不動結界へ
結麻が夕食を終えて部屋で寝ようと準備を整えていると、何やら急に屋敷の方が騒がしくなった。
何事かと、急いで部屋を飛び出した結麻は、何故かこの夜半に大勢の声がすることに気付いた。
ただ事ではないと急いで居間へと駆け込むと、居間では、三之宮に居るはずの充、そして二之宮に居るはずの悟、そして聖と大聖、志伊、伊波、伊津岐が居た。
…何かあったんだわ。
結麻は、それを見て思った。
神はともかく馬の蹄の音もせず、境内に入って来た様子もなく充と悟がここに居るのは、恐らく飛んで来たからだ。
神主達が飛ぶのは知っているが、それが非常時だけなのだと結麻はもう知っていた。
「…不動結界へですか。」聖が、言った。「仰せの通りに。」
大聖が、言った。
「ならばお父さん、オレも!オレも行きます、お父さんにだけ危険なことはさせられない!」
だが、聖は言った。
「私だけではない。充も悟も、それに清輪様が父上達も連れて参られるのだ。何より、伊津岐様がお見守りくださる。お前は私にもしものことがあった時、ここを継がねばならないのだ。残って、私の仕事をこなせ。」
不動結界へ行けと言うの…?!今から?!
「そんな…伊津岐様、危険なのだと仰っておられたのに!瀧は?瀧はどこ?」
伊津岐は、答えた。
「あいつは勝手に一人で不動結界に向かったんでぇ。志伊に見張らせて、オレ達はどうするのか皆で集まって協議してた。その隙に、あいつはさっさと出てったらしい。志伊は伊知加を止めることなんかできねぇ。そもそも力が違い過ぎるからな。オレのミスだ。」
瀧は、勝手に向かったというの。
結麻は、思った。
ということは、恐らく瀧は最初から、不動結界に近いあちらへ行って助けるふりをしながら、伊津岐の留守を狙って宮を出て行くつもりだったのだろう。
「そんな…!たった一人でなんて…!」
伊津岐は、頷いた。
「無理だとオレも言った。が、ならばと清輪が頭数を揃えることを提案した。恐らく清輪は、初めからそのつもりだったんだろう。他の奴らが伊知加に行かせろと言う中、黙って聞いてたからな。あいつは、退役神主達に話して協力を申し出た奴だけ連れて行くと言った。伊知加も共に。オレは悩んでて…そんな時に、志伊が伊知加が一人で不動結界へ向かったと知らせに来たんでぇ。オレも焦ったが、清輪はもっと焦ってた。あいつの中では退役神主達と伊知加で、完璧だと考えていたのに、先に伊知加が行っちまって、失うことで策が崩れると焦ったんだろう。今頃、あっちで話してる。こっちは、とにかくあいつらが合流するまでの中継ぎで連れて行く。何にしろ、伊知加を一人にはできねぇ。」
聖は、言った。
「覚悟はできております。」と、充と悟を見た。「参るぞ、二人共。後で父上達が来られる。我らのために戻られた、伊知加様をお守りせねば。」
二人は、青い顔をしていたが、頷いた。
「お父さん、オレ…、」
大聖は、浮き上がる聖に追いすがるように言う。
が、聖は首を振った。
「お前はここに。結麻とお母さんを守るのはお前だ。分かったな。」
伊津岐は、志伊と伊波を見た。
「お前らには酷かもしれねぇが、後を頼んだぞ。オレがもし封じられたら、残るのはお前らだ。封じられた瞬間、結界は消える。お前らが力を合わせてまたすぐに結界を張り直せ。分かったな。」
二人は涙ぐんで頷いた。
「はい…どうか、無事なお戻りを。」
伊津岐は頷いて、そうして聖、充、悟と共に、夜の空へと消えて行った。
結麻はそれを、ガクガクと震えて見送った。
…本当にどうにもできないの…!?私は異世界からの転生者なのに、こんなことには全く力もない…!
結麻は、ただ見送るしかない自分が歯がゆくて、大聖と共に呆然と立ち尽くしていた。
大聖が、言った。
「…お父さんの留守を、守らねばならない。」大聖は、急に表情を引き締めて言った。「命が危ないと知っていて向かわれた。オレは、ここを守るしかない。」
結麻は、ハッとした。
ここを守る…。
「…そうね。」結麻も、気持ちを奮い立たせた。「伊津岐様の結界が失くなったら、結局志伊様も伊波様も、同じく封じられてしまうかもしれない。そんなことは避けなければならないわ。私…落ち込んでる場合じゃない。」
大聖は、結麻を見た。
「お前に何ができるんだ。頼むからおとなしくしててくれよ。オレはお前に構ってられないんだぞ。」
結麻は、言った。
「違うわ。頭を使うの。」と、歩き出した。「部屋へ帰るわ。大聖、ちょっと来て。瀧の紋様、覚えてる?言ったでしょ?私、なんかアレに見覚えがあるような気がするのよね。」
大聖は、歩き出す結麻について歩きながら、言った。
「見覚えだって?そういえば言ってたな。だが思い出せないとか言ってなかったか。」
結麻は、険しい顔をした。
「…多分、私前世で、アレを見てる。」え、と大聖が驚くのに構わず、結麻は続けた。「前世はね、あんな感じの呪術を扱った書物がたくさんあった。もちろん、作り物って認識よ。だって、神も仏も術だって、有るかも知れないけどまず無いってのが常識の世の中だったからね。でも…もしかしたら、あのデタラメだと思ってた術が、こちらでは有効だったのかも知れない。大聖、あなた催眠術を掛けられるわね?」
大聖は、頷いた。
「催眠状態の人から、その記憶を引き出して裁くのも神主の務めだからな。」
結麻は、言った。
「それ、私に掛けて。」大聖が驚くのに構わず、結麻は訴えた。「私の意識してない記憶の中に、有るかも知れないのよ、それを無効にする術が!お願い、私の命に聞いて欲しい。知ってるなら、教えろって。」
何しろ、結麻は前世不思議なことが大好きだったのだ。
ネットでそんなダークな世界を覗き見るのが、休日の密かな楽しみだったのを覚えている。
その内容はもううろ覚えだが、もしかしたら潜在意識の奥底に、何か有るかも知れないのだ。
大聖は、そんな突飛なことがと思ったようだったが、藁にも縋りたいのは同じだ。
なので、頷いた。
「やろう。」と、巫女殿に入って、結麻の部屋の襖を開いた。「お前が何かを知ってるのか、オレがその頭の中を引き出す。」
結麻は頷いて、部屋へと入った。
大聖も、その後に続いたのだった。
その頃、三奈は、まさか結麻の部屋からあの書を持ち出す事が、そんなに悪いことだとは思っても居なかった。
だが、それは犯罪行為であり、特に神社から何かを許可なく持ち出すなど大罪とされていて、自分が思いもかけず、大きな罪を犯した事実を充から知らされた。
それを一緒に聞いていた、大変に厳しい先輩巫女であった佐織はショックを受けて倒れて気を失い、同時に大量の下血をして一時は命も危ういのではという状況になった。
どうやら佐織は、妊娠していてそれを失ってしまったからだという。
大騒ぎになったので、これで有耶無耶になるかもと三奈はおとなしくしていたが、次の日やって来た伊津岐に、巫女の力を剥奪した、と告げられたらしい。
らしいというのは、もう伊津岐が見えないので、充から聞いたからだ。
そうして三奈は家へ返されたが、父母の怒りは大変なもので、周囲の視線も冷たく、手の平を返したような様だった。
そこで、やっといけないことをしたのだ、と三奈は自覚した。
毎日を鬱々と過ごしていたある日、父母は朝、目覚めると家に居なかった。
何もかももぬけの殻で、三奈は二人が三奈を置いて、どこかへ逃げたのだと気が付いた。
家は他人の手に渡っており、三奈は家を追い出され、行く宛もなくあちこち歩いて、追われるままに辺鄙な場所へとたどり着いていた。
溜め込んでいた贅肉のお陰で、命はあったがそれももう、尽きようとしていた。
…ここはどこ…?
回りには、山しかない。
獣の遠吠えも聴こえて来るが、町の方へは人の目が怖くて向かえなかった。
ここで死ぬの?
三奈は、そう思うと世間を恨む心地が湧き上がって来た。
結麻が、知らないふりさえしてくれていたら。
三奈は、歯ぎしりした。
そう、何も知らないふりをしていてくれさえしたら、こんなことにはならなかった…!きっと、大聖といい仲になって、若い自分が邪魔だったのだろう。
そう思うと、結麻に一矢報いるまでは、死ぬに死ねない心地だった。
「…子供がこんな所で。どうした?」
ふと、振り返ると、そこには男が一人、立っていた。
「…!」
途端に、三奈は震えた。
…殺される…!
だが、男は言った。
「…もしかしたら、不当に巫女を降ろされたとかいうのはお前か?」
え、と三奈はその男を見た。
「…不当?」
男は、頷いた。
「不当だろうが。まだ子供、善悪の区別もつくはずもないのに、皆で寄って集って哀れだなと思っていたんだ。」と、手を差し出した。「オレと来るか。仕事があるんだ。それが出来るなら、きちんと食わせて生かしてやるぞ?お前、このままじゃ死ぬしかないだろう。どうする?」
三奈は、迷った。
全く知らない男…前の生活なら、絶対に近づがなかっただろう。
が、今の三奈に、手を差し伸べてくれる者など誰もいないのだ。
「…はい。」三奈は、その手を取った。「はい、きちんと仕事をします。」
男は、ニッと笑った。
「よし。まだ生きようという気持ちがあるな。じゃついて来い。こっちだ。オレは、亜津真。お前は?」
三奈は、答えた。
「三奈。」
亜津真は、頷いた。
「三奈、お前はこれから仲間だ。」
三奈は頷いて、そうしてその男について、森の中へと分け入って行ったのだった。




