思い出した
結麻は、この土地一番の大きさを誇る、全ての神社を統括する神社、中津国一之宮へと向かった。
神社には、多くの人々が集まっていて、その中には同級生とその親も居た。
皆、参道の両脇に分かれて結麻が通り過ぎて行くのを眺めている。
もちろん、女子は皆15歳の誕生日を迎えた後の者達ばかりだ。
その中には真樹も居て、鳥居を潜って歩いて行く結麻と目が合い、手を振ってくれた。
結麻は、そんな真樹に微笑んで返し、父に引っ張られるままに拝殿の中へと入って行った。
拝殿の中では、これまた同級生のこの宮の神主の息子、大聖が着物姿で座って神妙な顔をしていた。
そこには、大聖よりも位が高いらしい、白髪のやたらと綺麗な男や、他の歳上の男達が着物姿で座っている。
白髪の男は、最初は年寄りかと思ったが、顔はとても若かった。
…若白髪にしても、真っ白だなあ。
結麻が思っていると、大聖の父親が、笏を手に同じく着物姿で座って待っているのが見える。
回りには、氏子達がやはり神妙な顔で勢揃いして、黙ってこちらを見ていた。
…めっちゃ緊張する。
結麻は、父に手を離されて、一人大聖の父親の前に座らされた。
大聖の父親は、言った。
「では、これより巫女選定の儀を執り行います。」と、拝殿の開いた扉の向こうに見える、本殿に向かった。「始めます。頭を下げて。」
全員が、その場で頭を下げて額づいた。
結麻も急いでそれに倣い、そうして壮大な祝詞が始まった。
それを聞きながら、結麻はおかしな心地だった。
…なんか七五三みたい。
そう思った自分に、結麻は顔をしかめる。
…七五三ってなに?
その問いかけに答えるように、結麻の頭の中にはパーッと何かの記憶が広かった。
…日本という国…今の神倭の国にそっくりで、しかしコンクリート作りの建物が犇めき合い、人は多く煩く金属の車…自動車とか言う物も走り回っていた。
神社はあった…が、皆それを信じていただろうか。
いや、一部の者しか信じては居らず、かくいう自分も信じてなどいなかった。
居るかもしれない、そんな程度だった。
七五三とは、そこで生きていた時にあった、七歳五歳三歳で神社に詣でる風習のことだった。
結麻は、例に漏れずきちんとその時の両親に連れられて着物を着せられ、神社に詣でた。
その後、小学校中学校高校、大学と進んでIT企業に就職し、実家を出て一人暮らしをしながら生活をしていた。
そこで、馬車馬のように働き、深夜まで連日務めていたある日、もうそんな時間に車など走っていないと点滅信号を確認なく足を踏み出し…そして…。
「…ああ!」
結麻は、叫んだ。
頭を下げていた全員が、何事かと結麻を見る。
祝詞を中断された神主が、こちらを振り返って怪訝な顔をした。
「…すみません…。」
結麻は、顔を赤くして下を向いた。
…そうだ、私は死んだ。
あの時、多分死んだのだ。
まだ、24歳ぐらいだったと思う。
そして、恐らく転生したのがここだったのだろう。
パラレルワールドなのか何なのか、よくある乙女ゲームとかそんな物でもない気がする。
が、この有りふれた事故死というシチュエーションから、ふっ飛ばされてこんな所に転生したとしたら辻褄が合う。
…あちゃーめっちゃど田舎だし…というかIT関係ないじゃん。前世の記憶、役に立たねぇー。
結麻は、思っていた。
神主が、咳払いをした。
「えー、中断されましたが、もう見えるならば神がどこに居られるのか見えておるはず。結麻、神はどこに居られますか?」
結麻は、顔を上げておずおずと回りを見回す。
しかし、皆並んで座ってじっとこちらを見ているだけで、変わった様子などない。
結麻は、息をついた。
「…何も。何も見えません。」
…それよりなんだかお腹が空いて来た。
結麻が思っていると、後ろに座っていた、母の大きなため息が聴こえた。
神主が、頷いた。
「では、儀式はこれで終了です。」
すると、大聖の横に座っていた、着物姿の例の若白髪の人が、遠慮なく立ち上がって伸びをした。
「ま、見えなくて正解だよ。こんな細っこい女、見えても話してたら死ぬわ。力が足りねぇもんよー。」
結麻は、ムッとしてその人を見上げた。
「え、細っこいとか死ぬとか。縁起でもないこと言わないで。」
大聖が、仰天した顔をした。
神主も、びっくりしたように結麻を見る。
結麻は、何かおかしなことを言ったか、それともめっちゃ偉い人だったかと、おどおどした。
「え、え、ごめんなさい。」
すると、若白髪の男が言った。
「…お前、オレが見えるのか?声が聴こえてるのか。」
結麻は、いったいそれが何だと思いながら、頷いた。
「は、はい。あの、どうしてあなたが見えたら…」と、ハッとした。「まさかあなた、神様?!」
めっちゃ普通に人みたいに立ってるけど。
相手は、頷いた。
「そう。」と、その場で浮き上がった。「お前らが神って呼ぶのがオレ。」
「えええええ!!」
物理どうなってるのよこの世界!
結麻は、思い出したばかりの記憶からそう思ったが、ふと腹を押えた。
「う!」と、ガクと力が抜けて前へとつんのめり、手をついた。「…なに…?」
後ろから、父の大樹が慌てて飛んで来た。
「結麻!どうした!?」
結麻は、ついていた腕の力も抜けて、その場に転がった。
「結麻!!」
大聖も、慌てて寄って来る。
「どうした、大丈夫か?!」
結麻は、その場に横になりながら、遠ざかって行く意識の中で、言った。
「…お腹…空いた…。」
そのまま、結麻は意識を失った。
そして、何も分からなくなったのだった。
それから、結麻は夢を見た。
長い長い、前世の夢だった。
思えば前世は働き過ぎだったのだ。
この世界では、皆9時5時で必ず終業し、残業という概念がまずない。
なぜなら、家で必ず全員揃って夕食を摂る、というのが、決められた習わしになっているからだ。
遅れる時や、別で食事をすることもできるが、その時は必ず全員が携帯しているお守りに、これこれこんな理由で別に食事を摂りますと、報告しなければならなかった。
昔の記憶ではあり得ないことだったが、ここではそれが完全に守られていた。
なぜなら、本当に神が存在することを、皆が知っているからだ。
神が見える存在が多く、神に逆らうと段々と家が傾いておかしな方向へと人生が向かってしまう。
昔は逆らう者も居たらしいが、そうしたら必ずそれらの姿はいつの間にか消えていた。
神が処理したというよりも、加護から抜けてしまって危険に晒される事になるからだ、と皆は認識していた。
が、結麻はまだこの世界で15年しか生きていないので、詳しいことが分からない。
もっと勉強して、この世界の事を知らねばならないと結麻は記憶を戻して心底思った。
何しろ、知らないことが多過ぎるのだ。
長い夢を見て、目を覚ますと目の前には、心配そうな父の顔と、呆れたような母の顔、そして回りを見ると、大聖やその父親、そして氏子総代などが勢ぞろいして結麻を覗き込んでいた。
「え」結麻は、起き上がろうとした。「あの、私…」
ぐうううう!と、盛大に腹が鳴る。
呆れた顔のままの母が、目の前に塩むすびが三つ乗った皿を差し出した。
結麻は、それを見ていつもなら海苔も欲しいと思うところだが、そんな事を考える暇もなく、塩むすびを手にしてガツガツと口へと押し込んだ。
「ほら、喉詰めるわよ。」母が、お茶の入った湯飲みを差し出した。「ちゃんと休憩しながら食べなさい。」
だが、結麻は湯飲みには目もくれずに塩むすびを頬張り続けた。
大聖が、息をついて小声で言った。
「…豚かよ。」
結麻は、それを耳にしてチラと大聖を睨んだが、それどころではない。
大聖の父が、言った。
「あー、まあ食べながらでもいい。」と、結麻がもぐもぐと咀嚼しながら見るのを見返して、続けた。「君は巫女の資格があることが分かった。が、神に言わせると、このままじゃ死ぬということらしい。」
結麻が、え、とさすがに目を丸くして塩むすびを口に押し込む手を止めた。
「…絶対死ぬ、ってことですか?」
そう言ったつもりだったが、口に米粒が入っているのでもごもごとくぐもった声になる。
母の結花が聞き取ったらしく、言った。
「絶対じゃないの。巫女として神様に接していたら死ぬってだけで。何しろ巫女って言っても、私達は人。だから、神様と話したり見たりする時に、少なからずエネルギーを消費してしまうの。私が太っていたのも、だからなのよ。毎回、神様と一時間ぐらい話していたら、せっかく増やした体重が五、六キロ減ってしまってたものよ。だから、またすぐに増やさなきゃならなかったの。」
だから巫女って太ってたのか。
結麻が、驚いて聞いていると、大聖の父は言った。
「巫女は神が見えるから選ばれるというよりは、神が見えてそれを神が許してこそ巫女となれるのだ。結花さんの時は、充分に体重もあったし神が見えていたし、これから巫女としてやれると許してくださったので、巫女となった。」
結麻は、目を丸くした。
では、太っているから神が見えるわけでも、神が見えるから巫女になれるわけでもない。
見えても、神が否と言ったらアウトなのだ。
「私…神様に失礼なことを言いました。だから、もしかしたら巫女にはなれない?」
大聖の父と結花は、顔を見合わせる。
結麻は、どうせなれるはずなどないと思っていたことだったが、しかし見えたのに失礼な奴だったから否とかなったらおばあちゃんが何と言うだろうと、そんなことを考えていたのだった。