友達
結麻が部屋で密かに後悔しながら涙を流していると、窓の方から声がした。
「…結麻ちゃん。居る?」
結麻は、ハッとして窓の方を見た。
貴重な硝子をはめ込んだその窓の向こうには、真樹が立っていてこちらを覗き込んでいた。
結麻は、急いで涙を袖で拭うと、窓を開いた。
「真樹ちゃん。」
真樹は、言った。
「これ」真樹は、何かの瓶を差し出した。「どうしても食べられない時、お母さんがくれたの。結麻ちゃんも、少食だったでしょ?食べるの辛いよね、だからもし良かったらって思って。」
結麻は、それを受け取ってラベルを見た。
甘酒、と書いてある。
「真樹ちゃん…」結麻は、また込み上げて来る涙を堪えきれずに、言った。「私…私もっと食べたら良かった。無理したら食べられたの。なのに、太るのが嫌だったから。だって、太ると男子がからかうじゃない。だから…。」
皆ふくよかだったが、目立って丸々としていた真樹は、よくからかわれていたのだ。
それを、庇っていたのは結麻と大聖だった。
大聖は、よく男子を集めて太ることの必要性をとくとくと説いていた。
大聖は、神社の跡取り息子なので、その重要性を理解していて、むしろ批判されるべきは結麻のように何の努力もしない女だ、とよく言われた。
それは逆に真樹が庇ってくれて、結麻は大聖のことはハッキリ言って、嫌いだった。
が、大聖は間違っていなかった。
大聖は、このことを言っていたのだ。
真樹は、結麻の頭を撫でて、言った。
「結麻ちゃん…大丈夫だよ。きっと今からでも遅くない。神様にお願いしよう?もう少し待ってくださいって。きっと太って来ますからって。そうしたら、聖のおじさんだって待ってくれるよ。」
結麻は、涙を拭きながら言った。
「でも、今神様居ないよ?私が居たら神社に帰って来ないから、追い出されたんだもの。」
真樹は、言った。
「あのね、私勉強したんだ。神様ってね、どこに居ても呼んだら聴こえるらしいよ?来てくれても、見えないから分からないだけで。でも、結麻ちゃんには見えるもの。だから、その甘酒を持ってどこかに行こう。ほら、学校の裏山とか。そこで呼んだら良いんだよ。」
甘酒で大丈夫だろうか。
それでも、この事態をなんとかするためには、自分が行動するしかないのだ。
結麻は、真樹に頷いた。
「…分かった。待ってて、甘酒だけだとまた倒れるかもしれないから、おむすび作って来る。玄関の方に回って、待ってて。」
真樹は頷いて、そのぷっくりとした手で結麻の頭を撫でた。
「結麻ちゃん、大丈夫だからね。私は味方だよ。」
結麻は頷いて、そうして部屋を出てそっと台所に向かった。
閉じた居間の戸の向こうでは、まだ父と母、それに祖母が激しく言い合っている声がしていて、結麻は居た堪れなかった。
そんな中でそっとお櫃に残っていたご飯を全部おむすびにすると、それを竹の皮に包んで持ち、そっと玄関から外へと出た。
靴は、一応靴の形だったが、獣の皮で作っただけの簡単な物だ。
前世のようにクッション性も何もあったものではない代物だったが、それを履いて真樹と合流した。
「お待たせ。行こう。」
真樹は頷いて、そうして二人で学校の方角へと歩き出した。
しばらく歩くと、隣りの家のタカが、家の前をホウキではいていた。
「あ、タカおばちゃん…。」
結麻は挨拶しようとしたが、タカはこちらに気付くと顔をしかめて、さっとホウキを持ったまま家の中へと入った。
…今朝ここを通った時には、おめでとうって言ってくれたのに。
結麻がショックを受けていると、真樹は言った。
「…結麻ちゃん。気にすることない、行こう。きっと神様が待ってくれるって言ったら、みんな元に戻るから。」
みんな…?
結麻は、真樹に促されて歩き続けながら、言った。
「…みんなって、もしかしたらみんな?」
真樹は、答えない。
が、その愛らしい顔は険しくなっていて、何かに怒っているようだ。
真樹は、滅多に怒ったりしない、それは穏やかな子なのだ。
なので驚いていると、真樹は言った。
「…お父さんもお母さんも。昨日までは巫女の家系だからって結麻ちゃんと仲良くしなさいって言ってたくせに、今日の儀式の後からもう口を利いてはいけないとか言うの。おばあちゃんもよ?酷いわ、太れなかっただけじゃない。私だって…神社を全部回って神様が見えなかった時には、これまで散々食わせて来たのにって責められたのよ。お弁当だって、作ってくれなくなったから、自分で作ってる。勝手なのよ、大人なんて。今は妹に掛かりきりよ。」
真樹の妹の真那は、まだ12歳だ。
真樹は家でのことをあまり話さないので、そんなことになっているなんて、結麻は知らなかった。
「…そうだったの…。知らなくて、ごめん。」
真樹は、険しい顔を途端に崩して、結麻を見た。
「結麻ちゃんは悪くない!大人が悪いの、巫女巫女って、そんなふうに利害ばっかり考えているから、最近は神様が見えない子が増えてるんじゃないかって私、思うの。神様は、そんなふうなの一番嫌うって本で読んだよ。だから、大人が悪いと思う!」
真樹は賢い。
結麻は、のんびりとしていた自分を恥じた。
もちろん、前世の自分をもっと早くに思い出していたのなら、もっと上手く立ち回ったのかも知れない。
が、その記憶のない結麻は、本当に子供で何も学んでいなかった。
巫女であった母の恩恵で、豊かな生活を送れていたのにも関わらず…。
二人は、それからは黙って、学校の裏山まで人目を避けるように歩いて行ったのだった。
裏山に着くと、結麻と真樹は自然と手をしっかりと繋ぎ、空を見上げた。
真っ青な空は、確かに神様が居るのだと思わせるのに充分なほどに澄んで美しいと結麻は思った。
こうして見ると、ここは気が潤沢でしかも清々しい感じがする。
こんなことは、前世でも感じたことはなく、恐らくこの今の体に備わった能力なのだと結麻は思った。
そして、手元の真樹にもらった甘酒のキャップを真樹に取ってもらうと、結麻はそれを一気に飲み干した。
そして、言った。
「神様!神様、どうか話だけでも聞いてください!このままじゃ、家族もみんなも変になってしまいます!」
しばらく、沈黙。
結麻は、真樹と顔を見合わせた。
「…結麻ちゃんが死んじゃうと思ってるんじゃない?」と、結麻の懐から竹の皮で包まれたおむすびを取り出した。「これもあるって言ったら?」
結麻は、頷いてまた言った。
「神様、おむすびも持って来ましたし、甘酒も飲みました!少しぐらいなら大丈夫です、お願いですから話を聞いてください!」
すると、ふっと風が吹いて来たかと思うと、空中にあの時見た、白髪の顔が若い男が、突然に現れた。
「…なんでぇ。さっさと済ましな、オレは人の子を殺したくねぇ。」
結麻は、途端に胃の辺りがキュウッとなるのを感じた。
が、おむすびを口に突っ込んで咀嚼しながら、もごもごと言った。
「神様、私、太ります!だから、時間をくれませんか?真樹ちゃんに教えてもらって、倒れないように体力をつけて太りますから!」
神は、めんどくさそうに言った。
「…えー?太るたってお前、そんな鶏ガラみたいな体してよ。」
だが、隣りの真樹が言った。
「神様、大人が悪いんです!」え、と神も結麻も驚いた顔をした。「このままじゃ結麻ちゃん、みんなに村八分にされてしまいます!神様もそんな事は望んでおられないでしょう?!」
結麻は、真樹の視線をまじまじと見た。
その視線は、しっかりと神の姿を捉えているように見える。
「え、真樹ちゃん、見えるの?!」
結麻が言うと、真樹は頷く。
「見える。なんでだか分からないけど、はっきり見えてる。薄っすら紫っぽいような色の白い髪の男の人。」
紫っぽい?
結麻は、目を凝らして神を見た。
言われてみたら、白髪だと思っていたが、確かに薄っすらと光るように紫っぽい色が混じっている。
…見えてるじゃん。
結麻は、驚き過ぎて声が出なかった。