小さな港町
大聖は、とっぷりと暮れた空を見上げて、焦っていた。
海上案内灯は、しっかりと見えている。
が、小さな港にその船があるのかどうか、速度を下げて近付いて確認しながら進むので、時間が掛かって仕方がなかった。
が、大聖は、正面に見える、大きな海上案内灯が、目的地ではない、と確信していた。
なぜなら、あれは南之国の海上案内灯で、そこには神が居り、巫女である結麻を、捕らえたまま進めるとは思えないからだ。
相手が能力者ならば、恐らくそれを気取っているはずだった。
なので、小さな海上案内灯を、一つ一つ近付いては、確認して行くよりなかった。
相変わらず、結麻の気配は全く気取れない。
…結麻…無事だろうな。
大聖は、こんなに長い間囚われたままで、もう乱暴されていてもおかしくはない、と思っていた。
そうなると、巫女という立場は難しくなる。
恐らく、その経験から病んで気が穢れてしまうからだ。
…一生伊津岐様に仕えると言っていたのに。
大聖は、何の心配もなく、のほほんとそんなことを言っていた、結麻を思い出した。
魂の穢れは伊津岐が消してくれたとしても、傷ついて心は元には戻らないだろうし、世間の評判は悪くなり、巫女を続けられなくなるだろう。
あれだけ賢い巫女だともてはやされた結麻が、一気に婚姻の話もなくなり、孤独に暮らすことになってしまう。
…そうなったら、父さんに頼んで結麻をオレの妻にしよう。
大聖は、思った。
結麻から目を離した自分が一番悪いのに、結麻だけに辛い想いをさせるわけにはいかない。
我が儘で能天気で時々怠惰な奴だが、真っ直ぐでとりあえず気立ては良い方なのだ。
他の、顔しか知らない女を妻にするなら、結麻なら父も母も反対しないだろう。
大聖は、息をついた。
神の力がないと、これほどに自分は無力だ。
大聖がもう、何個か目の小さな港町の桟橋を見つめていると、目を凝らしてそれを見ていた、佐伯が叫んだ。
「…ありました!」え、と大聖は急いで佐伯に並んだ。佐伯は続けた。「あの、端の船です!船尾に赤い二本の筋があり、大きさも合致します!あの船に間違いありません!」
見つかった…!!
「すぐに入港の許可を取れ!上陸するぞ!」
大聖が命じると、漁師が言った。
「ここなら、許可は要りません。どこでも空いたところへ入れて、文句は言われないんです。その代わり、しっかり見張りを立てておかないと、船を持って行かれるかもしれません。」
そんなに治安が悪いのか。
大聖は、やはり神達の結界外の土地も、しっかりと見ておくべきではないかと心底思った。
村の中ではあり得ないことが、外ではこんなにあっさりと起こってしまうのだ。
…やはり、結麻の気配は全く気取れない。
思った通り、結界の中に籠められているのだ。
大聖は、とりあえず三人の警備兵と、漁師を船に残して、佐伯と他の警備兵と共に、周辺の人々に聞き込みをして行こうと決意していた。
辺りは、もう真っ暗になっていた。
その頃、結麻は山道を馬に揺られて駆け上がり、森の中へと入って行って、突然に開けた場所へと出ていた。
そこは、何やら清々しい心地のする場所で、その場所へと入ったところで、急に空気が変わったのを感じた。
…ここ、なんか他と違う。
結麻は、馬から降りる瀧を見ながら、思っていた。
瀧が、結麻に腕を伸ばす。
「ほら、こっちへ。飛び降りたら怪我するぞ。」
結麻は、仕方なく瀧に手伝われて、馬から降りた。
すると、その中に身を寄せ合うように立っている家々の中から、女性と子供が駆け出して来た。
「お帰りなさい!」小さな女の子が、瀧に駆け寄って来た。「お父さんは?」
瀧は、その女の子を抱き上げて、言った。
「ああ、お前の親父は今、山道を歩いてるぞ。オレは、このお姫さんを連れてたから馬で来たから早かったんだ。」
女の子は、首を傾げた。
「お顔を隠しているの?」
結麻は、言われてそっと布をめくって女の子を見た。
「そう。でも、別にもういいかも。」
女の子は、結麻を見てパアッと明るい顔をした。
「わあ!すごい、本当にお姫様だ!」と、瀧の腕からぴょんと飛び降りた。「お母さーん!本物のお姫様が来たよ!すっごく綺麗!」
え、お姫様?
結麻は、呆気に取られて女の子を見送った。
すると、途端にあちこちから数人の子供が出て来て、結麻の方へと駆けて来た。
…めっちゃ子供居るんじゃない?
結麻は、驚いてそれを見る。
瀧は、一人一人を指差して言った。
「そっちが、昌士の子供の久士、これとこれが慎太郎の子供で弥生と真悟。で、これが靖の子供の舞子。みんなここで生まれてここで育ってる。」
船でせっせと働いていた人達の名前だな。
多過ぎてすぐ覚えるのは無理っぽいので、できたら名札を付けて欲しいと言いたいところだった。
弥生が、言った。
「わあーほんとだ!お姉ちゃん綺麗だねえ。着物も真っ白でつやつやしてるー。」
言われてみたら、正絹の襦袢と下重ねと袿、それに袴を履いているので、確かに貴重な着物を着ているのかもしれない。
結麻は、愛らしいその子の頭を撫でた。
「これはねえ、袴は白じゃないんだよ?ほら、暗いけど良く見たら、ちょっと紫色なんだ。私の神様の、髪の色なんだよー。」
弥生も他の子供達も、キラキラと目を輝かせて言った。
「へえええ!お姉ちゃん、神様が見えるんだね!巫女さんみたい!」
いや巫女なのよ。
結麻が言って良いのかと困っていると、瀧が言った。
「こら、お客様だぞ?お前ら、もう寝る時間だろうが。しばらくここに居るんだ、また明日ゆっくり話したらいい。」
舞子が、ぷうと頬を膨らませた。
「はーい。」
そうして、こちらを振り返り振り返り、それぞれの家の前で待つ、母親の前へと戻って行った。
瀧は、馬を引きながら、言った。
「お前はこっち。オレの家か相良の家しか、部屋が空いてる場所がねぇし。それが嫌なら、馬と一緒に馬房に入るしかないけどな。帰って来てない吉の家はゴミ屋敷だしよ。どうする?選ばせてやるよ。」
え、馬小屋か賊の男の家か、ゴミ屋敷かってこと?!
結麻は、うーっと唸った。
「…じゃあ、馬と一緒に寝る。」
瀧は、苦笑した。
「冗談だ。オレが相良の家に行くから、お前はオレの家を使え。もし、ずっとここに居るなら新しい家を建ててやるけどな。」
「えっ」結麻は、瀧を見つめた。「ちょっと待って…私に選択権があるの?ここに閉じ込めて利用しようって思ってるんじゃなくて?」
瀧は、呆れたように顔をしかめて結麻を見た。
「だーかーらーお前を放置できないって言ったろ?あのまま港に放置してたらヤバイ事になるって言ってるのにまだ分かってねぇのか。放置できねぇのに、一緒に居たら追いついて来たお前の連れの神主がオレらを殺そうとするわけだろ?ここへ連れて来るしかなかったの。ほとぼり冷めたら南之国へ連れてってやるよ。そしたら、お前がオレ達の事を話さなければ、実害はないしな。今は無理。あの神主が追って来てる。言っただろ、オレ達には見えてるんだ。ま、ここの場所は分からないだろうけどな。」
結麻は、ジトッとした目で瀧を見る。
「…多分、大聖に分からない事はないと思うけど。」
瀧は、フンと鼻で笑った。
「何言ってんだよ、巫女だってのにオレの結界内に入ったのも分かってないのか。そもそも、船に乗ってる時から結界張って、お前の気配は遮断してたんだぞ?お前らの神ってのは、そんなことすら教えてくれねぇのか?」
まじか。
結麻は、本当に巫女としての技を全く学んで来ていなかった、自分に後悔した。
そして、結界を張るほどの力を持っている、この瀧という男を侮っていたと自分の甘さをまた知ってしまった。
項垂れる結麻を、瀧は引っ張った。
「…こら、落ち込むな。冗談だよ、お前は綺麗な姿で人を惑わすのが仕事なんだろ?技とか術とかは神主に任せて、お前はお飾りなんだろ?だから別に、気にするこたねぇよ。それより、もう休め。ほら、こっちがオレんちだから。好きに使え。」
いや、違うのよ、巫女も浄化の役割があるの。
結麻は内心思っていたが、もう疲れて言い返す気持ちにもなれず、仕方なく瀧の家へと入って行って、休む事にしたのだった。
瀧は、意外にもそのまま朝までその家に入っては来なかった。




