夜
とはいえ食事は、とてもおいしかった。
ここにも菜種油の技術は行き渡っているようで、出て来た食事は皆とてもおいしい。
が、よく考えたら自分達は、外の食材で作ったご飯は食べてはいけないはずだった。
大聖にそっと聞くと、食材は先にこちらへ送ってあったのだそうだ。
神に抗うことなどできないので、伊津岐が決めたことは絶対と、食材だけは皆、間違いなく送って置いたものを使ってくれているようだ、と大聖は言っていた。
大聖は、それがあちらで作った物だと、口に入れただけで分かるのだそうだ。
が、酒や水などの飲み物は、外の物を摂っても良いと決まっているので、地酒などを勧められて困ってしまった。
もう、大聖も結麻も、成人しているので酒が飲めるのだ。
しかし、大聖は首を振った。
「せっかくだが、我々は外で酒は飲まないのだ。なので要らない。」
結麻が布を取って食事をしていたので、閉じた引き違い戸の向こうへ言っているのだが、その口調が聖のようだ。
恐らく、大聖はこんな風に外では気を張っているのだろう。
すると、勧めてくれていた女将ではなく、主人の方の声が言った。
「それは失礼致しました。では、この地で採れた果実を絞った飲み物があります。それをお持ちしましょう。そちらなら、食後にスッキリと飲めると思います。」
大聖は、チラと結麻を見る。
結麻は、頷いた。
大聖は、答えた。
「…では、それをこれへ。」
主人の声が、答えた。
「はい。お持ち致します。」
結麻は、別に声は聞かれてもいいのだが、自然小さな声で言った。
「…お酒って、そういえばもう飲めたよね。忘れてた。」
大聖は、答えた。
「だからって、外で飲むとか言うなよ。何かあったら困るんだ。どうしても飲みたいなら、退役神主の里に着いてからにしろ。あそこなら、元神主たちが多く居るから、何かあることはない。分かったな?」
結麻は、むっつりと言った。
「…別に飲みたいとかじゃないわ。」
すると、スッと引き違い戸が少し開いて、そこからそっとお盆に載ったグラスが二つ、差し出された。
その中には、オレンジ色の液体が入っている。
差し込まれた後、また扉は閉じた。
「どうぞ、お召し上がりください。」
大聖が、立ち上がってそれを持ってこちらへ来た。
「…柑橘か?そんな匂いがする。特に何も怪しいところはないな。」
結麻は、それを受け取って匂いを嗅いだ。
「ちょっと、失礼よ。おいしそう、食後に良いわね。」と、それを一口飲んだ。「…おいしい。蜜柑っぽいわ。」
大聖も、慎重にそれを口にする。
そして、頷いた。
「…うん。蜜柑だな。」
結麻は、フフフと笑った。
「なによ、蜜柑ってだけなのに、そんな難しい顔して。大聖は心配性なのー。せっかくあんなにおいしいご飯を作ってくれたのに、疑っちゃ駄目よ。」
大聖は、息をついた。
「…仕方ない。オレに全部任されてるんだ。何かあったらって思うと気が気でない。」
人を信じられないのかなあ。
とはいえ、結麻は外に出たのが初めてで、この世界の外が、どれぐらいの治安なのか、分からない。
なので、大聖が心配し過ぎとも言い切れなかった。
結麻は、息をついた。
「…大聖、ありがとう。私、ほんとに何も知らないから。あなた一人に任されて、きっとしんどいよね。ごめん。」
大聖は、驚いた顔をしたが、フッと肩の力を抜いた。
「…仕方ない。お前は神社を出られなかったんだしな。それに、オレだけじゃない。お前には護衛がたくさんついて来てるし、別棟から交代で、この部屋の回りの見張りに立ってくれる予定だ。だから、大丈夫だよ。」
結麻は、微笑んで頷いた。
「うん!」
そうして、その日は部屋についている風呂に代わり番こに入って、早々に二間に分かれて布団に入ったのだった。
「…?」
結麻は、何かに呼ばれたような気がして目が覚めた。
「…大聖?」
しかし、大聖からは返事はない。
きっと、ぐっすり眠っているのだろう。
…喉が渇いたな…。
結麻は、暗闇の中で障子から差し込む月明かりだけを頼りに、水差しを探した。
が、確かに枕元に置いておいたはずのそれが、なかった。
「…?」
結麻は、不思議に思った。
ここへ入って来られるのは、大聖だけのはずだ。
だが、大聖がわざわざ結麻の枕元から、水差しを取り去る理由が分からなかった。
「大聖?」
結麻は、もう一度呼び掛けてみた。
が、大聖からは返事がない。
なので、少し襖を開けてみた。
「大聖…お水…。」
だが、大聖の布団は、もぬけの殻だった。
…え…どこに行ったの?
トイレも、部屋にある。
そもそもトイレには、灯りはついていなかった。
もちろん、結麻ならもう、いちいち火を起こして付けるのが面倒なので暗いままでも我慢して入るが、大聖は自分の手から火を出すことができるのだ。
…別棟かしら。
何かあったのかもしれない。
結麻は、急いで袴を履くと、あの姿を隠す布を被った。
どちらにしろ、ここで独りきり、待っているのはまずい気がしたのだ。
引き違い戸から出たらいいのかもしれないが、何がの予感が、そこでは駄目だと言っているような気がして、障子の方をそっと開いて外を見た。
庭があるが、交代で警備に立ってくれているはずの人が、一人も居なかった。
…どういうことかしら。
結麻は、途端に不安になって来て、袖の中の真樹の石を握り締めた。
…真樹ちゃん…大聖がどっかに行っちゃったの。私、一人じゃ何もできないのかも…。
ここに、真樹ちゃんが居てくれたら。
結麻は、思った。
多分、真樹なら大丈夫、と言って手を握って、勇気づけてくれたのだ。
伊津岐も、領地から遠く離れたこの地まで、力を送るのは難しいかもしれない。
何しろ、旅に出てから一度も伊津岐の気配を感じてはいなかった。
ここには自分しかいなかった。
結麻は、意を決して縁側から庭へと出ると、別棟の警備の人達の所へと、急いで向かったのだった。
幸い、結麻を包む目隠しの布は、黒いような灰色で、夜の闇には強かった。
結麻は、馬車を降りた時にチラと見た別棟の方へと歩いて行くと、なぜか別棟の方は、もう夜もかなり更けているのに、灯りはついたままだった。
夜番のために皆起きているのかと思いながら別棟へと入って行くと、まず入り口入ってすぐの所で、二人の警備兵が倒れていた。
「…!!」
結麻は、びっくりして、慌ててそのうちの一人を揺り起こした。
「…もしもし?大丈夫ですか?」
「…うーん…。」
相手は、何やらもごもごと言うだけで、目を開かなかった。
だが、具合が悪いというよりも、ぐっすり眠っているという感じだった。
脇を見ると、酒瓶が転がっている。
とはいえ、まだ転がる前は多く残っていたのか、大量に土間にこぼれていた。
…ということは、この人達は飲み過ぎて寝ているわけではない…。
結麻は、二人をそこへ置いて、奥へと入って行った。
すると、大広間のような場所に布団がたくさん並べて敷いてあり、雑魚寝をしようとしていたようだ。
が、大半がその布団には見向きもしない状態で、あっちこっちに倒れて、眠っていた。
しかも、やはり酒瓶が放置されており、どの酒瓶にも酒はまだ、多く残されていた。
…ここまで、全員が眠り込んでしまうなんてあり得ない。
結麻は、混乱した。
どうして、こんなことが起こっているの…?
結麻が訳が分からず立ち尽くしていると、いきなり聞き慣れない声がした。
「…見つけた。」え、と振り返ると、警備兵の制服は着ているが、知らない男が数人立って、こちらを見ていた。「部屋に居ないからどこへ行ったのかと思ったら、こんな所に来ていたのか。」
誰…?!
結麻が思って警戒して後ろへ下がろうとすると、突然に後ろから頭に大きな衝撃が来た。
…!!大聖…!!
結麻は、気を失う直前に、そう思った。
男の一人は、言った。
「こら、乱暴に扱うな。傷を付けずにつれて行かなきゃ、金にならないぞ?」
男は、フンと鼻を鳴らした。
「こんな小娘。」と、被っている布をはいだ。そして、息を飲んだ。「…おい、こりゃ上玉だ!驚いた…絵姿より美しい女なんか、初めて見た。」
先の男が、言った。
「手を出すなよ。無傷でないと、報酬は出ない。ほら、これで包んで見えないようにして持って行け。それにしても、あの男といい、こいつらには薬が効かないのか。まさか起きて来るとは思わなかった。」
男は、先ほどとは違って丁寧に結麻を布で包むと、肩に担いだ。
「さ、ずらかるぞ。長居は無用だ。男を連れ出した奴らにも知らせを送れ。例の場所で落ち合おう。」
相手は頷いて、そうして結麻を連れて、そこを出て行ったのだった。




