巫女として
結花が、言った。
「…失礼とか、そんなことじゃないわ。あなた、ちょっと神様と話しただけで倒れたじゃないの。だから、あの後神様はこいつじゃ無理だって言って、すぐに帰られたみたい。私には、もう見えないからまた聞きだけど。」
大聖が、頷いて言った。
「お前が倒れたから、座敷へ運べ、気が付いたら家へ帰せって言われてる。ちょっと話したぐらいで気を失うような巫女は要らねぇって仰ってた。」
マジかよ。
結麻は、でもそれならいいかな、とは思っていた。
前世の記憶を取り戻した結麻としては、巫女として神様に仕えてその言葉を誰かに伝えて、そこそこで結婚して家庭に入る、と決められた人生が、何やら面白くなかったのだ。
できたら、この新しい世界のあちこちを、見て回りたかった。
何しろ、この体になってからまだ15年、中一之国から出たこともないのだ。
この世界には飛行機も鉄道も車もないので、他の村へと出ようと思うとかなりの時間が必要だし、お金もかかった。
それを、巫女などになって神社に就職して出られるのは結婚した時だけとなると、とてもじゃないが旅行などできないだろう。
結麻としては、真っ当に就職してお金を貯めて、広い神倭の国を観光して回りたかった。
そんなわけで、神様から適性がないと言われているのなら、その方が良かったのだ。
が、母が言った。
「…あなた、見えるんでしょ?」母は、ずいと結麻に寄って来る。結麻は思わず退いた。母は続けた。「太っていても、見えないとそもそも選ぶこともできないのに、あなたは見えたのよ。それにね、最近では痩せてても見える子が本当に出なかったの。私が結婚してから、巫女と呼ばれる娘がこの宮では一人も出ていなくて、仕方なく神主の聖さん一家が、巫女がするはずのお勤めを肩代わりしてくださっていたんだけど、聖さん達にも他のお仕事があるわ。どうしても、巫女が一人でも居ないと困るの!今からでも遅くはないわ、もっと食べなさい、結麻!」
母は必死だ。
そういえば、母が最近では一之宮最後の巫女だったので、どうしてあんなに早く結婚したんだと、影口を叩かれているのを聞いたことがある。
見える子が居ても、二之宮三之宮へ神様が振り分けてしまい、一之宮を許される巫女が居なかったのだ。
なので、最近では次の巫女が出るまで、巫女の結婚は許さない方向で取り決めをしようという声まで出ていると聞く。
母も、肩身が狭かったのだろう。
その上、自分の娘が巫女としての適性があるのに、神から痩せているから駄目だと言われたと広まったら、それこそもっと責められるかもしれない。
なので、必死なのだ。
回りを見ると、黙ってそんな成り行きを氏子たちが囲んで見ているのに今さらながらに気付いた。
このまま結麻が嫌だと言ったら、そのまま村の皆に広まるだろう。
せっかく父も母も上手くやっているのに、そんなことが広まったら父の仕事すら失ってしまうかもしれなかった。
それほどに、神という存在は、この世界にとって大きなものだったのだ。
大聖の父の、聖が言った。
「…とはいえ、今から食べてどこまで太れるものか。それに、神は一度否と言ったものを、また良いと言うだろうか。今も…ここに居たら自分の姿が見えてまた倒れるからと、お帰りになったまま戻って来られない。本殿にも気配がない。結麻がこちらに居る限り、神は戻られないかもしれない。そうなったら、巫女が居ない以上に困る事になる。やはりあの場で神がお認めにならなかったのだから、結麻には巫女になるのは諦めてもらう方が良いのではないか。」
すると、氏子のうちの一人がボソッと言った。
「…真一さんのところの真樹ちゃんは頑張って食べて体を大きくしてたのにねえ。巫女の血筋だっていうのに、結花さんは何をしていたんだか。もっと食べさせるべきだったんだよ。」
隣りの女性も頷く。
「ほんとにね。巫女の子だからって甘やかして育てたんじゃないのかね。」
それを皮切りに、あちこちでボソボソとそんな話声がし始めた。
結麻は、腹が立ったが何も言い返せなかった。
何しろ、母は口を酸っぱくして、食べろ、成人するまででいいから太れと、小さい頃からずっと言っていたのだ。
幼い頃にはそうしなければと思っていた結麻も、年ごろになって来ると太ってしまうのが嫌で、母が山ほど用意してくれる料理にも、あまり箸を付けずにいたのは事実なのだ。
対して真樹は、おばあちゃんもお母さんも、一生懸命だから私も頑張るんだ、と言って、お弁当も重箱で持って来て食べていた。
誕生日が過ぎて、神が見えないと分かった後は、普通サイズのお弁当箱を持って来ていて、最近は若干、スッキリした顔になりつつあった。
…真樹は、きちんと自分の立場が分かっていたのだ。
結麻が、分かっていなかっただけで。
とはいえ、前世の記憶の大人の自分は、コソコソと陰口を叩く大人たちが、少なからず巫女とそれを娶った一族を、妬んでここぞとばかりに攻撃して来ているのは分かっていた。
なので腹が立つのだが、しかしそんな事態を招いてしまったのは自分の甘さのせいなので、言い返すこともできずに、赤い顔をして黙っていた。
父の大樹が、言った。
「…すみません、確かに私達が甘やかせてしまったせいです。」結麻が、驚いて父を見ると、父は続けた。「巫女としての能力を、生かすことができずに申し訳ありません。結麻は、これで連れて帰ります。神様が、降りて来られなくなると困るので。ご迷惑をお掛けしました。」
「お父さん…。」
結麻は、思わずつぶやく。
母も、黙って悔し気に頭を下げていたが、何も言わなかった。
…私のせいで。
結麻は、罪悪感に駆られながら、皆の批判するような視線を背に受けて、神社の社務所の裏の座敷を出て、家路についた。
神社の境内でも、刺すような視線が結麻たち親子に向けられていたが、それで皆が事情をもう知っているのだと分かって居た堪れなかった。
その中に、案じる真樹の視線があったのにも、気付く余裕もなく結麻は父親に隠されるようにして、馬車へと乗り込んだのだった。
家に帰ると、着替えて風呂に入るように父に言われて、結麻は黙ってそれに従った。
そして、シャワーなどない木枠で作られた家の風呂に浸かり、体を流してから布で体を拭いて、置いてあった簡単な服に着替える。
結麻の前世では、洋服と言われる形に似ていなくもないが、どちらかと言うと作務衣に近いような服で、これは皆が普段着ている形だ。
出掛ける時とかフォーマルな時には帯を締めるような着物を着るが、普段はこれが普通だ。
冬になると、この上にいろいろ綿入れの着物を重ねて、暖を取る形になっていた。
…前世の方が、思えばいろいろおしゃれだったなあ。
結麻は、思った。
髪をタオルなどないので布で拭きながら廊下を歩いていると、居間の方から声が聴こえて来た。
「だからもっと無理にでも食べさせろと言ったのに!」祖母の声が普段では考えられないほど強い調子で言った。「明日からどんな顔をして寄り合いに行けば良いの?隣りのタカちゃんも、東の八重ちゃんも、今年は結麻が15だねぇってそれは毎日楽しみにしてくれてたのに!見えなかったなら仕方がない、でも見えたのに神様に拒絶されたなんて、恥ずかしくてもう外を歩けないよ!」
泣き叫ばんばかりの声に、結麻の足は凍り付いたようにその場に固まる。
…今年15の娘は、5人しかいなかったから。
結麻は、思った。
何しろこの村の人口では、5人でも多い方だ。
真樹、結麻、そしてあと三人が居て、村にとっての巫女を出すチャンスはあと三回。
村から巫女を出すのは皆の悲願で、昔は巫女が不在の場合は外の村から巫女を連れて来ていた。
巫女が居ない村は衰退しやすいと言われていて、不在が長引くのは喜ばしくはなかった。
が、最近では巫女に適性を持つ娘が極端に少なく、周辺の村でもここ十数年は出ていないらしく、代わりに連れて来る事すらできない。
東二之国の巫女などもう四十代で、それでも代わりが居ないので仕方なく独身で頑張っているらしい。
南三之国ではやっと若い巫女がと皆が羨ましく思っていたら、まだ14歳で15になった途端に見えなくなり、その一族は批判に晒されて村から出て行ったらしい。
そんなふうなので、見えた結麻が、痩せていたからと神に却下されたことは、皆の批判の的になるのも仕方がないのだ。
…どうして、食べなかったんだろう。
結麻は、落ち込んだままそっと自分の部屋へと帰って行き、項垂れていた。
祖母の批判の声は、結麻の部屋にまでまだ、聴こえて来ていた。