その頃の
結麻は、ツンとした臭いに顔をしかめて目を開いた。
すると、目の前には見知らぬ二人の男が居て、何やら回りには香のような不快なキツい臭いが充満していた。
古い前世の記憶から、それが田舎のぼっとん便所といわれるトイレの、あのくさい臭いをごまかすための、ショウノウのような臭いだ、と思った。
現にそれに混じって、汚物のような臭いもしている。
「…目を覚ました。」男の一人が言った。「…これで、依頼は完遂ですな。約束の金を。」
もう一人の、かなり頭髪が淋しくなっている小太りの男が、息をついた。
「…いいだろう。」と、布袋を渡した。「よくやってくれたな、来斗。」
…ここはどこ?
結麻は、思い出していた。
そういえば、野営地について用を足しに行った時に、終わって立ちがって大聖を呼ぼうとした瞬間に、フッと目の前が真っ暗になって…。
そして、今だった。
私はぼっとん便所で倒れたわけではないわよね。
そもそも、ここには公衆トイレがなかった。
「…こ、ここは?」
結麻が声を出すと、小太りの方の男が猫なで声で言った。
「ここは私の屋敷だよ、お嬢ちゃん。名前はなんだい?」
結麻は、その酷い臭気に思わず鼻を押さえながら、言った。
「人を拐うなら名前ぐらい確認してからにしなさいよ!それよりあなた達、腐ってるわね?なんて臭いなの…いったい何をして生きて来たの?」
マジで吐きそう。
結麻が思わずえずくと、相手は顔色を変えた。
「失礼な奴だな。ほんとに巫女か?そこらの女を間違えて連れて来たとかじゃないのか。」
来斗と呼ばれた男が、首を振る。
「これは間違いなく評判の、中津国一之宮の巫女だ。絵姿そっくりだろうが。」
結麻は、ムッとしながら言った。
「なんのつもりか知らないけど、あなた達すぐ捕まるわ。神主達は気を読めるのよ?私の居場所はすぐ気取るわ。」
だが、来斗はハッハと笑った。
「巫女のくせに、自分が結界の中に居るのも、分からないか?」
え、と結麻は言った。
「…あなた、能力者?でも普通の能力者ならそんなに強い結界は張れないでしょう。」
来斗は、何やら自慢したいと思ったのか、臭気を撒き散らしながら、結麻にずいと寄って来た。
「そう、たかが人が張る結界などそんなもの。だが、オレはそれも超越した術を編み出したのだ。神すらも凌駕するような、そんな術をな。」
神様も…?!
聞き捨てならない。
が、マジで臭くて思考が上手く働かなかった。
「…なんなのそれ。呪術みたいな感じ?」
相手は、話を聞いてくれるのが嬉しいのか、嬉々として頷いた。
「その通り!オレは神倭の国全域を旅して回り、地下に隠された文明のような物も見つけて来た。そこに、あり得ないほど美しい均等な文字で書かれた本や、その他山程見たこともない物を見つけたんだ。その解析ができたのはオレだけ。何しろ、あれの場所を知るのもオレだけだからな。オレは、大きな力を手に入れたんだ。」
何の話…?
あり得ないほど均等に書かれた、というのは、もしかしたら活字のことなんじゃ?
だが、この世界ではまだ活字を見たことはなかった。
結麻は、顔をしかめた。
が、男はお構いなしに先を続けた。まるで、ちょっとでもその価値が分かる者に、自慢したくて仕方がないといった様だった。
「だから人の能力者なんか怖かないし、巫女だって神主だって、神だって怖かない。お前は逃げられないし、助けることができる奴も居ないんだ!」
どっかの地下文明を見つけたということ…?
そんなの、初めて聞く。
結麻が思っていると、もう一人の男が焦れたように言った。
「もうその話はいい。来斗、遠慮してくれ。今夜はオレとこの巫女の婚姻の夜だぞ?邪魔するな。」
結麻は、え、と後ろに退いた。
「え、あなたと結婚?!あり得ない!」
めっちゃ臭いしマジであり得ない。
結麻が後ろへ引くのに、来斗は呆れたように言った。
「巫女なんか手に入れても、オレが居る限りもう、無駄だってのに。ほどほどにな、洋次。」
そうして、来斗は出て行った。
…マジでこれは、今度こそ危機的状況なんじゃ…。
結麻は、ベッドから飛び降りようとした。
が、洋次という男が腕を掴んで結麻をベッドに押し付けた。
「こんなにいい女だとはな。巫女だってだけで良かったが、幸運だったよ。痛い思いをしたくなかったら、抵抗しない方がいいぞ?」
結麻は、心の底から嫌悪感を持った。
「…マジで無理!」
結麻は、必死に横を向いて唇を近付けようとして来る男から顔を反らして、なんとか逃れようともがいた。
…こんなことなら、やっぱりあの時瀧と結婚してたら良かった…!
結麻は、重い男をものともせずに、足をしっかり閉じたままくの字に折って、男の腹を持ち上げた。
…筋トレは無駄じゃなかったぁ…!
「この…!おとなしくしろっての!」
力はあるつもりだ。
結麻と男は、持久力勝負になっていた。
「…伊達に脂肪と筋肉付けてるわけじゃないわ!馬鹿にしないで!」
結麻は、腕を背筋と上腕を使って持ち上げると、離れた男と自分との間に足を入れ、そこから一気に後ろへと蹴った。
「ぐわっ!」
洋次とかいう男は、背後の戸に叩きつけられて、結麻に蹴られた腹を押さえてうずくまる。
結麻はベッドから飛び降りて、ゼエゼエと息を上げて構えた。
…来るなら来い。
結麻が吐き気を堪えながらその男を睨みつけていると、物凄い音がしたので、来斗が急いで戻って来て、戸を開いた。
「何事だ?!」と、うずくまって悶絶している洋次を見た。「え。オレの結界内じゃ、巫女の能力は使えないはず!」
結麻は、息を上げたまま言った。
「巫女の能力?私にはそんなもの必要ないわ!この体が資本なのよ!巫女はそういう役職なの!鍛えて太らなきゃ神様と話せないんだからね!非力なおっさんなんか、私の相手になるわけないでしょう!」
とはいえ、太れば済むことなので、ここまで鍛えている巫女は少ない。
結麻は、前世の記憶から力士を倣って励んでいただけなのだ。
「…くそ…!おい、そこへ縛り付けろ!」
洋次が、外から何事かと覗き込む兵士達に命じる。
兵士達は、わらわらと入って来て、結麻の腕を掴んだ。
「…やめて!離しなさいってば!うえっ!」
結麻は、そこで堪えきれなくなって、盛大に吐いた。
「うわー!」
兵士達は、結麻の吐瀉物を被ってしまい、逃げようとする。
が、洋次が口を押さえて言った。
「うわ、こいつ吐きやがった!」と、及び腰の兵士達を怒鳴った。「何をしている!早く縛り上げろ!」
結麻は抵抗しようとしたが、しかし、鍛えている兵士達には、さすがの結麻も敵わない。
一度吐いたことにより、次からと次へと起こる吐きたい衝動で、何度もえずくので力も入らなかった。
たちまちに縛り上げられようとした時、コロンと袖から、真樹の石が転がり落ちた。
…真樹ちゃん…!
結麻は、それに手を伸ばした。
「真樹ちゃんが…!」
洋次は、結麻の手がそれに触れる前に、その石を拾い上げた。
「…なんだこれは?ただの石ころじゃないか!」と、それを床に落とした。「こんなもの、踏み潰してやる!」
結麻は、それに手を伸ばした。
「やめて!それに触らないで!」
しかし、兵士達に押さえつけられているので、自由が効かない。
洋次は、ハハハと高笑いしながら、足を上げた。
「そら、お前の大事な石が、粉々になるぞ?」と、じわじわと焦らすように足を踏み降ろした。「そら…、」
しかし、来斗が目を見開く。
「おい、やめろ…!それは…!」
洋次が、石を踏んだ瞬間、パァッと何かの光がその石から放たれた。
目の前が一瞬にして真っ白になって、結麻にはいったい、何が起こったのか分からず、そのまま呆然と光の中で立ち尽くしていたのだった。




