結と結麻
「…伊津岐様は!?」
聖矢が、息を上げながら飛んで来た。
すると、巽が言った。
「…伊津岐様は伊知加様と共に取り込まれようとしている。」
そして、目を閉じて浮く結麻が、清輪の前に居るのが目に入った。
「結麻?!今の今まで一之宮に居たのに。」
「お祖父様!」
後ろから、大聖の声が追いかけて来る。
「結麻が!結麻が清輪様にお話しがと…!」
大聖は、ハッとした顔をする。
結麻は、清輪に浮かされたまま、目を閉じていたのだ。
…清輪様にお頼みしたのか…!
大聖は、清輪ならやる、と思った。
結麻の人格記憶云々よりも、今を何とかせねばならないと、そちらを優先するだろうからだ。
清輪は、翳していた手を下ろした。
「…結。答えよ。」
結麻は、ゆっくりと目を開いた。
「…え?ここは…?」
清輪は、答えた。
「結か。」
結麻は、頷いた。
「はい。」と、自分が空の上に浮いているのを見て、ギョッとした顔をした。「え、え、落ちる!」
清輪は、首を振った。
「我が浮かせておるから、絶対に落ちぬ。時間がない、主が最後に読んだ本、その内容は覚えておるか?」
結は、戸惑う顔をした。
「え、あの、何の本でしょうか。」
聖矢が、言った。
「呪詛・呪術大全ぞ!書き写したな?」
結麻は、それこそ慌てた顔をした。
「は、はい!でも、あれはお遊びで…、」
「その知識が必要ぞ!覚えておるか?!」
清輪が強く言うのに、結は思わず背筋を伸ばした。
「はい!ほんの昨日まで読んで徹夜していたぐらいですから!」
昨日…。
皆は思ったが、清輪は頷いた。
「あちら。」と、光の柱の方へと指を差す。「あれの対抗呪を知りたい。近くまでここから飛ばすゆえ、見て参れ。良いな?」
結麻は、理由がわからなかったが、夢かもしれないと頷いた。
「はい!行きます!」
大聖が、後ろから言った。
「オレがついて行きます。」
巽が、慌てて言った。
「近づき過ぎたら吸い込まれる。なるべく離れるのだ。」
大聖は頷いて、清輪が操る結麻の体について、光の柱へと近付いて行った。
結となった結麻は、大聖を見て驚いた顔をして、少し顔を赤くした。
「ええっと…あなたはどなた?」
大聖は、答えた。
「オレは、大聖。神に仕える神主の息子。君は…結だな?」
結麻は、頷いた。
「はい。あの、ここはどこですか?」
大聖は答えた。
「神が仰るには、ここは君が居た世界の隣りの世界。君が読んだ本の呪術は、皆ここでは有効で、神達が困っているのだ。助けて欲しい。」
結麻は、首を傾げたが、頷いた。
「…なんか、自分に都合の良い夢を見ているみたい。」と、つぶやいてから、光の柱を遠く見た。「…え…あれって、神になるための魔法陣?」
え、と大聖は言った。
「なんだって、あれは神になるためのものなのか?」
結麻は、頷いた。
「ええ。未婚の女性に呪文を読ませて、魔法陣を発動すると、こうして光の柱が立ち上がって、神を取り込もうと吸い寄せるの。その範囲は数キロとも言われていて、しかし必要なのはたった一柱の神の命なので、それを取り込んだ後は引き寄せは止まるはず。そして、その後その女性の命と、神の命をもって術は完成し、光の柱が消失する。その後、魔法陣の真ん中に立てば、その人に神の力がもたらされると本で読んだわ。」
…ということは、まだ術は完成していないのだ。
だが、伊津岐を取り込もうとしているので、吸い込みの力は数キロにはならず、この程度で済んでいる。
遠くに見える瀧の体は、何かを抱えるようにくの字に折り畳まって、硬く目を閉じて浮いていた。
恐らく、あの中に取り込まれようとしている伊津岐を守っているのだろう。
「…だったら、対抗呪術は?分かるか。」
結麻は、答えた。
「分かる。でも、あの中央の女性を術に殺される前に殺さなきゃならないの。つまりは、術が発動したのはあの女性が起点だから、そこを消すということよ。その後、光の柱が呪を放つ力を失って消えるから、神を助け出して術が進むのを止める。その後、対抗魔法陣をあの魔法陣の上に描いたら、二度と使えなくなるわ。またその上に描き直そうと、対抗魔法陣はその上に被さっている状態だから、永遠にこれは力を失うの。また使いたければ、他の場所に描き直すしかないってこと。」
二度と使わせない。
大聖は、頷いた。
「…だったら、ここから炎を放てばあの女性は死ぬな。」
大聖が構えると、結麻は、慌てて言った。
「ダメ、光の柱は跳ね返して来るわ!炎って、術なんでしょう?それじゃダメよ、物理的な何かでないと!剣とか、槍とか、矢?」
…術では術に跳ね返されるのか。
「…一度戻る!」大聖は、言った。「清輪様、戻ります!」
すると、結麻の体は清輪達の方向へと向いた。
そして、そちらへ向かってかなりの速度で戻って行った。
「聞いておった。」紅天が、結麻と大聖が戻るのを待って言った。「もし、伊津岐が取り込まれていなければ、この位置でも我らは吸い込まれておったか。」
大聖は、頷いた。
「はい。あれは女の命を使っているので、恐らくかなりの広範囲に向けて術を放てるのです。」
結麻は、頷いた。
「その通りです。今は、取り込めないので女性も魔法陣も苦悶しているような印象を受けました。魔法陣からしたら、確かに食べ物なのに消化不良を起こしているような、そんな感じのはずです。一度吐き出さないと、他を吸い込むことはできないのに、それはできないといった膠着状態という感じでしょうか。なので中途半端に、側の何かを吸い込む力は失くなっていないのです。」
清輪が、言った。
「では術の起点の女を殺すのだ。」清輪は、言った。「巽、主は矢が得意であったな。できるか。」
巽は、下を向いた。
「…引退してからこのかた、弓矢に手を触れてもおらず。申し訳ございませぬ。」
清輪は、眉を寄せた。
「たわけ!何のための修練ぞ!」
巽は、言った。
「…ですが私は、刀だけは未だに聖矢達と振るいまする。」と、頭を下げた。「我が神よ、時が参りました。どうぞ私の一太刀、届くようにお力をお貸しくださいませ。私が参ります。」
清輪は、巽を見た。
「…良い覚悟ぞ。」と、続けた。「参れ!中へ踏み込むのだ!」
巽は、頭を下げた。
「は!」
そうして、光の柱へと矢のような速度で飛んで行った。
「巽!」と、克己は紅天を見た。「巽だけに行かせはしませぬ!我が神よ、私も参ります!」
紅天は、覚悟を決めた顔をした。
「行け。無駄にはせぬぞ。」
克己も頭を下げて、飛んで行く。
聖矢は、叫んだ。
「巽!克己!」と、大聖を見た。「…大聖、聖をよろしく頼む。」
「お祖父様!」
聖矢も、後を追って行った。
他の神主達は、ブルブルと震えている。
「我が神、伊津岐様!私が必ずお助け致します!」
聖矢は、柱に向かって叫んで飛ぶ。
結麻は、何も知らない人達なのに、勝手に涙が出てくるのを、止めることができなかった。
光の柱は、空高く伸びたまま、まだ何やら苦悶の音を出していて、魔法陣も苦しんで呻いているようにも聴こえた。
その、光の柱へと到達した三人が、側へと寄った瞬間に吸い込まれるように中へと引き込まれて行くのが、遠く見えた。
「…お祖父様…。」
大聖は、それを見守りながら、必死に歯を食い縛って涙を流すまいとしている。
…これは本当に夢なの…?
結麻は、思った。
心の底から何かの感情が湧いて来るような、この締め付けられるような感情はいったい何…?!
紅天と、清輪は険しい顔をして何かを凝視しており、緑楠はオロオロとしていたのだった。




