出発
あれから数日、ほんの二時間で戻ると言った瀧が、戻る様子がない。
…何か、問題があったのかも。
結麻は、案じて鳥居の方向を見てばかりいた。
大聖が、言った。
「もう、いくら何でも戻らなければ時間がない。いっそこちらからあちらへ行くか?」
結麻は、頷いた。
「瀧が何の連絡もなく約束を破るなんてあり得ないわ。きっと、あちらで何かあって、その処理に時間が掛かっているのかも。でも、伊知加様だし、心配はしていないけど。」
大聖は、頷いた。
「だな。とりあえず、出発準備は整えた。まあ、あちらから連絡しようにも、結界の場所を正確に気取れる誰かを寄越さないと無理だから、あっちも困ってるのかも知れない。」と、佐伯を見た。「準備はできてるか。」
佐伯は、頷いた。
「は。いつでもご出発できます。」
大聖は、頷いた。
「では、おじいさんにご挨拶してこよう。他の神主達が居ないと良いがな。居たらかしこまってお祖父様とか呼ぶ必要があるから、面倒なんだ。」
結麻は、苦笑した。
「大聖でもそんな風に感じるのね。でも、瀧に会いたがっていたから残念がるでしょうね。」
大聖は、息をついた。
「確かにな。こっちは気詰まりで大変なのに。」
瀧は、もう思い出さないのかなあ。
結麻は、思った。
どちらでもいいが、それでも今の瀧が居なくなるのは、なんだか淋しい気がしていた。
瀧は、家に籠められて数日、食事を運んで来るぐらいしか、他の仲間とは全く顔を合わせていなかった。
が、相良は時々窓の向こうから、何やらもの問いたげな視線を向けて来ているのは気取っていた。
…あいつはオレの代わりに行くんじゃなかったのか。
瀧が思っていると、夜も更けた頃に、窓の方で何やらコツンと音がした。
…?
瀧が、起き上がってそちらへ行くと、窓の外では相良が居て、こちらを見ていた。
「相良。何の用だ。お前、オレの代わりに行くんじゃなかったか。」
相良は、顔をしかめて言った。
「瀧、声を落としてくれ。」そして、後ろの吉の家の辺りを見てから、続けた。「…瀧、吉の依頼者の本当の目的は、結麻だ。本当ならお前が情報を持って帰って来るのが一番良かったんだが、その場合でも吉はその呪を貼るつもりだった。それができないとなると、能力を失ったオレでは役不足だからと、吉は直接結麻を拐って、運ぼうとしてる。お前が警護についてたら、拐うのは無理だから、こういう方法を取ってる。本当は、与えられた選択肢は、お前が情報を持って帰るか、お前を捕らえてその間に結麻を拐って来るのか、二つに一つだったんだよ。お前に知られてそのまま帰したら、お前は情報を取って来るとか言って、結麻を守ってこちらへ戻らないだろう。だから、あいつはお前を騙したんだ。」
…なんだって?!
瀧は、ずいと窓に寄った。
「なんだってそんな!もっと早く言え!お前が行けば、大聖が気取って何とかすると思ったからオレはここに居たのに!」
「声が大きい!」相良は、続けた。「…吉以外の奴らはもう、ここを出て神主の里へ向かった。位置は分からないが、待ってれば焦れて出て来るだろうって寸法だ。オレは、良子の世話があるからと言ってここへ残った。お前に、どうしても知らせておかないとと思って。その…腕のそれ、ほんとに力は出ないのか?」
瀧は、急いで戸へと向かうと、戸のバリケードなどものともせずにバキバキと音を立てて崩し、外へと出た。
相良が驚いていると、瀧は言った。
「こんなもん、力を削がれてるのもちょっとのことで、これぐらいならできる。だが、逃げるってぇと馬も使えねぇし、神主の里までかなり掛かる。それならお前があちらへ行って、あいつらに気取らせた方が早ぇと思った。が、もうそんなことは言ってられねぇ。」
すると、吉の家の戸が、勢い良く開いた。
「瀧!お前、相良が出したのか!」
瀧は、走り出した。
「…来い、相良!行くぞ!」
相良は、ものすごい形相で追い掛けて来る吉を見て、迷う素振りを見せたが、瀧の手を取った。
「分かった!」
二人は、走り出した。
吉の声が、信じられないほどの腐った臭気と共に、二人を追って来るのが分かった。
一旦は気配がなくなった吉も、馬を取って来たらしく、またかなりの速度で迫って来ているのを感じた。
二人は、森の中に潜んで、体制を低くして話し合った。
「…馬では、崖は登って来られねぇ。岩場の方から下って行くよりないか。」
相良は、頷いた。
「…そうだな。」と、集落の方を見た。「…良子は何も知らないのに。あのままじゃあ、吉にどんなめに合わされるか。」
…良子は、立てない。
相良が皆の意見に従うことに決めたのも、恐らく良子を連れて逃げるのは無理だと判断したからなのかも知れなかった。
「…良子を連れに戻ろう。」瀧は、言った。「吉はまさか戻るとは思ってねぇから、今はガラ空きだろう。馬を奪ってくれば、良子を運べる。お前は港から船で逃れろ。オレはその後結麻の所へ行く。」
相良は、首を振った。
「オレは力をなくしてる!風を操れないから、人夫が居なきゃあの船を動かすのは、無理だ。」
瀧は、チッと舌打ちした。
「…仕方ねぇ。じゃあ他の方法を考えるしかねぇ。お前は、南之国へ行け。オレが、自分達を匿ってほしいと言ってると言うんだ。そうしたら、きっと神社の端っこにでも置いてくれる。」
相良は、不安そうにした。
「でも、門が。関所の門をなんて言って通ったらいい?」
瀧は、考えて答えた。
「…神主の初生に、瀧から会って来るように言われたと言え。そしたら、少し確認に時間は掛かっても必ず初生は中へ通してくれる。そうしたら、理由を話すんだ。吉の企みも全てな。オレは結麻を守らなきゃならねぇから、一緒には行けねぇ。時間がねぇんだ。」
相良は、顔をしかめた。
「なんで、お前が神主と知り合いなんだ?ちょっと大聖と結麻と一緒に行っただけで、お前の名前を出しただけでなんとかしてくれるって言うのか?」
瀧は、チラと相良を見た。
「…大丈夫だ。初生とは話したんだよ。オレを信じろ。」
相良は、瀧の両肩を掴んだ。
「瀧、巫女の結麻には大聖だってついてるんだ。お前は能力の一部を封じられてるんだろ?行っても足手まといになるぞ!お前こそ、吉から恨まれてるんだ!あいつはお前を殺そうと始め言ってたが、それには誰一人同意しなかったんだ。こうなった以上、絶対に殺そうとする!お前の方が危ないんだよ!だったら一緒に南之国へ行こう!」
瀧は、そっと相良の手を肩から離して、言った。
「…そうかも知れねぇ。だが、行かなきゃならねぇ。」と、回りを警戒しながら立ち上がった。「行くぞ。まずは馬だ。吉はその辺をウロウロしてる。良子を助け出すには今しかねぇぞ。」
相良は、そう言われて仕方なく瀧に従って、茂みを音を立てないように気にしながら、登って行った。
そして、また集落へと戻って行ったのだった。
一方、大聖と結麻は、退役神主の里を出て、最初のキャンプ地に向けて進んでいた。
ここから瀧の集落までは、南之国ほど近くはない。
山を登っていかねばならなかったし、なので途中、山の手前の見通しの良いところで、野営をしてから明け方また、出発してやっと到着という計画だった。
馬が途中、何やら足を進めるのを嫌がって時をとってしまい、馬車の中で聖矢が持たせてくれた食事をとりながら、日がとっぷりと暮れてから、やっと予定の野営地へと到着した。
結麻は、息をついた。
「困ったわね。馬が歩かなくなるなんて、想像できなかったわ。」
大聖は、頷いた。
「神主の里は、気も清浄で過ごしやすいからな。そこから出て遠くなって行くと、自然戻りたいとなるのかもしれない。それは本能だし、仕方がない。とにかく、もう夜中だしさっさと寝よう。お前はこの馬車の中で寝ろ。周りを警備兵たちが囲んで夜通し番をしてくれる。オレは、この真ん前に立てたテントの中に居るから、何かあったらすぐに出て来れる。」
結麻は、ジトっとした目で大聖を見た。
「あの、寝る前にトイレに行きたい。ここまで我慢したのよ?場所がないとか言ってさ。」
大聖は、息をついた。
「ああ、そうだった。」と、扉を開いた。「ほら。あっちの茂みの中ならここから見えない。ついてってやるから。」
結麻は、げ、という顔をした。
「え、あんなに傍なのについて来るの?!音とか聴こえるじゃないの!これでも女子なのよ、やめてよ、恥ずかしい!」
ここには、女は結麻しか居ない。
なので、こんな繊細な気持ちもわかってもらえないのだ。
大聖は、深い息をついた。
「はああああお前なあ…。攫われたらどうするんだ。分かった、じゃあ音が聞こえないような距離で背を向けてるから。ほら、さっさと行け。」
結麻は、息をついた。
…世の中の仕組みを変える時に、ついでに公衆トイレも作ってもらえるように言おう。
この世界には、公衆トイレというものが、どこにもないのだ。
結麻が立ち上がって馬車から降りようとすると、大聖が手を貸してくれた。
結麻は、立ち上がるともっとトイレに必要を感じて来て、後ろに居る大聖を放り出して駆け出して、茂みへと飛び込んで行った。
少し離れた場所から、大聖の盛大なため息が聞こえてきたが、結麻はそれどころではなくお構いなしに用を足した。
そうして、ホッとすると何やら恥ずかしくなって来て、遠く大聖に話しかけようと振り返った。
「た…、」
その時、何かがフッと目の前をかすめる。
え…?
結麻は、そこで何もわからなくなった。




