何も知らない
結麻は、いや結は、ふと目を覚ました。
純和風の部屋…しかも、結構な価値がありそうな、年代物の部屋だ。
脇から、そこそこ若い女性が顔を覗かせた。
「…結麻…結さん?」え、とその女性を見つめると、女性は続けた。「私は大聖の母の美智子よ。」
大聖さんの母親…?!
にしては、若い。
結は、驚いて身を起こそうとした。
「え、大聖さんのお母さんですか?でもとてもお若いのに…。」
美智子は、苦笑した。
「私は19の時に大聖を生んでいるから。」と、結にお粥の入った器を差し出した。「食べて。お腹が空いて倒れたみたい。まだふらふらするでしょ?」
言われてみたら、ふらふらする。
結は、躊躇いがちにそのお粥に口をつけた。
優しい味がして、途端に胃の方から力が湧いて来る気がする。
結は、夢中になってお粥を完食した。
美智子は、言った。
「…御事情は聞きました。あの、結さん、あなたは結麻さんとしてここに住んでいたのよ。私とも大聖とも、この三年間ここで共に暮らして来たの。ここは、中津国一之宮という、神社でね。あなたは15歳の時に選定された、巫女だったのよ。」
巫女…。
その言葉には、覚えがあるような気がする。
結は、お粥のおかわりをもらいながら、言った。
「…では、その結麻の記憶はどうなったのでしょう。私は今、結の記憶しかなくて。あの…ほんとについ昨日まで、普通に仕事をして生活していたんです。呪術とか、趣味だったんです。それを実際に使ったりはできない世界でしたけど、とても興味があって。さっきまで、これは夢だと思っていました。でも、目覚めてもやっぱり、その世界で…。」
美智子は、頷いた。
「そうね。そのハッキリとした記憶が必要だったの。私も詳しいことは聞かされていないんだけど…みんな、とても困っていて。この世界の危機だったんだと聞いたわ。結麻さんは、それを見てこの世界での記憶が犠牲になるかもと知っていたのに、無理矢理に結さんの記憶を引っ張り出して欲しいと神様に頼んだみたい。だから…結麻さんの記憶は、今結さんには無いの。」
結は、結麻は必死にこの世界を守ろうとしたのだとそれで知った。
きっと、結麻にとって自分よりもこの世界が何より大切だったのだろう。
「でも…本当に何も覚えていなくて。申し訳ありません。」
美智子は、首を振った。
「そんな、謝らないで。あなたのお陰で全て終わったのだと大聖は言っていたわ。でも…この世界の巫女はね、神様を見ることができるけど、そうしたら体の力を消費してしまってね。つまり、太っていないとすぐに倒れてしまうの。あなたは…いえ結麻さんは、ここを出る前にたくさん食べて蓄えて行っていたけど、使い切ってしまって倒れたみたい。だから、しっかり食べないと。お粥でお腹が落ち着いたら、おむすびを食べましょう。ほら、たくさん作って来ているのよ?そうしたら、また神様を見たり話したりしても倒れないわ。」
つまりは、結麻は太ろうと努力していたのだ。
結は、息をついた。
「…食べるのは嫌いじゃないんですけど、一度にそんなに食べられなくて。でも、頑張ります。この体なら、きっと食べられるのでしょうから。」
結麻が、頑張っていたことなのだ。
結は、お粥を食べ切ってから、おむすびにも手を伸ばした。
だが、やはりそんなにガツガツとは、食べられなかったのだった。
本殿には、聖と大聖が居た。
伊津岐と伊知加がそこに居たからだ。
伊津岐はまだ眠っていたが、危険な様子は全くなかった。
聖が、言った。
「…ということは、残りの二人を始末しないことには、安心できないのですね。」
瀧が、答えた。
「いや、問題ない。また同じ術を知っていて放とうにも、結麻が呪詛返しをして来るのは分かったはずだからな。怖くてできねぇだろうよ。それより、その知識をあちこちに触れ回られたら困るってだけだ。他にも厄介な術があって、それを使おうとするかもしれねぇしな。結麻から盾の呪文は教わってたが、あんな大きな術には対応が間に合わねぇ。咄嗟に襲われたら、マジであれじゃあ無理だ。困ったもんだよ。」
大聖が、言った。
「結麻も、呪文が長いので一瞬で唱えられるか?と聞いていたぐらいでしたしね。単発の攻撃型の術を避けるのには良いかもしれません。」
聖が、頷いた。
「とはいえ、そんなに多くを知り得たとは思えませぬが。聞いたところ、その二人はあの術に関わっていなかったのでしょう。ならば、他の術も目につかないようにされていたのでは。」
しかし、瀧は言った。
「あの殺された来斗ってやつは、愚かだった。あいつは自分が術を知っていることをひけらかしたくて仕方なくて、オレ達にさえ見せてたぐらいだ。ってことは、オレが思うに、仲間内じゃあお互いに共有していたかもしれねぇぞ?ああいつ奴は、おだてたらいくらでも話す。オレもあっちで生活してた時に経験あるがな。」
そうやって、情報を集めていたのだろう。
聖は、言った。
「ところで伊知加様、あの土地の件でありますが、初生に言って名義をきちんと元に戻させておきました。役人に調べさせたところ、不正に改ざんされたことが発覚したそうで、すぐに伊知加様名義に戻させましたので。権利書は、初生が持っています。相良という男と、良子という女は働き者なので、神社で畑仕事などを任せているそうです。今のところ、面倒は起きておりませんし、刺客らしき者も見掛けてはおらぬということ。ちなみに吉ですが、焼けた畑の真ん中で、死んで見つかりました。複数の刺し傷があり、恐らく何者かに始末されていたそうです。」
瀧は、頷いた。
「…そうか。まあ、そうなるだろうなと思いながら、置いて来たんでぇ。それで、役人の精査は年明けか?もう、あと数日で正月だな。」
聖は、息をついて頷いた。
「は。こちらはそれどころではなかったので、とりあえず準備は進めておりましたが、まだ下調べはできておらず。伊津岐様がお目覚めにならぬと、こちらでの精査は伊知加様にお頼みすることになるかと…。」
瀧は、頷いた。
「それはいい、慣れてるしな。こいつはサボりたい時オレに丸投げする奴だったからよぉ。前のオレなら無理だと言うところだが、伊知加の記憶があるからな。そこは心配すんな。」
すると、下から声がした。
「…サボりたいとはなんだ。」三人が振り返ると、伊津岐が目を開いていた。「全部聞こえてるっての。ちょっと魔法陣に取られた力が体に戻って馴染むのに、時間が掛かってただけでぇ。」
「伊津岐様!」
大聖と聖が、声を上げる。
伊津岐は、体を起こした。
「なんだよ、人が寝てるのに耳元であれこれ言いやがって、ゆっくり寝てられねぇわ。」
伊知加が、フンと鼻を鳴らした。
「意識があるならさっさと目覚めろ。こっちは大変だったんだぞ?全部聞いてたのか。」
伊津岐は、頷いた。
「お前から離れて人型取ったところまでは起きようと思ってたんだけどよ、眠くて仕方ないし目を開けるのは力が満ちてからにしようって思ったんでぇ。」
聖が、言った。
「先ほどまで志伊様と伊波様がいらっしゃいましたのに。では、今からお呼びして…、」
「待て!」伊津岐は言った。「あいつらこそキャンキャンうるせぇの!だから目を開くのを遅らせたんだよ。また後から訪ねる。だから今は勘弁してくれ。」
瀧は、言った。
「お前な、じゃあ全部直後から聞いてたんだろうがよ。結麻が…記憶を犠牲にして結の記憶を引っ張り出しやがった。今は完全に結だと大聖が言ってる。」
大聖は、頷いた。
「オレに、どなたですかって聞きました。今頃お母さんが、いろいろ話してくれてると思うんですけど。力を失って倒れたから…贅肉、足りなかったみたいです。」
伊津岐は、息をついた。
「…あいつも頑固だからな…伊知加とよく似てるよほんと。だが、そのお陰でオレ達は助かったんだろ?文句を言う筋合いじゃねぇ。」
瀧は、視線を下へ向ける。
その通りだが、納得が行かないようだ。
伊津岐は、言った。
「…とはいえ、いくら結でも礼の一つも言ってねぇのは道理に反するな。覚えてなくてもよ。あいつが回復したら、ここへ呼びな。話がしたい。」
聖は、頭を下げた。
「は。仰せの通りに。」
そうして、聖と大聖は本殿を後にした。
伊津岐と伊知加は、並んでまた、何かを話していたのだった。




