事実
神主達は、伊津岐に対して全く恐れることなくそんなことを言い放つ、瀧に怒るよりも困惑して伊津岐と瀧を代わる代わる見ていた。
伊津岐は、じっと瀧の目を見つめて、言った。
「…だから言っただろ。どんな方法を使ったって記憶は無くなるんでぇ。オレに大見え切って出てったくせに、さっさと忘れてしょうもない生き方しようってんじゃねぇだろうな、伊知加。お前は何も変わっちゃいねぇ。その姿だって、そっくりそのまま伊知加じゃねぇかよ!」
瀧は、伊津岐に言い返した。
「だからオレは伊知加じゃねぇ!神だからって何が偉いってんだよ!決めつけてんじゃねぇ!」
結麻は、そんな様子をおろおろと見ていたが、ハッとした。
…伊津岐様と、瀧は似ている。
それは、その場にいる全員が気づいたことだった。
こうして、面と向かってやり合っているのを見ると、二人は双子とまではいかないが、兄弟ぐらいには似ている気がする。
伊津岐は、瀧を睨んでいたが、フンと横を向いた。
「…もういい。」と、浮き上がった。「お前は全く覚えちゃいねぇ。それに、思い出そうともしねぇ。お前を信じてた、オレが馬鹿だったよ。」
緑楠が、立ち上がった。
「伊津岐、待たぬか!」
だが、伊津岐はその場からスッと消えて行った。
瀧は、ぐっと拳を握りしめてくるりと踵を返すと、その場を出て行こうとする。
が、緑楠がそれを、鋭い声で止めた。
「…瀧!」瀧は、ビクと足を止める。緑楠は続けた。「最後まで聞いて参れ。そのためにここへ入れた。我らは神。普段おとなしゅうしておるからと、いつまでもこのままだと思うでないぞ。守りたいものがあるのだろう?」
瀧は、緑楠を振り返った。
「…脅すつもりか。」
緑楠は、答えた。
「我らにも守りたいものがあるからぞ。だが、主がそれを違えると申すのなら、全て消す。簡単よ、我が庇護より主らだけ外せば良いのだからな。まさか結界外に、我らの守りがないと思うておるのか?」
瀧は、ギリギリと歯を食い縛った。
「…分かった。」と、どっかりとまた座った。「さっさと言え。」
緑楠は、落ち着いて言った。
「主は、伊知加ぞ。」瀧が言い返そうとしたが、緑楠は手を上げてそれを制した。「最後まで聞け。主は、キリサと同じく土地を定めぬ神だった。伊津岐と共に、よう酒を飲んでは騒いでおったわ。主らは友で、主も伊津岐の居る場に一番多く立ち寄った。昔からよう喧嘩もしておったので、此度のようなことは珍しゅうない。我からしたら、見慣れた光景よ。」
瀧は、ムッツリと言った。
「…何も覚えていない。」
緑楠は、頷いた。
「そうだろうの。が、主は誠に伊知加よ。役人達の汚職は、何も今始まった事ではないのだ。昔から、多くあった。キリサが降りてまで正そうとした世がそんなものに汚されるのを嫌がった主は、数十年前、我らの結界外をなんとかすると言って、キリサと同じく黄泉へと向かい、人として降りると言い出したのだ。伊津岐は反対した。また、記憶もなくなり人に育てられて、一介の人として世を正せるとは思えないという理由からだ。我もそのように申した。が、伊知加は言った…己の力をそのままに、必ず記憶を残して、キリサのように分割せずにこのまま人になると。そして時が足りねば何度でも転生し、前の生を糧に必ず世を正すと。魂が腐り切って黄泉へと渡った命は、転生できぬで暗い場所にただ捨て置かれ、何百年何千年と苦しむことになる。それすら哀れゆえ、これ以上そんなものを増やすわけにはいかぬし、必ず自分が成し遂げると主は申した。止める伊津岐の言葉も聞かず、そうして主は黄泉へ渡った。そして、生まれ出たのは人であって人ではない、主という命だった…主は、母と思うておる女の腹から生まれたのではない。何故なら、人に神は生み出せぬからぞ。主は、あの港町の名もなき女から生まれ、女は主を生んだことで死に、ただ泣くだけだった時に、母の女と父の男に拾われて、あの場所で育っていた。その様子では、父母は何も言わなんだようだの。主は、あの場の誰にも似ておらなんだはずよ。」
瀧は、それを呆然と聞いた。
…確かに、自分は誰に似たのだろうと思っていた。
瀧は、思った。
父もここまで大柄ではなかったし、母も小柄な女だった。
あの港町の、誰にも似たような容貌は居らず、もしや孤児だったのではと、最近になって思うこともあった。
緑楠が言ったことは、何もかも腑に落ちることばかりだ。
が、言った。
「…ならば、何故に5歳のあの時まで覚醒しなかった。義理とはいえ、オレは父母を大切に思っていた。祖母もそうだ。血を分けた孫でもないのに…困窮した暮らしの中で、オレのために食料を手に入れて自分は死んだんだぞ?」
緑楠は、息をついた。
「…他ならぬ、主自身が決めたこと。」瀧は、目を見開く。緑楠は続けた。「生まれたその時から、大きな力を持っていては人の中ではやっていけぬだろうと。父母が怖がる可能性がある。ゆえ、主は5歳までは記憶も力も封印すると己で決めていた。なので、何も知らずで5歳まで普通の人として育ったのだ。5歳になり、めでたく力の封印は解けたようだが、あれほど留めるというておった記憶はどうやら持って来られなんだようだの。我はそう、伊津岐に申した。森で会った主とは、話にもならなんだとな。だが、伊津岐は諦めていなかった。伊知加を信じて、必ず記憶は持っていると言って、そうして今日、ここへ来たのだ。ちなみに、結麻を拐う依頼を主にさせたのは伊津岐ぞ。あの男が結麻を拐う計画を立てていたので、ならばそれは伊知加にさせよと暗示を送った。男はまんまと主に依頼し、主は結麻を拐った。主と過ごさせることで結麻に現状を理解させ、主の手助けをさせようとしたからだ。主は、思った通り結麻を手荒に扱うあの男には渡さず、己で保護して匿った。全てこちらの思惑通りだった。何故なら、主は伊知加であったから。己の大切にしている巫女を、主になら預けても問題ないと伊津岐は信じていたのだ。」
結麻は、それを聞いてまた、涙が出た。
伊津岐は、親友だった伊知加を、それは信じていたのだ。
瀧は、混乱した顔をした。
「…あれは、オレがそうした方がいいと思ったから。お前らに信じられる信じられねぇなんて、考えてもいねぇ。なのに、あいつはオレをその伊知加だと言って、信じていたと言うのか。あいつが止めるのも聞かずに…勝手に降りてったってのに?」
緑楠は、頷いた。
「そうよ。我も他の神たちも、黄泉へ渡ったならあやつは何も覚えていないと言ったのに。何も覚えていない神は、穢れることもある。何しろ、人世は過酷であるし、そうせねば生きられぬと思うたら、悪にも染まる。ゆえに、神主達は神社から出さずに、徹底的に保護しておるのだしの。が、主はあんな中でも染まっていなかった。何をしていても、穢れることのないギリギリの線を選んでなんとか生き延びていた。大したものだと思うておる。」
瀧は、大粒の涙をぼたぼたと落とした。
「…何も覚えちゃいねぇ。なのに、胸が締め付けられるようだ。」と、顔をくしゃくしゃにして、下を向いた。「…なんでオレなんかを信じるんだよ。オレでも、オレのことは信じられねぇってのに!結麻を助けたのだって、ギリギリまで迷ってた。最初から助けようとは思っちゃいねぇ!」
…でも、結果的には助けてくれた。
結麻は、餅から手を離して、瀧の背を撫でた。
「瀧…。」そして、緑楠を見た。「緑楠様、しばしお時間を。いろいろなことを一度に聞いて、瀧には今、消化し切れていないのだと思いますわ。少し、落ち着いて整理をする時間をお与えください。」
緑楠は、頷いた。
「主の餅も尽きそうだしな。少しこの場を離れて考えて参るが良い。」
結麻は、緑楠に頭を下げて感謝を示すと、瀧を促して立ち上がり、そうして、二人でそこを出て行った。
するりと姿を隠す布が滑り落ち、結麻の姿が露わになったが、瀧が伊知加と知れたからなのか、もう大聖でさえ、それを止めることはなかったのだった。




