出発
結麻は、その日の明け方に起こされた。
夜明けと共に出発しないと、途中の宿場町まで暗くなるまでに到着しないからだ。
美智子に手伝ってもらってせっせと身支度をし、外へと出ると、境内には幌付きの馬車が三つ、待機していた。
「…寒っ。」
結麻は、思わず言った。
今は10月末で、朝夕は冷えるのだ。
そんな当然のことを、伊津岐に守られた館の中で生きていたので、忘れ気味になっていた。
大聖が、言った。
「ほら、寒いのは分かってる、馬車の中には火鉢を置いてあるから、早く乗り込め。伊津岐様の守りから出たらそうだ。仕方ないだろ。」
美智子に何枚も綿入れを着せられた意味が分かる。
差し出された大聖の手を握って、結麻は馬車へと乗り込んだ。
馬車の中は、火鉢のお陰でじんわりと暖かかった。
外から、聖が言った。
「気を付けてな。一応、役場からは警護の者達が合流するし、伊津岐様も見ていてくださる。道中問題はないだろう。」
大聖は、頷いた。
「はい。後はよろしくお願いします。」
大聖は、言って馬車の扉を閉じた。
そして、馬車の中のカーテンを閉じる。
「え」結麻は言った。「外の景色を見ちゃ駄目なの?」
大聖は、結麻を見た。
「あのな、通り道にこの早朝にも関わらず、見物人がいっぱい出てるの。みんなお前の姿を見ようとしてるんだ。だが、知っての通り穢れてる人も居る。そんなのに気を送られたら、お前保たないぞ。」
マジかよー。
結麻は、残念に思いながらも、仕方がないとため息を付く。
そうして馬車は出発し、結麻は真樹と共にここへ入って初めて、鳥居の外へと出たのだった。
粛々と進む馬車のカーテンの隙間から、大聖が言った通りに多くの人々が沿道に詰めかけているのが見えた。
…巫女ってそんなに珍しいの?
結麻は、驚いていた。
何しろ、正月には他の宮の巫女も来るが、ここまでではないのだ。
結麻は、言った。
「…沙良さんとか佐織さんが来る時にでも、こんなふうじゃなかったでしょう?なんで私だけ。」
大聖は、むっつりと答えた。
「…そもそも、一之宮の巫女は結婚するまで宮を出ないもなんだ。結花さんもそうだったらしいしな。だから、出て来るとなるとみんな、唯一一之宮の巫女が見られるチャンスだと大騒ぎになる。その上、お前の場合いろいろ便利な物を世に出して、かなり有名になってるからな。思わせぶりに絵姿もあって、とにかく一目でもってみんな思ってるんだよ。」
止めてよ。
結麻は、いつの間にか敷居がバク上がりしているのに、慄いた。
実際はこんな感じなのに、あまりにも噂が独り歩きし過ぎている。
「え、え、困るわ!私はコレなのよ、あなた分かってるでしょう?みんな失望して、怒り出すかもしれないわよ?絵姿なんて、なんとでも描けるのに!私はあんなに綺麗じゃないわ!」
大聖は、ふいと横を向いた。
「…知らん。オレに言うな。」
冷たいんだよなあ、こいつ。
結麻は、大聖を睨んだ。
ここ最近の大聖は、なんか目をなかなか合わせてくれないのだ。
…そんなに嫌わなくていいじゃないのよ。
結麻は、思った。
確かに、いきなり旅に出たいとか言って、忙しくさせたのは悪かったと思っている。
が、少しは心配してくれてもいいんじゃないだろうか。
そのまま、二人でむっつりと黙り込んだまま進み、役所の前に到着して、そこで馬に乗った護衛の人々と合流し、馬車は大所帯に囲まれて、一路南へと向かったのだった。
最初、多くの船に分乗して川を下って山間部を抜けた。
その後、途中の船着き場で船に乗せて来た馬車や馬を下ろして、一行は街道を進んで行く。
道路の整備は進んでいる。
人気のない場所まで来たら、大聖はレースのカーテンだけを閉じた状態で、分厚いカーテンは開けて外を眺められるようにしてくれた。
…すごい、同じ日本とは思えない。
結麻は、思った。
見渡す限り山と木々で、そんな間を抜けて綺麗に固められている、土の道路を進んで行くのだ。
ところどころに、手掘りの隧道があって、そこは暗く不安になる様だったが、炭の僅かな赤い光が心強かった。
そうして進んで行くと、そんな山間の中にも小さな集落はあり、時々そこで休憩を取りながら、一行は進んで行った。
ちなみに、結麻は外へ出る時、大きな布をすっぽりと掛けられる。
目の辺りにだけ小さな透かしが入っているので、中からは辛うじて外が見えるが、外からは中が見えない仕様だった。
…めっちゃ不自由よ。
結麻は、思った。
今いるメンバーの中では、大聖以外には顔を見せることができないのだ。
必然的に、用を足す時以外は、面倒なので馬車の中に居ることになった。
そんなこんなで大概疲れたとウトウトしていると、大聖の声に起こされた。
「…結麻。今夜泊まる宿に到着したぞ。」
え、と目を開けると、大聖が布を結麻に被せて来た。
「部屋に入るまでの我慢だ。基本的に宿の中では自由にしてていいが、部屋から出る時は必ずこれを被れ。顔を見せるな、面倒が増える。」
面倒って何よ。
結麻は思ったが、確かに皆の期待を裏切ることになるのだし、面倒かもしれない。
なので、結麻は素直に頷いた。
「分かった。」
大聖も頷き返して、そうして馬車の扉を開いた。
馬車から大聖の手を掴んで降りると、目の前にはそこそこ大きな木造家屋があった。
その中からは、気の良さそうな初老の男女が並んで微笑んでこちらを見ていた。
誰だろう、と結麻が思っていると、大聖は言った。
「ご苦労だな、君達がこの宿の主か。」
相手は、答えた。
「はい、大聖様。お待ち申し上げておりました。この度はこちらを貸し切りくださってありがとうございます。巫女様と未来の神主の方をお迎えできるとはと、しっかりと準備を整えてございます。お二人は本館に。お連れの方々はあちらの別棟へそれぞれお部屋を用意してございます。」
貸し切ってるの?!
結麻は仰天したが、大聖は当然のように頷いた。
「では、すぐに食事を。部屋の方へ運んでくれ。」
「承知致しました。」
そうして、女将っぽい女性に案内されて、大聖と結麻は中へと入って行った。
旅館の中でも、多くの従業員らしい人々が、チラチラとこちらを興味深く見ているのが分かった。
みんな、巫女に興味があるらしい。
…なんか疲れそう…。
結麻は、思いながら引き違い戸の向こうにある、二間続きの大きな座敷へと案内された。
「では、ここで。そちらの襖を閉じてくだされば、お二人の寝室にできます。お食事が終わりましたら、お布団を敷きに参ります。」
え、大聖隣り?!
結麻はびっくり続きでめまいがしたが、女将が出て行くまで、質問は待った。
そして、引き違い戸が閉じたのを見て、言った。
「ちょっと大聖、ここ貸し切り?!それなのにあなたと襖隔てただけで寝るの?!」
大聖は、答えた。
「あのな、オレだってこんなに金を使いたかない。だが、お前が誰にも会えないから、こうするよりないんだろうが。それに、巫女を狙って来る奴も居る。既成事実を作られたら、嫌でも結婚だぞ?オレだって一人でゆっくり寝たい。襖があるんだから、我慢しろ。オレも我慢する。」
マジか。
結麻は、そういう危機意識が欠けていた、と思った。
大聖が疲れ切っていたのは、こういう細かい準備が必要だったからなのだ。
「…ごめん。」結麻は、言った。「聖さんにも帰ったら言わなきゃ。軽く考えてたよ。お金掛かってるでしょ?半分出すよ、お金だけはあるから。」
使い道がない巫女の手当が、手付かずで残っているのだ。
しかし、大聖は首を振った。
「伊津岐様のご指示だ。金は腐る程ある。そんな心配はない。それより、お前は自分があちこちから縁談が来るほど狙われてる事実をもっと自覚するべきだ。しっかりしろよ?オレから離れるな。これでも神主は術が使えるから、お前一人ぐらいは簡単に守れる。分かったな。」
結麻は、ゴクリと唾を飲み込んで、頷いた。
もう、浮かれている場合ではないのは分かっていた。




