混乱
とはいえ、巫女殿にはここの巫女がいて、瀧を連れて入るわけには行かなかったので、結麻は回廊のところで立ち往生した。
が、向こうの屋敷から出て来た女性が、こちらに気付いて声を掛けて来てくれた。
「…もしや、結麻さん?」
結麻は、頷いた。
「はい。あの、今緑楠様とお話をして参り、いろいろございまして、落ち着く場所を探しております。瀧と申しまして…緑楠様ともお目通りした者ですので、怪しいものではございません。」
その女性は、答えた。
「ならば、今夕刻になり鳥居のしめ縄を下ろしましたので。拝殿ならば大丈夫ですよ。そちらへ回られたら。」
結麻は、感謝して頭を下げた。
「はい、ありがとうございます。あの、もしや初生様の奥様ですか?」
相手は、微笑んで頷いた。
「はい、佐弥子と申します。まあまあ、結麻さん、噂の通り美しい巫女様だこと。絵姿より美しいとは、思ってもいませんでしたわ。」
結麻は、それどころではないので、苦笑した。
「ありがとうございます。あの、ではしばし失礼いたします。」
結麻は、瀧を連れてその場を後にし、拝殿へと向かった。
…私、美しいのかしら。
何度も美しいと言われて、なんとなく結麻はそう思い始めていた。
拝殿に入ると、そこはシンと静まり返っていて、本殿とは短い回廊と、階段しか開いていないのに、向こうの話は全く聴こえて来なかった。
結麻は、隅に積み上げてある座布団を持って来て、そこに置いた。
「瀧、ここへ座って。」と、自分もその隣りに座った。「大丈夫?私達にも衝撃だったけど、あなたにはもっとでしょうね。ここなら今誰も来ないし、ゆっくり頭の中を整理したらいいわ。」
瀧は、じっと下を向いて黙り込んでいたが、いきなり結麻の腕を掴んで、そのまま畳の上に押し倒した。
…え。
結麻は、突然のことに何の反応もできずに、そのまま瀧に乗っかられて、呆然と瀧の顔を見返した。
瀧は、見たこともないほど怖い顔をしていて、結麻に言った。
「…オレは、神じゃねぇ。あいつらはなんも感じないと言ったが、オレにはこういう欲もある。ただ、手を出していなかっただけだ。」
ちょっと待って、もしかしてそれを今から証明しようって言うの?!
「え、瀧、落ち着いて!そりゃ肉の身をまとったんだから、神だって…んー!」
瀧の唇が、結麻の唇に重なって何かが口の中に侵入して来る。
…わー!どうしよう、これだけは前世も経験ないから、どうしたらいいのかわからない!
結麻が、ジタバタしていると、瀧はその腕をガッツリ押さえて動けなくなった。
…ヤバい。
結麻は、思った。
不思議とあのおっさんの時のように嫌ではないが、ここでこうなるといろいろヤバい気がする。
これまで頑張って来た瀧の立場が、これで悪くなるのは結麻は嫌だった。
…ここは、合意の上だとか言うしかないかも。
結麻は覚悟を決めて、とりあえず分からないし瀧に任せようと抵抗する力を抜いて、口づけられるままにどうにか応えよう、どうしたら良いものかと内心ワタワタしていると、瀧はしばらく口づけていたが、ふと、顔を上げた。
「…なんで抵抗しねぇ。」
結麻は、え、といきなり解放されたので驚いた顔をした。
「え、だってするんでしょ?ごめん、経験ないから任せる。」
瀧は、顔をしかめた。
「任せるって、あのな、するってこれだけじゃねぇぞ。いろいろあるの。子供ができたらどうするつもりだ。」
結麻は、説明した。
「子供ができてもね、生むまでは能力が残るの。だから、それまでに神様と話し合っていろいろ仕組みとか変えてけば、なんとかなるかもでしょ?今は、あなたの立場が悪くなるのが問題なのよ。相良達だって待ってるんだから、早く頑張って正して行かないと。それには私の合意が必要なのよ。」
瀧は、見るからに嫌そうな顔をした。
「生むまではって、お前なあ。合意とか言って、お前はそれでいいのかよ。オレの嫁だぞ?神社に帰れなくなるんだぞ?」
結麻は、頷いた。
「あのおっさんに比べたら全然大丈夫よ。あなた、顔が伊津岐様にどことなく似てて好みだし、もし一緒に生活してて嫌な所が見えたら顔見て我慢する。」
「顔ぉ?」瀧は、ふうとため息を付くと、結麻から降りた。「…なんか馬鹿らしくなった。」
結麻は、起き上がって顔をしかめた。
「え?やめておくの?」
せっかく覚悟したのに。
結麻が危機的状況だったにも関わらず、こうなると何やら複雑な感情になっていると、瀧はむっつりと言った。
「軽々しく自分を差し出すんじゃねぇよ!本気にするだろ。」と、またため息をついた。「…オレだってな、これまで女なんかにゃ興味もなかったさ。だが、お前が帰るって言った時、なんかな、あそこに留めたいって思っちまった。だが、そんなことはできねぇ相談だ。それが分かってたから、黙ってお前をあの男に渡して見送った。それがな、心にあってさ。なんかもう、いろいろ真っ当にって生きてたのが、何だったのかって…自暴自棄になって。神だからとか、そんなのオレには受け入れられねぇよ。オレはオレ。だからこそ、これまで迷いながら生きて来たんだ。神ならそんなこたぁねぇだろ。」
結麻は、目を丸くした。
「え…あなたが神だとかそんなの私は気にしてないし、そもそもあなたはあなたでしょう。知った事実が事実でも、あなたは変わらないし、これから発言力が上がるんだから、良いことだと思ったわ。それを利用してやろうと思えばいいじゃないの。それに…私だって、あの後とてもあなた達に会いたいと思ったわ。もっとあなたを助けてあげられたのにって、悲しくなった。巫女だから、行ける場所が決まってて、もう無理なんだと思ってたから。でも、すぐに会えた。頑張れば結構なんでも叶うのかもって思った。」
瀧は、苦笑した。
「会いたかったのはオレ達皆にか。オレだけじゃなく?」
結麻は、その言いようにポッと赤くなった。
「え、それは瀧にも会いたかったわ。でも…あなたは私を子供だって言ってたじゃないの。16ぐらいかって。18なのに。」
結麻がむくれると、瀧は笑って結麻の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「そう思わなきゃ、オレだって男だからな。お前は面が良いって言ったろ?我慢ができねぇこともあるかもしれねぇだろうが。」
結麻は、ますます赤くなった。
「もう!からかわないで!私だって本気にするわよ?そもそも…嫌いだったら、私だってこんな時にあっさり覚悟なんかしないわ。あなただから良いかなって思っただけ。それだけよ。」
瀧は、驚いて結麻を見た。
「…お前、マジでいいのか。」
結麻は、瀧を軽く睨んだ。
「そうよ?でもね、もうダメ!ここじゃ嫌。ほんとはきちんとお花に埋もれたようなベッドルームで初夜を迎えるのが夢なんだもん。拝殿でなんて、伊津岐様と緑楠様に見てくださいって言ってるようなもんじゃない。絶対ダメ!」
瀧は、苦笑した。
「なんだよ、やっぱりダメなんじゃねぇか。」と、クックと笑った。「…ま、そうだよな。」
結麻は、何がそうなのかと瀧を睨んだが、瀧はもう肩の力を抜いて、足を畳に投げ出して天井を仰ぎ見るように座った。
「…何?」結麻がそう言って動いた時、袖からあの、真樹の石がコロンと落ちた。「あ!」
大変、真樹ちゃんの石。
結麻が、慌ててそれを拾うと、瀧は言った。
「なんだそれ。ただの石?にしてはなんか、思念を感じるな。」
結麻は、眉を上げた。
「え、思念?」
瀧は、頷いてそれを受け取った。
「なんだろ、なんか愛情?うーん、違うかな。だが、悪いもんじゃねえ。加護みたいな感じもして、ほんのり南之国の気配がするかな。」
結麻は、途端に悲しい気持ちになった。
…その石、唯一家族で行った旅行の時に、南之国で拾ったものなんだ。
真樹の、最期の言葉だった。
「…真樹ちゃんの。南之国へ旅行した時に拾った物だって大切にしていたの。最期に、私にくれたんだ。」
瀧は、眉を上げて結麻を見る。
「…お前の代わりに死んだとかいう巫女か。」
結麻は、頷いた。
「心に闇を抱えていたのに、それに気付いてあげられなくて。最後に、穢れて化け物のような形になっちゃってから、私はやっと気付いて助けようとしたの。でも、無理だった…あの子は、正気に戻ったのに、私の穢れも抱いて黄泉へ逝っちゃった。二人で穢れていても、別の国へ行って楽しく暮らそうって言ったのに…もう行かなきゃとか言って。」
結麻は、込み上げて来る涙を堪える。
瀧は、黙ってそれを聞いていたが、その石にフッと息を吹き掛けた。
「…そら。元々あった加護の力を強くしといた。お前を守りたいと思ったんだろう。そいつの形見だ、大事にしろよ。」
結麻は、涙ぐんだまま頷く。
瀧は、ゆったりと言った。
「…頭の整理をしてぇ。今度はオレの話を聞いてくれるか。」
結麻は、慌てて座り直すと、頷いた。
「うん。」
瀧は、結麻に向かって、淡々と落ち着いて話し始めたのだった。




