁側に食事の入った箱を置いた。
その箱は、かつての世界では岡持ち(おかもち)と呼ばれていた物にそっくりだった。
…こんなことは思い出すのに。
結麻は、思いながら縁側に座り、箱を開いて中身を出すと、食事を始めた。
大聖は、言った。
「…あんまり思い詰めるなよ。そもそも前世でも知らないことかも知れないんだから。」
結麻は、息をついた。
「分かってる。でも、こればっかりは多分知ってるの。でも、ハッキリ出て来なくて。焦れば焦るほど、出てこないの…でも、私の中ではこのために、このためにって何かが叫んでる。私、多分肝心な所を思い出せなくて、記憶のある私に叱られてるんだと思う。」
大聖は、顔をしかめた。
「その感覚はオレには分からないが、とにかく食え。」と、大きなお櫃を脇に置いた。「おかわり用だってお母さんに持たされたんだ。食って力を蓄えるしか、今のお前にはできない。もしもの時に痩せてたら、伊津岐様のお力にもなれないぞ。ちょっと話しただけで倒れてたら、どうやって長い術とか伝えるんだよ。」
あれは、伊津岐様の向こうに紅天様、清輪様、緑楠様が見えてたから。
結麻は、心の中で言い訳した。
神の数が多いほど、その分持って行かれて力を消費する。
つまりあの時は、四倍の速度で力を失っていたのだ。
結麻は、どんどん口に放り込みながら、考えた。
…今の私って、そんなに必要かな。
結麻は、遠くを見つめて思った。
この世界を助けるために、自分は頑張って学んで生きて、あちらで死んだ。
そして、こちらへ来てそれをやっと活用できるのに、今の自分を惜しむあまりに、思い出せずに無用の長物になっている…。
結麻は、言った。
「…大聖。もう一度術を掛けてって言ったら、やってくれる?」
大聖は、すぐに首を振った。
「ダメだ。それは禁じられている。意識が崩壊するかも知れないと聞いているから。まして、お前の場合は前世の記憶を引っ張り出すから、結麻としてのお前は消えるかもしれないんだ。」
聖矢さんと同じことを。
「…そうよね。」結麻は、答えた。「だと思った。」
結麻は、黙々と箸を進めた。




