巫女の掃除
基本的に、前世の記憶の神社では24時間営業なのだが、この世界の神社は閉店時間がある。
朝は5時から、昼を過ぎて4時までしか、境内や敷地内へ入ることは許されていなかった。
それというのも、神様曰く、領地内の見回りや、近所の神様との寄り合いなどで、その時間帯は神社に居ないからなのだそうだ。
そんなわけで、朝の挨拶は6時、日中の感謝を伝えてその日を終えるのは3時と決まっていた。
変な人が来ても、駆け付けるのが遅れるので、誰も居ない方が良いというのが神様の考えらしかった。
なので、結麻達巫女は、4時を過ぎたら境内などを歩き放題だった。
つまりは、その歩き放題の時間帯に、境内の掃除をするのは巫女の役目だった。
じゃがいもと玉ねぎを神主の屋敷に届けた後、帰って来た大聖と聖と共に二人は日中を終える儀式に立ち合って、そうして大聖に言われて、ホウキを手に境内を掃除していた。
「こら、もっと丁寧にしろ!」
大聖は、結麻に言った。「手水舎の回りはみんなよく来るから、いろんな物が溜まるんだ!明日までに綺麗にしておかないと、溜まり放題になるだろ。」
結麻は、大聖を睨んだ。
「やってるじゃない!もう枯れ葉の一枚も無いわ。何が悪いっていうのよ。」
大聖は、息をついた。
「お前、曲がりなりにも巫女だろ。目に見えてるゴミじゃなくて、外から来た人達の穢れのことを言ってるんだ。ここで穢れを落とすから、水に流れて行ったやつは良いけど、溢れて落ちてるやつがあるんだ。それを綺麗にするのがお前ら巫女の役目なんだ。でなけりゃ巫女に掃除なんかさせるかよ。」
そっちか。
結麻は、この掃除にも意味があったのだと驚いた。
「え、マジで。ごめん、知らなくて。」と、キョロキョロした。「でも穢れってどれ?見えないんだよね。」
大聖は、呆れたように息をついた。
「お前さあ、そんなに痩せてるから見えないの。力が足りてないんだって。伊津岐様が言うには、お前が死んだら寝覚めが悪いから、過ぎた力は今、使えないようにしてるって。つまり、これまで力がなくても見えてたものが、力がないと見えないようにされてるってこと。」
真樹が、絵馬の棚の辺りを掃除していたのに、こちらへやって来て言った。
「じゃあ、結麻ちゃん、手を繋ぐ?」真樹は、結麻の手を握った。「どう?」
すると、これまで見えていなかった手水舎の回りの黒いモヤモヤとした何かが、これでもかと見えた。
結麻が掃いた場所は、ホウキの筋になって綺麗になっている。
結麻は、言った。
「げ!めっちゃ汚い!」
大聖は、頷いた。
「だろ?オレにはそれが見えてるわけ。」
結麻は、片方の手でホウキを持ちながら、言った。
「…でも、私は伊津岐様が見えるだけで、別に特殊な能力なんかないはずなのに、ホウキで穢れを綺麗にできるの?」
大聖は、頷いた。
「お前だけじゃない、真樹もだ。神様から、巫女に選定された時にその力を戴いてる。」
知らなかった。
だが、片手ではホウキを使うのは難しい。
結麻は、真樹に言った。
「…真樹ちゃん、ちょっと私の後ろに回って。」真樹は、言われた通りに後ろへ回る。結麻は続けた。「肩に手を置いてみて。」
真樹は頷いて、結麻の両肩に手を置いた。
すると、その状態でもきっちり穢れが見えるのが分かった。
「…いける!」結麻は、そのままざかざかとホウキを奮った。するとホウキの通った後は、綺麗に何も無くなった。「真樹ちゃん、ちょっとそのまま!さっさとやっちゃう!」
そうして、結麻と真樹は時々交代しながら、境内のいたる所にある穢れを、掃除して回ったのだった。
掃除を終えて、脱力してトボトボと拝殿の方へと歩いて戻って来ると、いつの間にか居なくなっていた、大聖がそこから出て来た。
「…まあ、合格かな。明日からもやれよ。」
結麻は、大聖を恨めしげに見た。
「…なんでそんなに偉そうなのよ。あなたは拝殿の中で昼寝?」
大聖は、眉一つ動かさずに、答えた。
「掃除だよ。慣れたらここもお前らがやるんだぞ。手伝ってやってるのに、お前こそ偉そうだな。」
マジかよ。
結麻は、息をついた。
「…どうして大聖は痩せてるのに倒れないの?私達は太らなきゃならないのに。」
大聖は、少し黙ったが、言った。
「…そういう一族なんだよ。それに、オレは痩せてない。筋肉があるからな。お前みたいに何もない体じゃない。努力もしてないお前に言われたくない。」
大聖は、そう言うとふいっと横を向いた。
…努力…。
結麻は、顔をしかめた。
大聖は、確かそう言って真樹を庇っていた。
太る事も努力が必要だと。
伊津岐は、太るのが嫌なら筋肉つけろと言った。
結麻は、どちらもしていなかった。
大聖が、結麻に対して当たりがきついのは、多分何の努力もしない女だと思われているからなのだ。
とはいえ大聖は、ムッキムキなわけではなかった。
結麻が言い返ぜずにいると、神主の屋敷から出て来た美智子が遠く叫んだ。
「みんなー!ご飯よー!」
大聖は、答えた。
「今行く!」と、二人を見た。「行くぞ。」
そうして、三人は歩き出した。
結麻は、これまでの自分をまた、恥じていたのだった。
それから、結麻は毎日必死に食べ、大聖が居ない日中に、必死に筋トレした。
毎日庭で50メートルダッシュを何本もして、基礎体力を上げて行く。
ちなみに、前世の知識なので、50メートルを測るためのメジャーもないので、それはだいたいの50メートルダッシュだった。
筋トレマシーンも無いので、庭の木にロープを渡してその先に重りの岩を吊り下げ、反対側の先に棒を括り付けてそれを背面で上げる装置を作り出したり、真樹を背負ってスクワットしたり、真樹を足元に載せて腹筋を鍛えたりと、毎日必死に励み、そして食べた。
魚と大豆が食べたいと言う結麻に、美智子は毎日豆腐を作って大量に食べさせてくれた。
聖は毎日川で多くの魚を釣って来てくれていて、それを大聖と同じくらいの量食べた。
最初は何をやっているんだと呆れて見ていた大聖も、そんなことをしている間に自力で穢れを見ることができるようになった結麻に、段々に態度が軟化して行った。
そうやって、畑仕事や稲刈りなども手伝って3ヶ月、結麻は自分でも惚れ惚れするほど筋肉質な体になった。
ちなみに今年は、未だかつてないほど米が豊作だと聖も美智子も驚いていた。
「…まあ、穢れぐらいは見えないとな。」大聖は言った。「あんなわけのわからん事で、筋肉つくとは思ってなかったが。」
結麻は、言った。
「あれが一番効果的なはずよ。だって私、腹筋だって今じゃ割れてるからね。でも、これじゃあ伊津岐様を見るにはまだまだ…。」
頑張っているが、筋肉では追いつかないのかも知れない。
真樹が、慰めるように結麻の手を握って言った。
「大丈夫だよ、結麻ちゃんは頑張ってる。伊津岐様とお話する時は、私と手を繋いでいたら良いじゃない。」
すると、上から声がした。
「…だから太れって言われるんだよ。」え、と見上げると、どこかに出掛けたはずの、伊津岐がそこに浮いていた。「女の体には限界がある。しかもお前ら、人の子の家系だ。ちょっと筋肉付けたぐれぇじゃ、オレと話すには力が足りねぇ。だから手っ取り早く太れって言うわけだ。食っちゃ寝してたら太るわけだしよ。」
結麻は、伊津岐を見上げた。
「でも伊津岐様、私実家で結構食っちゃ寝してたけど、細い体だったんです。」
伊津岐は、顔をしかめた。
「それは食うのが足りてねぇの。もっと米を食え。米を大量に食ってたら太る。あれは力の源だ。お前らに与えた神がそれ用に作った物だからな。」
結麻は、驚いた。
「え、お米は伊津岐様作じゃないの?」
伊津岐は、首を振った。
「あれはオレじゃねぇ。女神が居るんだがそいつが昔、人を生かすために考えたヒット作だ。こっちじゃみんなそれには拍手喝采だったよ。まあ、昔のことだ。」
神様同士でそんな話をするのね。
大聖が、言った。
「伊津岐様、お見回りは?帰って来られるの早くないですか。」
伊津岐は、むっつりと答えた。
「ああ、見回りなんざすぐ終わる。残りはあちこち呼ばれたりした時行ってるだけだ。ちょっと東に呼ばれて行ってたんどけどよ…オレあっちの神とは仲悪ぃから。北のやつに任せて来たよ。」
え、そんなことある?
結麻は、目を丸くした。
伊津岐はあんなふうだが神様なので、誰かと仲が悪いとかないと思っていたのだ。
…でも、お呼ばれするぐらいの仲ではあるのよね…。
結麻は、神様同士で争いとか止めてほしいなあと思った。
でも、これまでこんなことは聞いたことがないので、きっと大丈夫だろう。
…お腹空いて来たな。
横を見ると、真樹の腹もぐぅと鳴る。
大聖が、言った。
「…そろそろ飯だろ。屋敷に行くか。」
結麻は、頷いた。
「うん。」と、伊津岐に頭を下げた。「伊津岐様、お米食べて来ます。」
伊津岐は、頷いた。
「しっかり食って来い。米だけは無くならねぇようにこっちで調整してるから遠慮すんな。」
…調整してるのか。道理で今年は豊作だったはずだよ。
結麻は、思った。
食い扶持が増えたので、あれだけ実入りの良い年だったのだろう。
遠慮なく食べまくろうと、結麻は足取りも軽く神主一家の屋敷へと向かったのだった。