正直な気持ち
「…結麻ちゃん。」
結麻は、ハッと目を開けた。
何やら広く、ぼんやりとした場所で、結麻は起き上がった。
…寝てた?
結麻は、頭がボーっととして、記憶がまとまらなかった。
「真樹ちゃん…なんかボーっとして。ごめん、なんでここに居るんだっけか。」
真樹は、苦笑した。
「あのね、結麻ちゃん。私、結麻ちゃんが羨ましかったんだ。」
結麻は、驚いたように真樹を見つめた。
「え、私が?ご飯も食べないし、痩せてていつもお母さんに文句言われて、真樹ちゃんに愚痴っているだけの私だよ?」
真樹は、フフと笑った。
「…そんなところもだよ。」と、真樹は、結麻の隣りに、足を投げ出して座った。「結麻ちゃんって、ほんとに物事を深く考えたりしないし、それに、何かあっても嫌なことをすぐに忘れてしまうよね。今朝お母さんと喧嘩した、って言ってたかと思ったら、もうお昼ご飯の時はすっかり忘れてたり。私、そんな所も羨ましかったんだ。楽観的でみんなの心を楽にしてさ。私が最初に結麻ちゃんの側に居たのも…別に、大聖くんなんか関係なく結麻ちゃんが好きだったからだったと思い出したよ。」
結麻は、何やらこそばゆい心地になって、横を向いた。
「そうかなあ…。大聖に言わせたら、ただの単純で怠惰な馬鹿だって事みたいだけど。」
真樹は、結麻を見て言った。
「ねえ結麻ちゃん、お父さんが死んだって、教えてくれてありがとう。」結麻が、驚いた顔をした。そして、その瞬間パアッと記憶が蘇って来る。真樹は続けた。「私ね、お父さんが怖かったんだ。」
結麻は、あの壮絶な真っ黒い塊の中で、真樹の中から流れて来る記憶の中の、真一を思い出した。
真樹の記憶では、まるで鬼のように大きな体で、いつも厳つい顔をして、大きな手を振り上げて、真樹を殴っていた。
真樹は、物心ついた頃から父親の顔色を見ながら、びくびくと毎日を過ごしていた。
しかも、真樹の父親は家で代々続く暮らしの用品店を営んでいたので、幼い頃からずっと傍に居た。
学校へ行くようになるまで、真樹には心を休める暇がなかったのだ。
そして、学校へ行くようになってからも、からかって来る男子のせいで、心に平安はなかった。
そんな毎日の中で、真樹にとって結麻と大聖は、生きて来て初めての、心の平安だった。
二人と共に居ると、父親の顔を忘れていられる。
父親の顔を思い浮かべると、狂いそうなほど体が震えて、叫び出したくなるほどだった。
…死ねばいいのに。
真樹は、いつしかそんな呪いの言葉を心の中で唱え始めた。
死ねばいいのに…お父さんが生きていたら、私はずっと苦しまなきゃならなくなる。
真樹は、ずっと、心の中で暇があればそう唱えて、どうかこの世から、あんな人が居なくなりますように、と寝る前に祈ってさえいた。
そうすると、自分をからかって来る男子達でさえ、父親の顔に見えて来た。
真樹を攻撃して来る人は皆、皆父親なのだ。
真樹にとって、父親とはそんな存在だった。
「…あんなお父さんだったら、私なら神様に変えてくださいって言ってたかな。」結麻は言った。「それか、お母さんに離婚してもらって、他の人と結婚してくれないって頼むの。そうしたら、お父さんが変わるでしょ?きっと、誰が来てもあれよりマシだよ。」
真樹は、プッ、と笑った。
「そんなに簡単に変えられないよ。それに…お母さんの実家は、おじいちゃんにお金を支援してもらってお母さんをこっちに嫁がせたの。だから、お母さんは何を言われても、北之国へ帰ることができなかったんだよ。だから、お母さんが笑ったところなんて、見たことがなかったなあ。きっと、お母さんもお父さんのこと、好きじゃなかったんじゃないかな。」
そうか…そんな事もあるのか。
結麻は、自分の父と母が、愛し合って結婚したと聞いていたし、たまに喧嘩もするがそれは仲が良かったので、そんなものだと思っていたのだ。
だが、真樹の父親の真一が未だに聖と美智子を取られたと恨んでいた事を見ても、真一も美智子を諦めることができずに見合い結婚を強制され、幸福な結婚ではなかったのかもしれない。
真樹は、続けた。
「…私、お父さんが死んだって聞いた瞬間、心の中で何かが弾けたような気がしたんだ。なんだろう…一気に、これまで上から押さえつけられていた重い岩が、一瞬にして砕けて消えて行ったような感じ。もう、私を殴ったり罵ったりする、人は居ないんだって。その時ね、分かったの。私は、お父さんから私を守ってくれる、誰かに傍に居て欲しかったんだって。それを、神主の息子で、いろんなことを知ってる大聖くんに求めていたんだなって…だから、好きだって思ってたけど、そうでもないかも。だって、別に誰か居なくても、お父さんさえ居ないなら、自分で自分を守れるわ。話し掛けようとしてもさっさと逃げて行くような男子なんて、想ってても駄目よね。無駄だと思う。そうしたら、なんだかスッと楽になっちゃった。」
結麻は、清々しい顔でそう言う、真樹の横顔を見つめた。
よく考えたら、真樹がこんなに清々しい顔をしていた時はあっただろうか。
いつも控えめに、何か含みのあるような微笑みを浮かべて、結麻を見ていたような気がする。
それは、心の中の闇を隠していた真樹の、心からではない微笑みだったのだ。
結麻は、言った。
「…真樹ちゃん。何も知らないのに、親友なんて思っててごめん。私、ほんと適当だよね。私にイライラしても仕方がないよ。何言ってんだよって、きっと思ってたんだろうなって思う。」
真樹は、苦笑した。
「もういいよ。私の方が悪いんだから。結麻ちゃんは、そんな風だから良いと思うの。」と、結麻の手を握った。そして、手の中に、いつもなぜか真樹が大切にしている、石を握らせられた。「あげる。結麻ちゃん、ありがとう。私、本当に化け物になっちゃうところだった。ううん、もう化け物だった…伊津岐様なんか、消しちゃおうとしてた。なのに、私を守ってくれたんだね。私、少しも結麻ちゃんに対して、誠実じゃなかったのに。」
結麻は、その手を握り返して、微笑んだ。
「良かった、じゃあおあいこだね。もし私の魂も穢れてたら、一緒に北之国へ行こうよ。私ね、いろいろ旅して回るのが夢だったから、逆に嬉しいかも!真那ちゃんにも会いたいしなあ。でも、この石はいいよ。だって大切な物なんでしょう?」
真樹は、微笑んで首を振った。
「…駄目だよ。だって、もう私、行かなきゃ。だから、それはあげる。もう要らないし。」
結麻は、え、と真樹を見つめた。
「え、行く?行くってどこへ?…一人で?やっぱり私のことは嫌いになった?」
真樹は、苦笑した。
「結麻ちゃんのことは、やっぱり好き。」と、真樹は立ち上がった。「ねえ結麻ちゃん、結麻ちゃんは、大聖くんのこと、好き?」
結麻は、え、と驚いた顔をした。
「え、大聖を?ないない、だってこれまでだって大聖は私のこと偉そうに指示したり怒ったりするんだもの。顔は確かに好みかもだけど、まだ子供だよねー。私はやっぱり、大人の男の人がいいなあ。」
前世は24歳だったものね。
結麻は内心思った。
真樹は、フフフと笑った。
「結麻ちゃんらしいな。でも、すぐにみんな大人になるんだよ。」
と、真樹は、いきなり光り輝いて、スッと浮いた。結麻は、驚いて真樹を追って走った。
「真樹ちゃん!え、どうして飛べるの?!」
真樹は、笑って結麻を見下ろした。
「フフフ、驚いた?だって、私巫女になったの。」結麻が、どういう事だろうと困った顔をする中で、真樹をどんどん浮き上がって行った。「その石、唯一家族で行った旅行の時に、南之国で拾ったものなんだ。とっても楽しかったから、私の大切な思い出。私を忘れないでねって、エゴなんだけどね。」と、息をついた。「大丈夫、結麻ちゃんは穢れてなんかいないよ。私が、全部持ってくからね。ごめんね、結麻ちゃん。先に行ってる。また会おう。」
結麻は、どんどん高く上がって、見えなくなって行く真樹を、大きな声で必死に呼んだ。
「真樹ちゃーん!待って、行かないでー!!」
豆粒ようになった真樹から、小さな声が聴こえた。
「…結麻ちゃん、楽しかったよ!ありがとう!」
そうして、真樹の姿は完全に見えなくなった。
もう、会えないのだと、結麻はなぜか分かった気がした。
そのまま、結麻はまた気を失ったのだった。




