結界の中
結麻は、大聖が去って一人、一生懸命解呪の魔法陣を描き続けていた。
墨を乾かしてから、丁寧に折り畳んで束ねて懐に入れる。
これだけあれば、仮に伊津岐が封じられたり、瀧が封じられたりしても、きっとすぐに復活させられるだろう。
結麻がホッとひと息ついていると、目の前の結界の穴の方で、何かの影が動いた。
…!
結麻は、サッと目の前の茂みの中へ伏せた。
すると、その影はどんどんと近くへ寄って来て、姿がハッキリと見えた。
それは、黒い布で姿を隠した、三人ほどの男達のようだった。
よう、というのは、恐らく体格から男だろうと思うだけで、もしかしたら女性も混じっているかも知れないからだ。
それらは、ズンズンと結麻が潜んでいる辺りまで寄って来る。
…え?見つかった?
結麻は、そろそろと中腰のまま、後ろへ下がって木の陰に入った。
すると、それらは何かを運んで来たようで、三人で重そうに大きな麻袋を引っ張っていた。
…何をしているのかしら。
結麻が思っていると、感じたことのないような、嫌な臭いが鼻をつく。
魂が腐った臭いもそうだが、これはそればかりか、他の何かも混じっているようだった。
…吐き気がする…!
結麻は、思わず口を押さえた。
こんな所で吐いてしまうと、見つかってしまうからだ。
男達は、言った。
「臭くて堪らねぇな。だからさっさと埋めちまえと言ったのに、亜津真さんがその辺に転がしとけとか言うから。」
もう一人が、言った。
「仕方ないだろ。何やらこの辺を見回る奴らが居るって、昼間は外に出られなかったんだ。とにかく、さっさとやろう。夜が明けるぞ。」
三人は、ざかざかとそこに穴を掘り、結構な深さを出して行く。
「…来斗もバカだよな。なんでここのこと話したことを、亜津真さんに言ったんだろ。オレなら逃げるために仕方なく言ったとしても、そのことは言わねぇけど。こうなるのが分かってるのに。」
三人目の男が、言った。
「バカだからだよ。あんまり役に立たねぇからって、外回りの役目にしてたのに、こいつはここを見つけて亜津真さんに知らせた以外、なんの役にも立ってなかった。こうなっても仕方なかったんだ。」
…あの中身は、来斗…?
結麻は、この臭いは死臭なのだと悟った。
そして、この男達の魂の腐った臭いも合わさって、今にも倒れそうなほど臭いのだ。
結麻は、堪らず結界の穴を見た。
…今なら、きっと入れるわ。
結麻は、臭くて涙目になりながら、思った。
神の結界内なら、この臭いすら遮断するはずなのだ。
…こいつらが居なくなるまでの間だから。
結麻は、必死に穴を掘り続けるそれらから目を離さずに、そろそろと足を進めると、それらがこちらに背を向けている隙に、サッと結界の穴に飛び込んだのだった。
中は、やはり思った通り何の臭いもしなかった。
崩れた建物の残骸が、そこに横たわっているといった感じだが、とりあえずこの辺りは、普通に廊下が通っていて、奥へと繋がっていそうだ。
とはいえ、あちこちに穴が開いていて、その向こうにも横になった廊下やらが見えたので、建物が岩のように無造作に積み重なって、この場所が形成されているのは、結麻にもなんとなく分かった。
…ここでやり過ごそう。
結麻は思ったが、よく考えたら来斗を埋め終えた奴らが、帰って来る時ここを通る。
仕方なく結麻は、脇の別の建物の方へと繋がる傾いた廊下を入って、姿を隠せる場所を探して奥へと歩いて行った。
すると、ふと向こうの方に灯りが見えた。
…?!
結麻は、咄嗟に脇の崩れた廊下へ飛び込んだ。
すると、その光は段々と近づいて来て、崩れた岩の陰から、結麻はじっとそれを窺った。
通り過ぎたのは、同じく黒い着物を着た、背の高い男だった。
どうやら、その男が持つロウソクの灯りが、結麻に見えたようだった。
結麻は、ハッとした。
…よく考えてみたら、私、暗闇でも見えてる。
結麻は、愕然とした。
ちょっと前まで、暗いとあまり見えなかったはずだ。
だが、今は通路の暗さをものともせずに、薄っすら明るいぐらいに思って、歩いていたのだ。
だが、実際は真っ暗だった。
光源が、どこにもないからだ。
…どうして?
結麻は、眉を寄せて考えた。
巫女の能力に、こんなものがあっただろうか。
歴代巫女のことを全く調べていないし、そもそも巫女がいったい何ができるのか、詳しいことは全く知らない。
15の頃に、そこそこ力はある筈なんだがと伊津岐に言われ、初対面の時に紅天にも同じようなことを言われた。
が、自分自身何がそこそこなのか、全く分かっていなかった。
暗視能力のことだったのだろうか。
結麻が微動だにせずにそんなことを考えていると、また何やら騒がしくなった。
「…埋めて参りました、亜津真さん。そのうち草が茂って分からなくなるでしょう。」
…亜津真って、あいつらの上司?
結麻は、息を殺して耳をそばだてた。
声は、段々に近づいて来る。
「臭くてたまらんな。お前ら、川へ行って洗って来た方がいい。臭いが移ってるぞ。」
声は、答えた。
「はい。地下湖ではダメですか?もうそろそろ夜も明けて来るし、なんか不穏な空気がする気がして。あの、神社みたいなお綺麗な気配がめっちゃ近くに感じられるんです。」
…私のこと?
結麻は、思った。
巫女の気配を、あの男は読んでるのかもしれない。
亜津真は、立ち止まった。
「なんだって?お前は、ちょっとだけ勘が良かったな。」
その男の声は答えた。
「これでも昔は能力者だってもてはやされて。でも、段々に使えなくなりました。今ではほんのちょっと、神が側に居たりしたら、居る、と、分かる程度で。今、それを感じてるんです。まさにこの、中に居るように近くに。まあ、もうハッキリと分からないんで、外かもしれねぇし分からないんですけどね。」
…間近に居るよ。
結麻は、思った。
亜津真と言われた男は、言った。
「…もしかしたら、神が上で監視し始めたのかも知れない。」と、足音が速くなった。「早いとこ術を完成させよう。お前とお前、出入り口に見張りに立て。あの、元巫女の女が手に入ったのは幸運だった。呪の完成には、どうしても未婚の女の命が必要だからな。拐う手間が省けたよ。後は神一人を捕らえたら済むことだ。」
声が、どんどんと遠ざかって行く。
…呪…未婚の女と神を使う…それは、なんだった…?何の術…?
結麻は、頭の中を検索しながら、必死に考えた。
手に入ったって、騙して連れて来たってこと?
「…チッ。またオレが見張りかよ。」
一人の声が言う。
「オレもだぞ。仕方ない、行こう。ここを追い出されたら、行き場がねぇからな。ほら、行くぞ。」
…出られなくなった…!
結麻は、息を詰めてそれを聞きながら思った。
大聖には、何も言っていないので、恐らく心配しているはずだ。
結麻は、知らせもせずに結界内に入ったことを後悔した。
が、ここで落ち込んでいても仕方がない。
結界内には、今、瀧が居る。
退役神主達も、聖も充も悟も、どこかに来ているはずだ。
あの様子だと、あれらのリーダーであるらしい亜津真という男は、全くそれに気付いていない。
神達が、上で見張っているぐらいに思っているのだろう。
つまり、検索できないということで、能力者ではないということだ。
…瀧を探そう。
結麻は、思った。
幸い、夜目が効く。
確か、人探しの呪もあったはず。
結麻は、また胸から筆箱を出して、懐紙を引っ張り出すと、それに魔法陣を描いた。
瀧…いや伊知加って描いた方が良いの…?それともいっそ聖さん…?
結麻は、悩んだ末に聖と描いて、そしてその魔法陣は発動した。
紙は光輝いたかと思うと、魔法陣の真ん中に三角の図が現れて、それは結麻の移動と共に揺れて動いた。
まるで、結の頃に見た、コンパスが北を指しているようだった。
…こっちね。
結麻は、通路に顔を出して左右を見ながら、その三角が示す方向へと、暗闇の中、移動し始めたのだった。




