目覚め
「結麻!おい、結麻!」
耳元で、大きな大聖の声が聴こえる。
結麻は、その声にスッと目を開いた。
「…大聖?」
うるさい。
結麻が思って顔をしかめると、大聖はホッとしたように盛大に息をついた。
「良かった…お前、黒い霧が晴れてやっと見つけた時には、倒れて意識がないし。父さん達を呼ぼうにも、伊津岐様の強靭な結界があって入って来れないんだ。」
結麻は、体を起こした。
「…倒れて?なんで?」
大聖は、むっつりと答えた。
「オレが聞きたいよ。」と、結麻の向こう側の床を見た。「…真樹は…今しがた、息が止まった。」
え。
結麻は、慌てて振り返った。
結麻の横では、真樹がもう、きちんと人の姿のままで、そこに横たわっていた。
しかも、口元には薄っすらと笑みが浮かんでいる。
結麻は、その真樹の肩を掴んで、揺さぶった。
「真樹ちゃん!真樹ちゃん目を開けて!」と、溢れて来る涙で目の前が霞んで行くのを感じた。「真樹ちゃん…!そんな、嫌だよ…!」
あれは、本当のことだったんだ。
結麻は、思った。
夢の中で話していたのは、間違いなく真樹だった。
真樹が、天へと昇って行く前に、結麻と話してくれたのだ。
「大聖…!真樹ちゃんが、私の穢れを持って行ってくれるって…!」
大聖は、難しい顔をしてたが、頷いた。
「…そうか。」と、ため息をついた。「いくら何でも、あんな穢れの化け物中へ突っ込んで行ったら、穢れを受ける。倒れたお前は、もう死ぬだろうと思うほど真っ黒になりかけてて、もう駄目かと思ったが、急にスーッと白くなっていった。その横で、真樹が息を引き取ったんだ。真樹は、最後に巫女としての仕事をしたんだよ。巫女は、穢れを自らの命に封じ込めて、それを持って黄泉へと向かうのも、責務なんだ。黄泉は強力な浄化作用がある場所と聞いてる。」
巫女ってそんなことまでするんだ…。
結麻は、嗚咽を漏らしながら、そう思った。
真樹は、最後に本当の巫女になったのだ。
その穢れを胸に、結麻の分まで肩代わりして、逝った。
…最後まで、面倒掛けてごめん。
ふと気が付くと、自分の手の中には真樹が常に持ち歩いていた、何の変哲もない小さな丸い石が握られていた。
…真樹ちゃんが、くれた…。
結麻は、伊津岐の結界がなくなった後も、そこでひたすら泣き続けたのだった。
真樹が去った後、境内は再び開放された。
外で何事かと待っていた人々に混じって、待っていた氏子総代達が拝殿へと押し寄せる中、聖は一之宮神主として、伊津岐の言葉をそのままに伝えた。
…多くの人々の穢れが集まり、凝り固まった物が妖と変じ、巫女の真樹がそれを浄化するため、それを命の中に抱えて黄泉へと渡った。
氏子総代達はそれを恭しく、恐れながら聞き、そうしてそれを、それぞれの村の人々へと伝えた。
真樹の亡き骸は、森にある殉職した巫女達の墓へと運ばれ、丁重に葬られた。
結麻はずっと泣いてばかりで、何も考える事ができなかった。
やっと太って来ていた体は、また体重を落としてしまい、見る影もない。
美智子も結花も案じていたが、しかしどんな慰めの言葉も今の結麻には伝わらず、結麻は毎日巫女の墓へと赴いて、ボーッとしていることが多くなった。
この墓碑には、真樹の、真新しい名の横に、程子という名が一つだけ、刻んであった。
何と読むのか、結麻にも分からなかったが、大聖が話してくれた、過去に穢れを抱いて黄泉へ渡った巫女なのだろう。
伊津岐はあれから降りて来ず、聖でさえもたまに声を返してくる程度でしか、接してはいないらしい。
大聖が、結麻を探して巫女の墓へとやって来た。
「…結麻。昼飯だぞ。」
結麻は、頷いた。
「うん。後でおむすび食べる。だから、先に食べてて。」
そう言って、ほとんど食べないくせに。
大聖は、石に刻まれた真樹の名の前で座り込む、結麻の横に座った。
「結麻、もう諦めろ。真樹の評判は、殉職した巫女としてその昔の巫女と同じくすごく上がったぞ?今では北之国の母親も、真那も良い扱いを受けてるみたいだ。全部真樹のお陰だ。」
…真樹ちゃんは死んでしまったのに、今更だわ。
結麻は、思った。
「…人って勝手よね。結局、自分達の幸せの役に立つかどうかで手の平を返して。私の時もそうだった。最初はここに籠められるのが嫌だったけど、その方が嫌な思いをせずに済む。でも、巫女だけ守られて、それって不公平じゃないかなって思う。他にも、傷付いてる女子はいっぱい居るのに。」
大聖は、息をついた。
「…仕方ないさ。社会ってそんなものだろ?」と、立ち上がった。「巫女の仕事、今はオレと母さんが肩代わりしてやってるけど、そろそろ自分でやれよ。真樹にやってもらってたこともあっただろ?お前、無謀なことして真樹に助けてもらったのに、役目を放棄するつもりか?いつまでもボケッとするな。」
そうして、大聖はその場を離れて行った。
…助けてもらわなくても良かった。
結麻は、思ってそれを見送った。
いっそ、真樹と共に行きたかったぐらいだ。
真樹には、もっと幸せになって欲しかったのだ。
…ここを離れたくない。
結麻は、思った。
みんなで食卓を囲むと、どうしても隣りに居ない真樹を思い出してしまうのだ。
だが、お腹は空くので、結麻は脇の木々に吊り下がる、何か分からないが、恐らく食べられる身を食べようと立ち上がった。
すると、何もしていないのに、その木の身がこれでもかと落ちて来て、結麻の頭を襲った。
「痛っ!」結麻は、思わず頭を庇った。「風もないのになんなのよ!」
すると、どこからか声がした。
「食え。」聞き覚えのある声に、結麻は回りを見た。「真樹はもういない。死ぬぞ?」
伊津岐だ。
途端にきゅうとなって来る胃に、結麻は慌ててその実を口に突っ込んだ。
「こんな木の実では無理です、伊津岐様。」
だが、伊津岐の声は答えた。
「それはバターぐらいカロリーがあるから問題ない。」と、目の前に姿を現した。「そこに眠ってる、程子って巫女が見つけてよく食べてた物だ。」
ていしって読むのか。
結麻は、思ってまた、その名に目をやった。
伊津岐は、地面にあぐらをかいて座った。
「…覚えてらっしゃいますか。」
結麻が問うと、伊津岐は頷いた。
「忘れたくても忘れられねぇよ。あれは、オレのせいでもあった。」と、息をついた。「…あの時の穢れは、外から来た。オレの結界は阻んだが、だがその穢れは…呪詛といってな。オレ達にはどうしようもないものだった。呪詛は程子を狙っていて…その穢れ諸共黄泉へと渡った。一瞬のことだった…オレは、人の選択を違えることはできねぇ。どうなるのか先を知っていても、見ているしかねぇんだ。お前が選択の自由を与えて欲しいって言った時、忠告したのはそのためだ。今、巫女を表に出してねぇのは、二度とそんな事が起こらないためだった。が…また起こった。今度は内からな。分かっていながら内に入れていた、オレの選択のミスだ。」
私が、大人の事情がとか無理を言ったから…。
結麻は、下を向いた。
伊津岐は、言った。
「オレには人の子の恋情とか分からねぇ。だが、それが厄介なのは知っている。その昔の穢れも、結局叶わぬ神を想うあまりに、大きな穢れになったからだ。その当時、神はもっと自由で、数ももう少し居たし、皆訪ねて来ては巫女と親しく話していたからな。そして、一般人も巫女と共に、それに通訳させて楽に神と話せたんだ。が、それからは巫女は一般人とは交流を絶ち、婚姻と共に神社を出ることにし、子供を産んだら能力は取り上げることにした。子に継承する能力があれば、そちらに継承させてな。神主の相手は、あちらが提示して来た中から、オレが穢れのあるなしを見て決めている。そうやって予防策を講じても、今回のようなことは起こる。また、オレの見通しの甘さが原因だ。やはり…穢れのある者を、ここへ入れるべきではなかった。」
伊津岐の口調が、何やら硬いものになっている。
結麻は、ひたすらに落ちて来た実を拾っては食べ、拾っては食べを繰り返しながら、その話を聞いていた。




