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大津港から

船は、昼をかなり過ぎてやっと大津へとたどり着いた。

ここまで来ると、伊津岐の気配が感じられて、肩の力が一気に抜ける。

瀧は、自分の懐から左吉に追加の料金を握らせた。

「気を付けて帰れ。もし、変な船が近付いて来たりしたら、全力で逃げろよ。最悪船は捨てても、またオレが稼いで買い替えてやるから。」

左吉はそれを、船員皆に配りながら頷いた。

「分かってる。オレ達は大丈夫だ。ついでだから大津で珍しい土産物でも買ってから戻るよ。」

左吉は笑って言って、手を振って上陸して行った。

佐伯が手際良く船を手配し、やはり中之国に戻ると話は早かった。

船足の速い船を調達して来て、馬と馬車、そしてまた袋に詰められた来斗も積み込んで、船は境へと向かった。

そして、そこで境の川へと入り、そこからは力強く風を流して、川を遡って行った。

結麻は、座ってばっかだと筋力が弱ると、船の上でも筋トレを欠かさなかった。

何しろこの筋肉の御蔭で、自分は難を逃れたと言っても過言ではない。

とはいえ、複数の男にはまだ敵わない。

それが悔しくて、揺れる船上で瀧に刀さばきまで教わる始末だった。

「巫女ってのは、本来神社の奥でふんぞり返ってたらいいの。」瀧は、結麻に言った。「なんで、お前はそんなに行動的なんだよ。まだ外へ出るつもりか?ちなみにそれ以上重くなったら、オレでも担げなくなるぞ。」

まあそうなんだけど。

「…筋肉と贅肉は大切なの!あって損はないんだからね。私、今回のことで思ったもん!でないと最初のおっさんの時に、大事なファーストキスだって奪われてたかもしれないのよ?鍛えた足の力の御蔭で、突っ張れたんだからね?」

瀧は、え、と驚いた顔をした。

「え、お前したことねぇの?」

結麻は、あ、と口を押さえた。

そして、瀧を睨んで小さな声で言った。

「…瀧のせいで、もう初めてじゃない。」

瀧は、神妙な顔をした。

「そうか、悪かった。まあ、あれはノーカウントで。オレも忘れる。」

あっさり言う瀧に、結麻は言った。

「ノーカウントってね!こっちはあんな感じでも初めてだったんだからね?」

すると、向こうから大聖がやって来て、言った。

「何が初めてだ?」

結麻が声が大き過ぎた、と渋い顔をすると、瀧が答えた。

「今回は何もかもが初めてってことだ。刀も教えてなかったんだろ?」

大聖は、息をついた。

「刀など、神社に居れば必要ないからだ。歴代巫女で、刀を振り回していた女など居ないと思う。」

まあ、すぐ結婚しちゃうしね。

瀧は、頷いた。

「ま、これぐらいにしとこうや。どうせ一朝一夕じゃ上手くはなれねぇよ。」

…全然動揺しないのね。

結麻は、何故か心の中がチクリと痛んだ。

思えば、瀧はあんな中で育って生きて来たのだし、恋人の一人や二人居たかも知れない。

そうでなくても、結界の中では禁じられている娼館も、外にはあるらしいので、そこへ行ったりしてたかもしれないのだ。

何にせよ、経験はありそうで、その余裕な様子も分かる気がする。

何やら急に元気がなくなった結麻に、大聖が慌てて言った。

「結麻?なんだよ、そんなに刀を習いたいなら、オレもお父さんに教えてもらうつもりだから一緒にやろう。これで終わりじゃないから落ち込むな。」

結麻は、気遣ってくれる大聖を見て、頷いた。

「うん。大丈夫、一緒にやろうね。」

大聖はホッとしたように、続けた。

「ほら、あっちへ。この辺りの村のことなら詳しいから、教えてやるよ。景色でも観よう。」

結麻は頷いて、そうして瀧に刀を返し、大聖と共に船首の方へと向かった。

瀧は、そんな二人をじっと見つめていたのだった。


中之国に入ってからは、驚くほどに穏やかだった。

中之国と一括りに言っているが、この辺りは中三之国だ。

中心部に中一之国があり、東側には中二之国があった。

中之国全体は伊津岐の結界がしっかり守っていて、それぞれの国にまた、そこの担当の神が結界を敷くような形になっている。

外とは違い、人々も殺伐とした雰囲気はなく、皆落ち着いていて接しやすい。

なので、ここで中之国の船員に交代してくれたのは、ラッキーだった。

左吉もいい人だったが、やはり中之国の人達の方が、雰囲気も話し方も慣れているので、ホッとするのだ。

外の人達は、内の人達よりも、やはり穢れが少し、多いのだ。

それだけいろいろなことに直面し、揉まれて来ているからだろう。

そうして、中之国中心への街道へと繋がる、大きな港へと到着した。

そこで、馬と馬車を下ろして、空の方の馬車に来斗を放り込み、大聖は封じの術を掛ける。

これも、どこまで効くのか分からなかったが、ここまで何の抵抗する様子も見せていないので、恐らく大丈夫だろうと思われた。

何かを書いてその紋様で術を発動するタイプなようなので、丸裸にされてはそれもできないのだろうと思われた。

広い街道は、馬車の行き来も多く、恐らく中心から大津へと人や物がこのルートを辿って行き来しているのだ。

結麻は、思いもかけずいろいろなルートを知ることができて、良かったと外を眺めていた。

同じ馬車に乗る、大聖が言った。

「…こちらから、船で南之国の方角へ向かったほうが早いのだ。」大聖は、息をついた。「だが、この街道は往来が激しい。他の村からも多くの人が通って来るし、それに賊が紛れても分からないだろうと思った。それに、船を襲われたら厄介だと思って、それであちらから陸路を選んだんだが…今は、こちらの方が良かったと思ってる。」

結麻は、言った。

「私はどちらも経験できて、良かったと思ってる。結果的に瀧にもあちらのルートだから会えたのかもだし。」

大聖は、言った。

「いや、瀧達なら、こちらを使うと思ったら、こっち側から来てたと思うぞ。船も持ってたしな。」

言われてみたらそうか。

結麻は、息を付いた。

「次からは、こちらから行きましょう。能力者が居ないと、船は追いついて来るのが難しいじゃない?追い掛けて来ても、逃げたら良いんだから。」

大聖は、眉を寄せた。

「あのな、簡単に言うな。お前自身はそんなに力がないくせに。とりあえず、南之国へ戻るのはあの呪の件が解決してからになるぞ。それも、お前を連れて行けるかどうかもわからない。伊津岐様がなんと仰るか。本来、巫女はあちこちする立場じゃない。だから、今回狙われることにもなったんだしな。どうしてもなら、巫女を降りてからになるんじゃないか。」

え、と結麻は目を見開いた。

「え、また戻るって言ったじゃない!私には前世の記憶があるし、それを使って改革するって。」

大聖は、首を振った。

「状況が変わった。お前な、二度も拐われたのに、まだそんなことを言ってるのか。知識を使うなら、別に巫女殿に居てもできることだ。あちらから、初生殿か初音がこちらへ来れば良いだけだ。よく考えろ、中津国一之宮は、巫女を失うところだったんだぞ?三奈は三之宮の巫女だろうが。」

それはそうだけど…。

結麻は、もしかしたらもう、二度と神社から出られないのかもしれない、と、愕然としたのだった。


馬のいななきが聴こえた。

「…?」

ガクン、と馬車が停車する。

結麻が、何事かと窓へ寄ると、大聖が外へと飛び出して行った。

「お前はそこから出るな!」

…何事…?!

「そちら!」佐伯が、叫んでいる声が聴こえる。「奴が逃げます!」

「大聖、やめろ、術だ!深追いするな!」

瀧の声が聴こえる。

結麻は、開いた扉の中から身を乗り出して外を見た。

「なんだってこんなことに…!」

大聖が、もう一台の馬車の前で悔しげな顔をしている。

瀧は、息をついた。

「…見ろ。」と、馬車の中を覗き込んだ。「びっしりだ。」

結麻は、辛抱堪らなくなって、言った。

「何がびっしりなの?」

瀧が、振り返った。

「何かの紋様みたいなの。あいつはオレの加護の石で怪我して、そのままだっただろう。血でびっしりと紋様を描いてる。あいつが逃げる時に、詰めてた袋を着ていてが、その袋にもこれが描かれてあった。が…オレの腕の紋様とは、違った型だな。」

瀧の腕には、まだあの紋様が残っているが、しかし真ん中が縦に白く抜けていて、完成形は分からなかった。

が、残ったそれと、馬車の中の物は、確かに違う形だと分かった。

…なんだろう、どこかで見たような…。

結麻は、そんなものに縁が無かったはずなのに、何故か見覚えがあるような気がして、首を傾げた。

「…なんか、見覚えがあるような。」

つい口を開くと、大聖が結麻を物凄い勢いで振り返った。

「なんだって?!どこで?!」

結麻は、あまりにも勢いが良いので、思わず引いた。

「え、分からない。でも…どこで見たんだったかな…。」

思い出せない。

今生、そんなものには無縁のはずで、だとしたら前世だが、前世は何しろそんな呪術などとは無縁の世界なのだ。

瀧が、息をついた。

「…とにかく、あいつは逃げてったな。あっちは、何がある。」

「…あちらは、不動結界の方角。」佐伯が言う。「恐らく、生きては戻れないでしょう。この辺りは、それでなくても人も留まることはしません。不動結界が近いからです。」

…佐伯は知らない。

結麻は、思った。

恐らく来斗は、不動結界の近くまで来るのを待って、術を発動させて大聖の封じを破り、馬車から逃げたのだ。

「…行こう。」瀧は、行った。「まずは結麻を安全な所へ匿うことだ。伊津岐を強く感じる…恐らく、お前達を待って神社に降りてるんじゃねぇのか。さっきまで上に感じてたのによ。」

上に感じてたのか。

大聖と結麻には、伊津岐の居場所までは分からない。

何故なら、伊津岐が知らせようとしなければ、気配がする、ぐらいの感覚でしかないからだ。

大聖は、息をついた。

「…行こう。馬車は?どうする。」

瀧は、言った。

「なんか知らんが形は覚えた。ここで焼こう。持って帰って良いもんじゃねぇ。」

そうして、馬を外してその馬車だけ街道から外れた場所へと持って行くと、そこで警備兵達に命じて、全て焼かせた。

そして、また重苦しい空気のまま、皆は街道を進んで行ったのだった。


そのまま、結麻も大聖も黙り込んだまま、馬車と馬の列は中心地への鳥居をくぐり、村の中心街の中を進んだ。

多くの人々が、巫女が戻ったと集まって来て、街道沿いに溢れて来ているのが見える。

…もうすぐ、一之宮だ。

結麻は、静々と進む馬車の中から、外を見ながら思っていた。

比較的自由だった旅も、これで終わろうとしている。

二度も拐われて大変な思いもしたが、それでも精一杯生きている、という実感が湧いていたものだった。

物悲しい心地になりながら進む馬車の中で、正面に見慣れた大鳥居が見えて来て、一行は中津国一之宮へと入って行ったのだった。

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