準備
結麻は、旅行が楽しみなあまり毎日上の空で過ごしていた。
大聖は準備のために忙し過ぎて、それどころではないようだったが、結麻は巫女の仕事を美智子と共に三奈に教えながら、おっとりと過ごしていた。
密かに準備していた、花入り和紙の構想は部屋の文箱に収めて、今は退役神主の里へ行くことばかりを考えていた。
三奈は元気過ぎて少々こちらが疲れてしまうこともあったが、しかし悪気はないようなので、元気で良いなと結麻は前向きに対応していた。
相変わらず結麻を女神かというほど崇拝しているようだったが、それも段々と落ち着いて来ていた。
ある日の夕食時、大聖は遅れてふらふらと居間へと入って来た。
「大聖、お疲れ…、」
結麻が言おうとすると、三奈が勢い良く立ち上がって大聖に寄って行き、その手を取った。
「大聖さん、お疲れ様です!ふらふらじゃないですか。さあ、こちらへ。座ってください。」
大聖は、その手をソッと避けると、言った。
「誰かに手を貸してもらう程じゃない。大丈夫だ。」
大聖はそう言うと、席に座った。
三奈は、頬を膨らませて拗ねた顔をした。
「誰かの手を借りるのも時には必要なんですよ?何でも一人でやってたら、疲れ切ってしまいますから。何か手伝えることがあったら、何でも言ってください。」
聖と美智子が、そんな二人を黙って見ている。
大聖は、答えた。
「何もない。もう終わった。」と、結麻を見た。「結麻、準備が整ったぞ。日程は明後日から、退役神主の里へ向けて10日の日程だ。お前も、着物の準備は終わったか。」
結麻は、頷いた。
「ええ。美智子さんに手伝ってもらって、もう終わったわ。ありがとう、とっても楽しみよ。」
大聖は、頷いた。
「伊津岐様の命じられたことだからな。オレも、父さんに仕事を押し付けて行くから少しでも終わらせておかねばといろいろ忙しかった。」
聖は、そこで口を開いた。
「三奈、座りなさい。」三奈は、仕方なく結麻の隣りに座った。「聞いた時には驚いたが、気を付けて行くがいい。父さんには先に知らせを送ってある。噂の巫女に会えると、喜んでいたよ。」
美智子は、微笑んだ。
「お父様には、もう長くお会いしていませんわ。一度こちらにも遊びに来て欲しいと伝えておいてね。」
結麻は、頷く。
「はい。伝えておきます。」
とはいえどんな人なんだろう。
結麻は、ワクワクしていた。
三奈が、恨めしげに結麻を見た。
「私も行きたいって伊津岐様にお願いしたのに、お前はまだ見習いだから駄目だって、いくら頼んでもお許しくださらないんですぅ。結麻さんから、頼んでもらえませんか?」
え、と結麻が驚いた顔をしていると、大聖が言った。
「伊津岐様が駄目だと言っていらっしゃるのに。それでなくとも、本来三之宮へ行くのに、ここに滞在を許してくださったのだ。無理を言うんじゃない。」
しかし、三奈は食い下がった。
「それも、結麻さんが取り成してくださって許されたんですもん。きっと、結麻さんが言ってくださったら伊津岐様は聞いてくださると思います!」
結麻は、困ったように言った。
「…私も初めて外に出るのよ。何かあっても責任は取れないし、あなたは三之宮の巫女だから。志伊様にお仕えしている身なんだし、許可は志伊様から戴かないと…。」
三奈は、また頬を膨らませた。
「でも、伊津岐様が一番偉いのに!伊津岐様がいいって言ってくださったら、きっと大丈夫ですもの。」
困ったわね…。
結麻が思っていると、聖が言った。
「…履き違えてはならないぞ、三奈。今結麻が言ったように、君は三之宮の巫女であり、まだ見習いだ。そして、仕えているのは志伊様。伊津岐様ではない。そこの意識をしっかりせねばならない。分かったな。」
三奈は、しゅんと下を向いた。
「はぁい…。」
まだ、子供なんだな。
結麻は、それを見て思った。
きっと自分も、こんなふうだったのだろう。
結麻は、三奈も早く巫女らしくなってくれることを願い、自分は明後日からの、旅行に胸を躍らせていた。
疲れ切っている大聖は休ませて、三奈と共に後片付けを始めた。
三奈は、結麻が洗った食器を拭いて、脇に重ねて行く。
その作業を見ながら、三奈は言った。
「結麻さん、良いなあ、旅行。私、東之国に小さな頃お父さんとお母さんに連れて行ってもらったきりなんです。行きたかったなあ。」
結麻は、苦笑した。
「あなたもいつか行けるわよ。私は、父の仕事が忙しくて、旅行自体が初めてなの。東之国へ行ったことがあるなんて、羨ましいわ。」
三奈は、答えた。
「それも小さな頃だから、うろ覚えなんです。だから、行ってないのと同じですよぉ。結麻さんと旅行、きっと楽しいのに。」と、三奈は声を小さくして、言った。「…それとも、私はお邪魔になるとか?大聖さん、とってもかっこいいですもんね。お二人は、そういう仲ですか?」
結麻は、仰天して皿を落としそうになった。
が、すぐに立て直して答えた。
「え、ないない!私達、学校でもクラスが同じで。幼馴染なのよ。両親達も友達同士だしね。ずっといろいろ一緒にやって来たけど、お互いそんな風に思ったことなんて一度もないわ。」
三奈は、嬉しそうに笑った。
「なぁんだ、良かった!」え、と三奈を見ると、三奈は続けた。「大聖さん、すっごくタイプなんですぅ!一目惚れ?みたいな。まだ婚約もしていないし、巫女なら伊津岐様も選んでくれそうだなって。結麻さんがライバルだったら無理だなって思ってたけど、だったら良かった!頑張っちゃいますよぉ。これでも学校ではモテる方だったんです。フフ。」
…大聖ったらモテるなあ。
結麻は、思った。
が、こう言ってはなんだが大聖のタイプではない気がする。
何しろ大聖は気難しくて、時々何を考えているのか分からないのだ。
が、顔だけなら結麻もタイプだ。
あくまでも、顔だけなら。
「…大聖って、モテるからなあ。」結麻は言った。「もし、本気で好きなら、頑張って巫女のやるべき事をマスターした方がいいよ?ほんと、厳しいの。怠けるとか大嫌いで、めっちゃ怖い顔する。だから、大聖に好かれて候補に挙げてもらって、伊津岐様に選んで欲しかったらやるべき事を完璧にしないと駄目だよ。あの子、マジで難しいからね。」
結麻は真剣にアドバイスしたつもりだったが、三奈は深く考えていないのか、軽く答えた。
「はーい。分かってますぅ。」
ほんとに分かってるのかな。
結麻は、内心ハラハラだった。
何しろ真樹も、大聖への想いのせいで暴走して、あんなことになったのだ。
こんなあっけらかんとした子があんなふうになるとは思えないが、二度と誰かが犠牲になるのは嫌だった。
結麻はため息をついて、一応旅行中に大聖の三奈の印象を聞いておいてあげよう、と思ったのだった。
片付けを終えて、部屋の前で三奈と別れた結麻は、部屋へ入って最終確認をした。
そして、ふと机の中から、真樹にもらったあの、石を取り出した。
「…真樹ちゃん。」
結麻は、その何の変哲もない丸石を見つめた。
真樹は、これにまつわる思い出を心の拠り所にして、生きていたのだ。
その後、大聖への想いがそれに取って変わった後も、これを手放さずに側に置いていた。
きっと、真樹の中では理想の家族というのが、その旅行の時の思い出だったのだろう。
「真樹ちゃん、私、やっと夢の一つが叶うよ。全国回るのは無理かもだけど、これが最初の一歩なんだ。一緒に行こうね。」
結麻はそう言うと、その石をそっと荷物の中に入れた。
…真樹ちゃんと一緒に行こう。
結麻は、それを旅行中自分の近くに置いておこう、と心に決めていた。
本来なら、真樹も一緒に成長し、今頃、一緒に旅行の話に楽しく花を咲かせていたかも知れないのだ。
結麻は、真樹を思いながら、その夜は眠りについたのだった。




