動向
咲也は、鳥居の前で所長の春樹に解散と告げられて、急いで自分の家へと戻って来た。
咲也の家は、代々役所に勤めていてそれなりの大きさがある目立つ建物だ。
本来正月はここで、家族揃って正月を迎えるのだが、今年は咲也だけは役所へと呼び出されてしまったので、大晦日から正装の着物を出して大騒ぎで、年越しの宴会には参加できなかった。
が、親戚達はここに集まり、先に酒を飲んで騒いでいるようだった。
この家の主が帰還したので、急いで皆出て来て、咲也を迎えた。
「おかえりなさい、咲也さん。」妻の、岬が言う。「みんな待っていたのよ?神様に直接お会いするなんて、なかなかない機会だから、真っ先に呼ばれた咲也さんのお話を聞きたいって。」
だが、咲也は首を振った。
「変わったことは何も。何しろ神のお顔も見ることができないから、いらっしゃるのだろうなと思いながら、御神酒を戴いて戻っただけだった。忠臣は神気に当てられて、具合が悪くなったがそれぐらいで。」
岬は、口を押さえた。
「まあ、忠臣さんが?大変、あちらにお見舞いを送らなきゃ。千夏さんが心配してるはずだわ。」
千夏とは、忠臣の妻だ。
咲也は、頷いた。
「そうしてやるといい。」と、皆を見た。「皆は、ゆっくり楽しんでくれ。気の張る仕事で疲れたから、今夜は寝るよ。明日の朝に。」
親戚達は、話を聞きたいようだったが、咲也の立場はここでは一番上だ。
なので、誰も文句は言わなかった。
咲也は急いで自分の部屋へと戻ると、家政婦の一人が慌ててついて来て着替えを手伝おうとした。
だが、咲也は首を振った。
「勝手にやる。もう一人にしてくれ。」
家政婦は、驚いた顔をしたが、頭を下げて出て行った。
咲也は、やっと部屋に一人になって、正装の真っ白な着物を脱ぎ捨てた。
そして、さっき酒に口をつけた時激痛が走った唇を、鏡で見る。
そこは、特に何の変化もなかったが、しかしまだヒリヒリしているように思った。
…酒が沁みるなど。
咲也は、鏡を見ながら息をついた。
数年前に、最後に参拝した時には、問題なく御神酒を口にした。
それなのに、今夜は全く口に含むことすらできなかった。
…どういうことだ…?
咲也は、考えた。
神の酒は浄化の作用があると言われていて、それを飲めば体のうちの穢れを全て祓ってくれると聞いている。
それを、口に含むことすらできないとは、いったいどういうことなのだろう。
咲也は、鏡に映る自分をじっと見つめた。
…神の酒が毒になるのは、穢れだけ。
穢れは、悪行を思い浮かべただけでも被るのだという。
だが、思い浮かべただけならすぐに消えてしまうが、実際に実行するとその穢れは己で祓うのは困難なほどに強く、深く浸潤してしまうのだという。
…あの能力者の男は、忠臣にまだ助かる、と言った。
咲也は、思った。
忠臣は、自分が外の奴らとの儲け話の実現に、一役かった男だった。
が、忠臣自身はそこまで深くは関わっていない。
ただ、自分の担当の部署で取り扱うことに関して、いろいろ便宜を図ったり、またこちらが求めた情報を集めたりして、それをこちらへ流して報酬を得ていただけだ。
実際に、それをどういう目的でしているのか、忠臣は知らなかった。
忠臣の部署に、大樹が居るので、あの金のなる木の結麻の、絵姿を手に入れたのも忠臣だった。
忠臣から圧力を掛けて、その絵姿を提示させたのだ。
実際、それを結麻で金儲けをしようと画策する、多くの奴らに売ったのは咲也だった。
いろいろ便宜を図ることで、そいつらの利益の一部をこちらへ流させていたからだった。
つまりは、大聖が立てた旅程も、全部咲也が皆に提供していた。
結麻は、咲也にとっても面倒な巫女だった。
何故なら、大樹がその父親で、元々優秀だったのもあるが、その上で巫女である娘が世に、次々と価値のあるものを提供し始めたので、さらに株が上がって、春樹からの心象も良く、課長の次は、部長を飛ばして自分の右腕にしようか、と言い出していたからだ。
そうなると、咲也は立場が変わり、今のような贅沢も、外に居る奴らに便宜を図ることもできなくなる。
次長を二人にするだけだから、いいように使えばいいと春樹は言っていたが、あの、生来の善良な大樹が、処理を始めたら思うようにはならなくなるだろう。
役に立たなくなった自分は、恐らく事が漏れるのを恐れた外の奴らに、消される。
そうなったら何もかも終わりなので、結麻が上手く消えてくれたら、その大樹の昇進の話も立ち消えると思ったのだ。
が、結麻は無事に帰って来た。
あちこちで襲撃には合ったようだが、巫女の能力も失わないまま、無事に戻って来たのだ。
そして、突然に役所の職員から全ての民に、神に対面させると神社が言い出した。
しかも、全国的にだ。
…何かバレたのか。
咲也は、思った。
が、神社での参拝は、案外にあっさりと終わり、安堵したのも束の間、忠臣は酒を飲んで倒れ、自分はその酒に口をつけることすらできなかった。
…神には、自分が穢れて見えたのだろうか。
咲也は、思った。
そして、忠臣を助けたらしいあの南の能力者の男は、自分を見たのだろうか。
あの時、自分が穢れているのかいないのか、あの男に聞けば良かったのか。
だが、それでどうしようもなく穢れていて、酒も飲めないと見透かされたら、どうなっていたのだろう。
咲也は、頭を抱えた。
もし、穢れているのなら、忠臣と同じように、無理をしてでも酒を飲むべきなのか。
それとも自分は、もうそれでは救えないほどに、穢れてでもいるのだろうか。
咲也は、穢れていたらどうなるのだろうと、考えた。
…生活は普通に過ぎる。
何しろ、回りに能力者など皆無で、誰一人そんなものを見られる人など居ない。
春樹は、自分がやっていることに気付いていない。
役所の誰も、今はそれに気付いていないのだから、証拠を隠滅して、とにかくしばらく普通に過ごしていたなら、このまま変わらず暮らせる。
御神酒を飲めないのは、誰にも気取られない。
それを飲めと、皆の前で強要されない限り。
…そうだ、何を心配していたのだろう。
このまま、とにかく綺麗サッパリ証拠を消して…。
…しかし、忠臣は情報を集めさせられたことを知っている。
まさか、穢れを祓われてその罪悪感に囚われて、皆にそれを打ち明けたりしないだろうな。
咲也は、目を鋭くして立ち上がった。
…あいつらに、処理を頼むか。
咲也は思った。
そして、素早く着物を作務衣に着替えると、その上に黒い着物を羽織り、まだ騒がしい屋敷の裏から、誰にも気取られずに下町へと向かった。
そこで、あいつらに今回のことを話して、しばらくおとなしくしていろ、と言おう。
咲也は思った。
そして、忠臣が神にほだされて皆の情報を流すかもしれないと脅し、あいつらに忠臣を処分させよう。
咲也は、息が視界を白く曇らせる中、足を速めた。
月灯りがそれを照らしていたが、その影が、長く伸びてまるで崩れた泥塊のようになっているのには、本人は全く気付いていなかった。
周辺で飼われている犬達が、咲也が近付くと一斉に吠え立ててうるさい。
犬達には、見えているのだ。
そして、その臭いに気付いているのだろう。
そう、唇も、肉の身は何もなかったが、命のレベルではただれて崩れ始めていて、神や能力者の目から見たら、とても直視できないような様になってしまっているのを、咲也はまだ知らなかった。
腐臭と崩れた命の欠片は、夜道に点々と、その痕跡を残していた。




