記憶
「え…」結麻は、瀧が伊知加だと確信をもっていたものの、そう言われて戸惑った顔をした。「ちょっと待って、懐かしいのにあの対応?」
瀧は、結麻を軽く睨んだ。
「顔見た瞬間はあの二人は話し始めてたし、オレが割り込む隙なんかなかったじゃねぇか。話を聞いてるうちになんか冷静になって来て、そんな感情もそんなはずないって押し殺しちまって。あの伊津岐って神も、懐かしいのは置いといて、どっかで見たことあるなって思ったら水に映った自分の姿とよく似てるんだって思ってよ…そう思うと、あいつらの言うことは恐らく間違ってねぇと分かるんだが、それでも複雑な感情が沸き起こって、オレは神なんかじゃねぇと強く思っちまってさ…。思い込もうとしたんだな。神なんか居ねぇって思ってたこれまでのオレの、考え方が全部覆っちまうしよー。何しろ、自分が神だったって言うんだから。」
そうか、抵抗したのは、これまでの価値観の瀧だったのだ。
今は、恐らく冷静になって、仕方なく受け入れたという感じではないか。
アイデンティティが一度に崩壊して、一時は混乱状態に陥ったものの、今新なものを受け入れようとしている。
「え、だとしたら早っ!」結麻は、思わず言った。「あなた立ち直るのも、めっちゃ早いのね!」
瀧は、ブスッとして言った。
「仕方ねぇだろ。お前に自分を犠牲にしてでもオレ達を助けたいって気持ちを見せられちゃ、価値観云々言ってられねぇ。だから今は恐らく、オレは伊知加ってやつだったんだろうなってなんとなく信じようとしてるとこ。」
犠牲とは思ってなかったんだけどね。
結麻は、言った。
「別にね、犠牲になろうとか思ってなかったわ。あなたならきっと、奥さんになっても大切にしてくれそうだし。そうなったらなったで、そこで楽しく生きるわよ。あの集落のみんなは好きだしね。」
瀧は、苦笑した。
「お前ってオレの性格に似てるのな。オレもそんな感じだ。こうなったらこれで面白おかしくやってかなきゃ損だなと思ってる。とはいえ、オレ達ゃ全くお互いのことを分かっちゃいねぇだろ?出逢って数週間じゃな。いくらなんでも、後で後悔するさ。」
結麻は、フフフと笑った。
「そうね。だったら、これから嫌ほどいろいろ一緒に頑張らなきゃだし、嫌でも知ってくことになるわ。あ、そうだ。」と、結麻は真剣な顔をした。「私の秘密、聞きたい?」
瀧は、眉を寄せて声を落とした。
「なんでぇ。ほんとは男だとか?」
結麻は、もう、と瀧を叩いた。
「そんなはずないでしょ!巫女なのよ?」と、息をついた。「実は、私って前世隣りの世界で生きてたらしくて。伊津岐様が言うには、外にはこんな感じの世界があちこちしててね、似てるけど全く違うの。私、24歳の時にそっちで死んで、こっちに転生して来たみたい。だから、記憶があってね、15の時にそれが戻って来たの。だから、炭とか天ぷらとかさつま揚げとか、ゴムとか私が知ってるのも、あっちの世界には既にそれがあったからなの。別に私が特別賢いからとかじゃないの。伊津岐様に、記憶があるならこっちに伝えろって言われちゃって。治安も、あっちの方が良かったから、その仕組みとか、大枠では教えて行けると思うんだ。」
瀧は、目を丸くした。
「え、お前一回死んでる前の記憶があるってのか?」
結麻は、頷いた。
「そう。信じられないでしょ?でもほんとのこと。あっちはもっと便利でね、移動にこんなに時間が掛からなかったし、旅行も楽だったわ。もちろん、誘拐犯に拐われるなんて、滅多にないわよ。」
瀧は、目を丸くしてマジマジと結麻を見た。
そして、言った。
「…あの、車椅子もか。」瀧は、合点がいったように、頷いた。「そうか、頭が良過ぎるとは思ってたんだよな。菜種油の精製方法だって、あいつら独占してて外に漏れねぇのに、お前はあっさり知ってたしよ。ゴムだって、あんな役に立ちそうにない木の樹液があんなことになるなんて、誰が知ってたよ。そうか、お前は転生者か。」
結麻は、頷いた。
「まだ伊津岐様と聖さん、それに大聖しか知らないの。だから秘密よ?これから一緒に頑張るから、特別に教えたの。」
瀧は、頷いた。
「そうか。別に誰にも言わねぇけどよ。」
すると、突然に戸が開いて、大聖が顔を覗かせた。
「…結麻?どうだ、伊知加様は落ち着かれたか?」
結麻は、びっくりして大聖を振り返った。
大聖は、瀧を伊知加と呼んでいる。
もう、あちらでは決定事項になっているらしい。
よく考えたら、神主達は神に仕えているので、瀧が伊知加なら、大聖も立場がガラリと変わってしまうのだ。
「…落ち着いたわ。」
結麻が言うと、瀧は言った。
「おい、卑屈になるな。オレは確かに伊知加なのかもしれねぇ。だが、記憶もないしお前らにヘコヘコされる筋合いはねぇ。そういうの柄じゃねぇからよ。オレは変わらず瀧だ。もし思い出したら、違うこと言うかもしれねぇが、その時考えたらいいだろ。」
大聖は、顔をしかめた。
「…オレだってお前に頭を下げるなんて複雑だが、そこらの神とは違って、伊知加様は伊津岐様と同じ原初の神なのだ。中身がそれだと知って、我ら神主が適当に扱えると思うか。他ならぬ神が、そのようにおっしゃっているのに。お前は伊知加様なのだぞ。」
瀧は、顔をしかめた。
「…ってかオレ、神なんか居ねぇと思って生きてたからよ、原初の神とかそこらの神とか違いが分からねぇんだよ。詳しく話してくれねぇと、話が通じねぇの。」
大聖は、入って来て畳の上に座ると、言った。
「世には多くの神がおわす。が、原初の神とは、それと一線を画す神たちで、この地上の初めからいらした神たちのことだ。我らは五柱と習っていたが、緑楠様が先程お教えくださったのは、七柱。そのうちの一柱が我々の祖であるキリサ様、そしてもう一柱が伊知加様だった。それ以外の神達は、皆その神達の手助けで生まれ出た後の神達。結麻、お前も知っている、ニ之宮の伊波様、三之宮の志伊様がそれに当たられるのよ。」
だから、あの二人はいつなり伊津岐に気を遣っているようなのだ。
結麻は、頷いた。
「ええ。やっとお立場の違いが分かった気がする。」
何しろ、何かの開発ばかりで全くそっちの勉強をしていなかったから。
大聖は、頷いた。
「…我らは、神が人として降りて来られた血筋なのだとは聞いていたが、その神が原初の神の一柱だったとは思ってもいなかった。キリサ様は、どちらかの神がお作りになった神だったと思っていたのだ。だが、今回原初の神であったとお聞きして、驚いている。」
瀧は、息をついた。
「そうか。ま、伊知加ってのがオレだっていうなら、そいつは特別扱いとか嫌な神だったと思うぞ?」大聖が眉を上げると、瀧は続けた。「なんか伊知加様とか言われたら、ムズムズする。全く柄じゃねぇ。ってわけで、オレのことは瀧と呼べ。で、あっちこっちにオレが元は神だと吹聴するな。居心地悪くなるだろ。違ったらどうしてくれる。それに、なんのために人になったと思うんでぇ。もしオレが伊知加だったら、神ってのに嫌気が差して、人でもやってみるかと軽い気持ちでなったと思うぞ?面倒くせぇんだよ、全く。」
伊津岐様に言うことが似てる。
結麻は、思った。
よく考えたら他の神は皆、きちんとした言語を話すのに、伊津岐と伊知加だけがこんな感じなのだとしたら、なんか分かる気がする。
大聖は、頭を軽く下げた。
「…仰せの通りに。」
瀧は、それを見てそれこそ嫌そうな顔をしたが、何も言わなかった。
とりあえず、命じたら聞いてくれるのだと思ったようで、それからも畏まる初生と初音にも対面したが、同じように普通に扱えと命じるように言っていた。
結麻は、とりあえず複雑ながら、これで世を正して行く方法を、考えられるとホッもしていたのだった。




