中三之宮
瀧は、聖から通行許可証を手渡されて、それを首に掛けて馬に乗り、警護は要らないと言いおいて、一之宮を出て行った。
瀧の方向感覚はこの前の旅でも良く知っているので、一人でも迷うなどということはないと思っていたが、その日のうちにあちらへ着いて、充から聖宛に、誠に助かったと礼の書状が来ていた。
どうやら本当に困っていて、そこへ瀧が来た途端、次々に祓えの結界を構築してくれるので、もう終わってしまったというのだ。
あちらの神社はこちらより小さいが、やはり瀧はその気になればかなり優秀な男なのだ。
志伊も伊知加殿伊知加殿と、やたらと瀧に付いて回っているらしい。
瀧は、少々鬱陶しがっているようだ、と、文は締められていた。
充は、瀧を歓待して、その夜の食事はとても良い物を出していた。
瀧がそれを黙々と食べているのを、充は政子と感想はどうなんだろうと気にしながら見て、共に食事を進めていた。
食事も終盤に差し掛かり、瀧は言った。
「旨い飯をありがとよ、充、政子。それで、佐織という巫女は大丈夫か。」
充は、旨いなら良かった、と思いながら答えた。
「はい。まだできたばかりの子であったので、どうにも穢れに弱かったのもあり…失ったことを知った後は、悲しみに暮れてしもうて、今はあちらの別棟で橘と籠もっております。我らも百日は会えぬので、とりあえず文で伊知加様のことは橘にも知らせております。こちらにお越しなのは存じておりますが、そんな理由でご挨拶もできず、申し訳ありません。」
瀧は、首を振った。
「そんなこたぁいい。それより、佐織の精神が心配だ。オレも、伊知加のことは全く思い出せねぇんだが、ここへ来て伊津岐と接してると、いろいろできることを思い出して来てな。志伊にも伊津岐にも、穢れは大敵だから、直接は触れられねぇだろ。だが、オレはヒトだし肉の身がある。案外こいつは、穢れに強くてよ。命を剥き出しの神とは違って、まあ皮被ってる感じ?だから、あいつらに会って来ようと思ってる。」
充は、え、と驚いた顔をした。
「ですが伊知加様、ヒトであっても死の穢れはかなり強いもの。せめて今少し、五十日を待たれた方が良いのでは。今はまだ、直後でかなりの強さで、我らでさえ近寄れぬ始末で。文も食事もこちらから一方的に戸の隙間に刺して来るぐらい、あちらからの文すらもらえないのです。」
瀧は、息をついた。
「大丈夫だ。と思う。あのままにはしておけねぇよ。昼間に祓えの結界を敷いてる時でも、あっちからヤバい空気が流れて来てるしな。子を亡くした親が二人きりで居るのがまずい。本来、他の親族も寄って集って支えるもんだ。神主の一族だけ、過酷なんだよ。」
確かにそうだが…。
瀧は、箸を置いた。
「じゃ、行って来る。」と、立ち上がった。「お前らはここで居ろ。大丈夫だ、なんかあったら伊津岐に頼むし。」
だから伊津岐様も志伊様も無理なんですけど。
充は思ったが、何しろ伊知加が言うことなので逆らうことができずに、そのまま黙って頭を下げて、それを見送った。
瀧は、さっさと充夫妻には目もくれずに、外へと出て行ったのだった。
庭に出て奥の森の方向へ進むと、そちらからヤバい空気が流れて来ているのが分かった。
森に別棟があるのは、それで容易に分かる。
瀧は、そちらへ向けて躊躇いもせずに、さっさと足を運んだ。
「伊知加殿。」上から、声がする。「そちらは我らでも、まだ参れぬ穢れの中でありますぞ。」
瀧は、チラと上を見た。
「…志伊か。問題ない。お前は離れてろ。オレはヒトだから、少々の穢れは肉の方につくんだよ。祓えば済む。」
志伊は、焦ったように言った。
「死の穢れは普通の穢れとは違い、祓うのにしばらく掛かるのです。そんな塵でも払うように。」
瀧は、息をついた。
「だから大丈夫だっての。オレがどんな場所に生まれて育ったと思ってるんでぇ。両親は殺されたし婆さんは看取った。だがオレは、真っ白なんだろ?」
志伊は、ぐ、と黙る。
瀧は、くるりと志伊に背を向けた。
「お前は本殿に戻ってろ。問題ない。気にすんな。分かったな?」
志伊は、仕方なく頷いた。
「は。では、あちらでお待ちしております。」
志伊は、答えて飛んで行った。
志伊の気配が去ったのを感じて、瀧はホッと肩の力を抜くと、そのまま奥へ奥へと、別棟を探して森を分け入って行った。
そこは、ちょっと見ただけでも結構な穢れに満たされた場所だった。
とはいえそこには狡猾さはなくて、悲しみ、恨み、そんな感じの感情を読み取ることができた。
つまりは、この中で今佐織と橘は、悲しみに暮れ、三奈を恨んでその感情に苛まれているのだろう。
入口には、恐らく政子が持って来ただろう、夕食の入った箱がまだ、置いたままになっていた。
瀧はその持ち手の所を掴むと、中に声を掛けた。
「橘?居るか。オレだ、瀧…伊知加だ。ここを開けろ。」
すると、中から驚いたような気が返って来て、そして木の擦れる音がしたかと思うと、戸が横へ開く。
恐らく、つっかえていた棒を外した音だったのだろう。
橘は、見るからにやつれた様子で、瀧の顔を見た。
「…伊知加様…?!何故にこちらへ!穢れを受けてしまわれます。」
瀧は、首を振った。
「問題ねぇ。」と、箱を差し出した。「そら、食事だ。」
橘は、躊躇った様子でそれを受け取った。
「…申し訳ありません。わざわざお持ちくださったのですか。」
瀧は、首を振った。
「いや、政子がここに置いてただろうに、放置してたから渡しただけだ。中へ入っていいか?」
橘は、ブンブンと首を振った。
「神にお越しいただけるような、状態ではありません!私はそれほどでもありませぬが、佐織が…見る影もなく…。」
やっぱりな。
瀧は、険しい顔をした。
「だろうと思ったよ。このままにしておくのは危ない。佐織は、戻れなくなるぞ。お前は神主の血筋だから、少々の穢れは跳ね返すが、あいつはそうじゃねぇからな。ヤバい感じになってるが、伊津岐や志伊には分かってても近付けねぇんだよ。そんな感じの穢れだ。が、オレは人の身を被ってる。だから問題ない。」
橘は、それでも迷う顔をした。
何しろ、結構な臭いを感じて、瀧も鼻が曲がりそうになっているのだ。
瀧は、イライラと言った。
「このままだと、佐織は浄化と共に死ぬぞ。」え、と橘は顔を上げる。瀧は続けた。「穢れ過ぎたら神にもどうしようもなくなるんでぇ。もちろん、自浄も無理だ。今ならギリギリ間に合うぞ。オレが来たのがラッキーだったんでぇ。ほら、早く案内しろ!」
言われて、橘は跳んで道を開けた。
「はい!」
瀧は、急いでその横をすり抜けると、臭いを気にしないように意識しながら、奥へとその発生源を探して駆け込んだ。
後ろから、橘が追い掛けて来る。
奥の褥には、まるで枯れ木のように細くなった、佐織が寝かされていた。
…伊津岐も志伊も、これじゃあ分かってても来られないな。
瀧は、思った。
穢れを無視して駆け付けたとしても、佐織は巫女なので二人の姿が見え、声が聴こえる。
その瞬間、佐織の力を失った細い体は全ての力を吸い取られて、そのまま黄泉へと向かうことになっただろう。
つまりは、佐織が助かるためには、まず己で立ち直らねばならなかった。
そして、しっかり食べて体に力をつけ、その上で神に目通りして穢れを祓ってもらうより他、佐織には生きる道はなかったのだ。
恐らく、伊津岐だとて佐織の状態には気付いていたはずだ。
だが、そんなわけでどうしようもなかったのだ。
「…オレが、人になった意味だ。」瀧は、手を上げた。「すぐに楽にしてやる。佐織、お前は生きるんだ。」
瀧から、パァッと明るい光が放たれた。
橘も目を細める中、光は大きく部屋を、別棟を包んで行ったのだった。




