伝えること
「おじい様は、いつから瀧が伊知加様だと思っておりましたか。」
聖矢は、答えた。
「先ほども申したように、我らは伊知加様が天に居られた時から知っておる。特に私は、伊知加様が伊津岐様と仲がおよろしくて、いつなり中津国一之宮の本殿でお姿を拝見しておった。瀧の姿を見た瞬間、伊知加様だ、と分かったのだ。何しろ、伊知加様がお隠れになられた目的は、人となり地上に降りられることだった。だからこそ、あの時あのように申した。まだ、詳しいことはわからぬし、滅多なことを私の口から漏らすことはできぬと思うたからな。とはいえ、主らが旅立ってすぐに、これらには話したのだ。なので、皆主らの報告を今か今かと待っておったのよ。どうであった?やはりそうであろう?」
ということは、瀧の姿はやはり伊知加のままなのだ。
大聖は、息をついた。
「…はい。緑楠様も伊津岐様も、そのようにおっしゃいました。が、本人が違うと言い張って、伊津岐様はお怒りになり去られました。残った緑楠様が、その後いろいろなことをお教えくださいました。お祖父様、原初の神は六柱でも五柱でもなく、七柱であったとご存知ですか?」
え、とそれには全員が息を飲んだ。
つまりは、知らなかったのだろう。
「…なんと申した?七柱と?原初の神が?」
大聖は、重々しく頷いた。
「はい。私も初めて聞きました。原初の神は東西南北中の神と、伊知加様、そしてキリサ様であったと申されました。」
皆が、それこそ目を大きく見開いて、後ろへつんのめりそうになる。
結麻はそれほど驚くことなのかとオロオロしていると、聖矢が言う。
「…キリサ様は原初の神であられたのか?!つまり、我らの祖が?!」
大聖は、また頷いた。
「はい。遥か昔、キリサ様は人のために地上へ五分割されて降りられた。それは伝え聞いておりましたが、まさかそれが、原初の神であったとは、私も驚き過ぎてしばらくは信じられませんでした。が、事実であるようです。」
聖矢と神主達は、顔を見合わせた。
「…ならば、我らが何代経てもこうして力を失わずに生きておるのも道理よな。原初の神は、例え力が分かれてもそれはしっかりとした存在のある命なのだと聞いておるから。キリサ様には、尚一層の感謝の祈りを捧げておこう。」
大聖は、頷いた。
「は。誠にそのように。」
聖矢は、続けた。
「それで、その伊知加様…瀧はどちらに。お目通りはできぬか。」
大聖は、答えた。
「今は、一度住んでおられた集落へ戻られており、すぐにこちらへ結麻の警護のために合流してくださる予定です。が、お祖父様、本人はあくまでも瀧であり、瀧と呼べと命じられております。伊知加様と扱うことを禁じられておりますので、普通の人の男として扱って欲しいとのことで。」
聖矢は、息をついた。
「…さもあろう。あの方は神とは言うて神らしゅうないお方であったしな。こちらが伊知加様とお呼びしても、めんどくせぇ呼び方すんなと咎められ、我らもどう接したら良いのか迷うようなご性質で。伊津岐様と仲はおよろしかったが、よう口喧嘩をなさって我が父も私も困ったものよ。が、伊津岐様が他の神と言い争うと、必ず伊津岐様の方についておられた。お二人は、よう似ておられてご兄弟のように思うて見ておった。」
緑楠様が言っておられたのと同じことを。
結麻は、思って聞いていた。
そして瀧も、伊知加様とか言われたらムズムズするとか嫌がっていた。
神であった時からああなのだ。
大聖は、言った。
「はい、確かにそのように。もっとお教えくださいませんか、お祖父様。瀧の扱いにはほとほと困っておりまして。今は人とはいえ、元は原初の神であられるのだし、こちらからは無碍に扱うこともできぬのに、嫌がられるので困っております。とはいえ、此度役人達の汚職の件を、精査して参るに当たり、南之国との行き来も必要となり、結麻の警護を頼むには、伊知加様以外に居らぬと思う次第で、共に行動せねばなりませぬ。」
聖矢は、うーんと唸った。同情するような目だ。
「…伊知加様なあ…我らとて、扱いにはかなり難儀しておったしな。だが、確かに結麻を警護するのに、伊知加様ほど心強いかたは居らぬ。主の心地は分かるぞ。」と、息をついた。「…伊知加様はしかし、他の神と同じく大変に善良なかたぞ。言葉はアレだが、我らがそんな細かいところにまで目が届かぬと放置しておるような人でも、あっさり助けておしまいになったり、他の神ならそこまで関われないと決めておることでも、困ってこっそりお聞きしたらあっさりお教えくださったりした。あの方は型に囚われず、ご自身の思うままにその時その時のご判断で行動なさり、後先はあまり考えてはおられぬようだったの。よう伊津岐様に人には人のことがあり、己で考えさせねば後に続かぬと叱られておったが。」
その時その時っていうのが、自分と同じだよね。
結麻は、思った。
ということは、結麻は伊知加と似ているということになる。
…伊津岐様がめんどくさい私の面倒を見てくださるのも、もしかしたら似てるからなのかな…?
結麻は、そんなことを思った。
「感情に振り回されたらたまりませぬ。」大聖は、言った。「それでなくても結麻がそんな感じで案じてなりませぬのに。その上伊知加様までお世話をするとなると、私の心が保ちませぬ。」
ま、そうよね。
結麻は、恥ずかしくなって下を向く。
聖矢は、また息をついた。
「だが、そうなのだから仕方があるまい。まあ、伊知加様は主が本当に困っておったら、それを気取って面倒なことは申されぬ。そういうご性質なのだ。いつなり困ったご様子のかたであったが、私が具合が悪い時には、おとなしく儀式などにも出ていらして、文句の一つもおっしゃらずにこなしてくださった。時々、伊津岐様がオレは休みだとか言って、伊知加様が代わられる時もあったのだがの。つまりは、人に対してつらく当たられるような誠に気まぐれな神ではないのだ。」
伊津岐様はサボり癖があられたのか。
意外なことに、結麻は目を丸くする。
だがあの性格なのだから、そんな時もあったかもしれない。
ならば伊知加が居なくなり、伊津岐も気を張っていろいろ頑張っていたのかもしれない。
…帰ったら、伊津岐様のお話を聞いて差し上げよう。
結麻は、心に決めていた。
神だって、つらい時はつらいし、時には休みたいはずなのだ。
聖矢は、続けた。
「…とはいえ、あの方が人としてお戻りになられたのは我らにとり大変に心強いことぞ。よう考えてみよ、神は人世に干渉できぬ決まりがあるが、伊知加様は元々そんなことはお気になさらぬ方だった。そして、今は人であられるので、人に干渉することもお出来になる。私が思うに、伊知加様は神としての柵を抜けて、人を助けてやりたいとお思いになったからあのようにされたのではないかの。表面上、神には飽きたとかおっしゃっておったが、私はそのように思うぞ。」
…瀧は、自分が伊知加なら神がめんどくさいから人になろうと、軽い気持ちで降りたのではというようなことを言っていた。
…瀧は、覚えている。
結麻は、その言葉で悟った。
心の底に、伊知加の記憶を持っているのだ。
大聖もそのことに思い当たったのか、それを聞いて呆然としていると、そこに佐伯が慌てたように声を掛けて来た。
「大聖様!大変でございます。」
大聖は、振り返った。
「なんだ、騒がしい。」
佐伯は、頭を下げて答えた。
「あの、吉という男でございます!ここから西之国の方へ護送しておりましたが、途中逃げたのだと…今知らせが参りましたので、もう数日経っております!」
「なんだって?」
大聖は、立ち上がる。
結麻も、ドキドキして来る胸を押さえて、吉はしかし瀧の結界にはもう入れなくなってるはず、と自分に言い聞かせて落ち着こうとしていた。




